憂鬱な夏休み
星花女子プロジェクト第5弾のうちの娘、
山津菜々花の紹介SSです。
「何してんのかな?」
首からさげたものをサッと後ろにまわしながら振り返る。寮監さん。
「……朝の、散歩に行ってたのです」
「ほぅ。それは健康的で良いことだな。それで? 手に持ってるのはなんだ?」
後ろにいる可愛い子を想いながら左手を見る。
「……虫取り網」
「私の言いたいことが分かるよな?」
寮に入る扉はすぐ目の前だもの。
ここは、逃げる。
「ぐっ」
「はーい逃げなーい」
首根っこを掴まれる。
「……帰りたいんですが」
簡単にはいかないか……。
「ああ、そうだな。持っているものを放せばいいのさ」
「……やだ」
バレてる。でも、どうしても手放せない。ギュッと胸の前で抱きしめる。
「やだでもダメだ。何度言えば分かるんだ。寮は生き物を飼うことは禁止だ」
今日は引き下がったりしないの。
「可愛いでしょ? この季節は虫がいっぱいいて好き。採った子はみんなお持ち帰りしたくなるんだけどそういうわけにもいかないし、だからこの子だけ連れて帰ってきたの。ちゃんとお世話するしいいでしょ?……この子はもう私に懐いちゃって、放しても逃げてくれないんだから。……だから部屋に入れるしかないんだもん。名前も付けたしこの子も覚えたし。吉っていうの」
カゴの中にいるのはカブトムシ。木に止まってマイペースに樹液を吸っていたこの子は簡単に捕まえられた。
「ダメなもんはダメだ。さ、放して」
渋っていたらあっさりと首から外され、窓も開けられてしまって吉は飛びたっていった。
「……」
「そんなに悲しいなら、最初から連れて帰って来るな」
そうだけど。そうなんだけど。
「カブトムシくらい許してくれてもいいのに」
「収拾がつかなくなるだろ。だから、生き物を飼うのは一切禁止なんだ。一期一会を楽しむんだな。それもまた良いだろう」
「……うん」
それは分かってるけど、だって可愛いんだもん。
「夏休みだからって弛んだ生活をする生徒も多いから、そうやって朝早くから元気に活動するところは感心するよ。生き物に優しいところも、誰でも出来ることじゃない。でもな……」
あ、あの子見たことある。
「あ、おい! 部屋に戻るんじゃなかったのか? 熱中症に気をつけるんだぞ!」
くどくどとお説教する寮監さんをそのままに、チラリと一瞬見えた黒い影を追う。多分いつも通りなら、ベンチにいるはず。
「ぴょん太」
なおーんと元気なお返事をして見上げてくる猫のぴょん太を、隣に座ってから存分に撫でる。
「これでどうだ? ここか? それともここか?」
暑くてもこのもふもふはたまらない。ゴロゴロと喉を鳴らす音に癒される。
「あーあ、吉が飛んでっちゃった」
せっかく懐いてくれたのに。寮監さんも、見ないふりしてくれればいいのに頭固いのよね。あなたは逃げないから好きよ。……あの子にも逃げられちゃって。
「ねえ。私。こんなに可愛いと思ってるし可愛がってたつもりだし。好きだって口にしてた。記念日だって忘れたことなかったわ。何がいけなかったの?」
その言葉に応えるように、のそりと立ち上がった黒猫は私の手からすり抜け、ふん、と鼻を鳴らして走り去ってしまった。
まるで何も分かってないなと馬鹿にされたみたい。ぴょん太のくせに。
彼女に振られて、何が不満だったのか言ってくれないままいなくなって。しばらく経つけど、吹っ切れていない。せめて理由をはっきりさせたい。でも彼女からは避けられていて近づくことすら出来ない。これじゃ前に進めやしないって分かってる。
「どうすれば良かったの」
その問いに今度は応えてくれる者がおらず、聴こえてくるのは今だけは鬱陶しいとしか思えない、蝉の声だけだった。