8話 召喚について
(アリスティア)
目覚めて顔を上げると、まだ授業中だった。少し損をした気分になりながら、ぼんやりと前を見つめる。
今は魔法の授業の時間。クラスの皆は、今日も火の魔法で遊んでいる。その楽しそうな様子に、心の中に生まれた嫉妬の気持ちを誤魔化すように横を見ると、焦げ茶色の髪の男子が、今日も私から少し離れたところに座っているのが見えた。名前は知らないけど、魔術学院の特別枠の騎士の家の子だ。よく知らないけど、魔法が使えないらしいその男子は、いつも魔法の授業は見学している。
なよっとした貴族の男たちとは違って、姿勢の良いその男子は、休み時間は皆と同じような顔で笑っているのに、この時間だけはいつも少し寂しそうに遠くから皆の様子を見守っている。
だけど今日は、皆を見つめるその目がなぜか楽しそうだ。その視線を追うように前を見たけれど、私の目にはいつもと同じ景色にしか見えなかった。
何か嬉しいことでもあったのだろうか。いいな。
そう思いながら、もう一度寝るために頭を下げた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大渓谷に降りたって、空を見上げる。
どんよりとした雲。湿度は高くないから雨は降らないと思うけど、雲に隠されて、今日は月は見えない。降ろした視線の先には、やはり大きな影ができていた。
「リルメージュ下がって」
なぜか毎回私の召還に答えてくれる白い大きな鳥のような姿をした彼女は戦えない。もしかしたら戦えるのかもしれないけれど、彼女には戦って欲しくはない。
彼女までいなくなってしまったら、私はもう二度と立ち上がれない。
「クウ……」
私を気にするような返事が聞こえて、振り向いてリルメージュに笑いかける。しばらく見つめ合うと、リルメージュがとことこと歩きながら、私から距離を取るのが見えた。
それを見届けてから、前を向いて大きく息を吐く。
どうしようもなく震えてしまう手を無視して、左腰から一本のスクロールを取り出す。ライラント侯爵家が持っている攻撃魔法のスクロールは、火の魔法と、この『召還』のスクロールだけ。だから、火の魔法が効かない大きさの相手にはこれを使うしかない。
顔を上げると、今日は細長い木のような形をした大きな魔物が、暗がりから歩くのではなく、体を引きずるようにのそりのそりとその姿を現すのが見えた。大きさや、姿形から魔物の強さを読み取って、左手に力を込める。
発動する魔法の強さは、魔方陣が浮かび上がる直前、そのわずかな瞬間にどれくらい力を込めるかによって決まる。相手の魔物の強さ。それよりもほんの少し上回るくらいの強さでなければいけない。弱くてすぐに倒されるのはだめ。だけど――強すぎるのはもっといけない。
今日も狙ったところで止めて、できあがった魔方陣を慎重に杖で拾い上げた。それを虚空に貼り付けて、繋がった穴の中に右手を突っ込む。ざらざらと不気味な感触が返ってきて、気持ち悪くて手を引きそうになる。だけど、こちらの不安を悟られてはいけない。
悟られると飲み込まれてしまうから――
だから、どちらが上かを分からせるように、闇に入れた右手に力を込めて、たたき伏せるように引っ張り上げた。
穴から落ちてきたのは、大きな牙に鋭い爪を持ったざらざらとした肌触りの空を飛ぶ生き物。召還のスクロールで呼び出されるものに、この世界の生き物が出てくることはない。だから何という名前なのかは知らない。でも、出てきたからには、あの魔物を倒せるものだ。
「行きなさい」
こちらをにらみつけるその生き物に、威圧的に命令する。嫌がっているその生き物に、遠慮をしてはいけない。遠慮をして、ためらって、あの爪と牙がこちらに向けばどうなるかは――もうよく知っている。十分知っている。
しばらく睨みあうと、その生き物は嫌々ながらも羽ばたいて魔物に向かった。大きな翼で飛びかかって、あの大きな魔物の体を削り取るように攻撃している。だけど、相手はあの大きさだ。一体だけでは時間がかかってしまう。時間をかければかけるほど、また別の魔物が生まれてしまう。
胸元に手を当てて、何度か深呼吸をしてから、顔をキッと上げて、もう一度さっきと同じことをした。現れたもう一体の翼のある生き物に、加勢をするように命じる。嫌々ながらも羽ばたいて、その生き物が魔物に向かった。
もう一体出した方が良いだろうか。でも、少しずつだが魔物の体は削り取られて小さくなっている。あの2体で大丈夫だろう。そう考えながら見守っているうちに、最後のあがきのように魔物が振り回していた一本の腕が、1体の召喚獣の頭に運悪く当たってしまうのが見えた。
悲痛な声を上げながら、翼のある生き物が地に落ちる。
もう1体が、落ちる仲間の姿を見つめて立ち止まって――そして私と目が合って、再び魔物に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
倒れた闇の魔物に近づいて、最後は火の魔法で闇が見えなくなるまで焼き尽くす。それが終わってから、地面に倒れている2体の召喚獣のもとに向かった。ぐったりと倒れ込んでいるが、こちらの1体は生きている。
「ありがとう」
そう言ってから、召還の魔法で地面に穴を開けて、元の世界に送り還した。
後ろを向くと、もう一体が見える。
振り返って、その召喚獣の前でしゃがむ。死んでいるのがわかるその生き物の体が、ぱらぱらと端から崩れているのが見えた。しばらく見守っていると、土に紛れるように一気に散ってしまった。
召還の魔法で呼び出されるこの生き物たちが、何なのかはわからない。リルメージュ以外は毎回違うものが出てくるから、同じ世界から来ているのかもわからない。
わからないけど、故郷から離れた地で自分たちの命を使役しようとする私を、彼らは殺したいだろう。
でも、それを遣い潰す。それが私、アリスティア・ライラントだ。
何も見えなくなった地面を見つめてから、私は立ち上がった。
「クウ」
心配そうな声を上げて、こちらを見ているリルメージュにゆっくり歩み寄り、最後は抱きつく。
「リルメージュ。私、疲れた」
彼女が、私の言葉がわかっているのかはわからない。どうして毎回私の召還に答えてくれるのかもわからない。
わからないけど、彼女は今日もぐりぐりと私の額に頭突きをした。
リルメージュの背に乗って、空に舞い上がる。空を見上げると、雲に隠れて月は見えなかった。生暖かい空気を感じて、明日は雨だろうかと考えながら――空に向かって、そんな願いなど叶わないことは知っているけれど、今日も真剣に天に祈った。
「明日は、どうか晴れますように」