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最強のお姫様の助け方 ~銀の召還姫と落ちこぼれ騎士~  作者: 笹座 昴
1章 まずは小さな火の玉から
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7話 涙



 授業が終わった放課後。いつもの倉庫に向かうために校舎の裏口から外に出ると、ちょうど前にカバンを持って歩くミラが見えた。

「ミラ」

俺の声にミラが振り向いて、俺に向かって微笑みながら軽く頭を下げた。歩調を合わせてミラの横に並ぶ。

「今日は、何をするんだろう」

「そうですね。兄様は昨日の帰りの馬車でも、家に着くまでずっと何かを書いていました」

あの人は、またミラを放って一人で何かをしていたのか。俺は呆れていたが、ミラはただこれからやることを期待するかのように笑顔だった。


 念のためノックをしてから『魔術研究部』と書かれた扉を開くと、センパイが真剣な表情で何かをかき混ぜていた。倉庫の壁に自分の荷物を置いてから、センパイに声を掛ける。

「センパイ、何やってんの?」

センパイはちらりとこちらを見上げてから、「インク作りだ」と答えた。


 椅子を引っ張り出して腰掛けて、机の上を見ると、センパイが今かき混ぜているのと同じ器がすでに6個ある。その中にある黒い液体はインクだろう。だけど、どうして6個もあるんだ?

 疑問はたくさんあったけれど、真剣な表情のセンパイにそれ以上話しかけることができず、俺が黙って待っていると、センパイがかき混ぜるのに使っていた棒を薄い紙で拭って机の上に置いてから、立ち上がった。

 いつもの箱の中から取り出されるのは大きな筆。それを机にひょいと置いてから席に着いて、インクの入った器の一つを自分の手元に引き寄せてから、机の端においていた紙をざっと広げる。いつも使うような魔法のスクロールよりもかなり横長の紙。筆にインクを付けてから、センパイは紙の上側にさらさらと文字を書き込んでいった。


 文字が端まで到達して、センパイが筆を上げた。そして、筆を薄い紙で軽く拭ってから、さっき使っていたのとは別の器を取り出して、再び文字を書き込んでいく。反対側から見ているので少し見にくいが、さっきのと同じ文字だ。センパイが黙々とその作業を繰り返して、同じ文字が6段並んだ横長の紙ができあがった。筆を置いたセンパイを待っていると、「はい」とセンパイが俺に紙を渡してくる。

「デューイ。頼む」

これが何かさっぱりわからないが、『頼む』と言われたので紙を丁寧に受け取って、言われた通りに力を込める。


 俺の体から出た魔素に反応して、俺の手に近い方から文字が光り始めた。だけど紙の7割くらいの位置で、ぷすんと音が聞こえそうなほど光がせき止められる。それ以降の文字はどうやっても光らないが、力を送り続けていると紙はずっと光っていた。

「デューイそのままだ」

センパイが拡大鏡を持ってきて紙をのぞき込んでいる。その様子をちらりと見てから、俺も紙を観察する。6段並んだ文字のうち、光っているのは4段だけ。そしてその中でも、文字の光の強さが微妙に違う。

 センパイが端まで拡大鏡で覗いてから顔を上げた。

「ありがとう」

その声に左手にふたをするように魔素の供給を止める。紙を机に置いてから、軽く左肩を揉んだ。

「ミラもやってみてくれ」

ミラをまっすぐ見つめたセンパイに、ミラはこくんと頷いた。

「行きます」

「頼む」

そう言ってミラは左手に持った紙に力を込める。

「あれ?」

俺のときは6段中、4段光っていたはずなのに、今光っているのは3段だ。その光らなくなった1段を、センパイは拡大鏡で真剣に覗いている。

「ミラも、もう止めていいぞ」

俺より遙かに短い時間でセンパイはそう言って、ミラは力を止めた。ミラは椅子に座って、何度か肩で大きく息を吐いていた。



 センパイは机の前に立って、紙をじっと見つめている。そしておもむろに後ろを向いて、箱の中から別の筆と紙と、あれは――何という名前だったか忘れたけど、円を描く道具を取り出した。それらを使って書き始めたのはもちろん魔方陣。だけど、今回は途中で使うインクを変えていた。

 魔方陣が書き上がり、センパイが筆を置いたのを見て立ち上がると、センパイは俺を見上げて「待て」と一言だけ言葉を放つ。俺が椅子に座ると、センパイは別の紙を取り出して、今度はさっきとは別のインクの組み合わせで魔方陣を作り始めた。


 センパイは何を試そうとしているのだろうか。聞いてみたかったが、俺が話しかけるだけで何かが崩れるような気がして声が出せない。横目でミラをみると、ミラは真剣にセンパイの手元だけを見つめていた。


 ただ無言で待って、できあがったのは3枚の贋作スクロール。

「やってみよう」

センパイはそう言ってから、ささっとスクロールを拾って立ち上がった。そして扉に向かう。

「センパイ。外でやんの?」

「あぁ」

センパイが扉を開けて外に出て、立ち止まって「もうこんな時間か」とつぶやいた。その声に顔を上に向ける。俺はまだ何もやっていないけど、外はもう日が沈んでいた。

 ぼーっと空を見上げていると、センパイが前を歩き出した。そのあとをついていくと、以前石をすりつぶした辺りで足を止めた。

「ここでいいだろう。デューイ頼む」

そう言って渡された一枚を受け取って、丸まっていた紙を開く。その紙を左手に乗せて、力を込めた。


 俺の魔素に反応して、文字が光る。だけど、今回は違う。いつもは俺の左手から文字の流れを無視して伝わっていく光が、今回は文字の流れを守るように、きっちり外側の文字から光が伝わっていく。

 いつも魔方陣が壊れるあたり、その部分を――通り過ぎて、4段目の途中で魔方陣が浮かび上がって弾けた。


 少しだけ、いつもと違った。薄暗闇の空間で、しばらく無言で手元を見つめる。

「デューイ。しばらくそこで待っていてくれ」

センパイはそう言って、手に持っていた二枚のスクロールを地面に放ってから、倉庫に向かって駆けだした。センパイが地面に投げ捨てた2枚のスクロールを拾いながら、「これは?」と声を掛ける。

「それは恐らくだめだ」

その声と共にセンパイが倉庫に消えた。


 拾った2枚のスクロールに、順に力を入れると、こちらの2枚はいつものように魔方陣の3段目で魔法がだめになった。

「デューイ様。私も試してみていいですか?」

ミラの声に少し考える。

「大丈夫だと思うけど、一度センパイに確認してからにしよう」

ミラに危険があってはいけない。ミラは頷いて、俺の横に並んで倉庫の入り口を見つめた。

 ダメだった2枚のスクロールは地面に置いて、一枚目のスクロールをもう一度試してみる。それなりの速度で魔方陣が弾けるので、観察する方も難しいが、俺はもうその道のプロと言ってもいい。やはりいつもより魔方陣が弾ける文字が進んでいる。


 少し緊張しながら、センパイが戻ってくるのを待つと、思ったよりも早くセンパイが戻ってきた。

「これだ」

道の途中から投げ込むようにスクロールを渡される。

 心臓の鼓動が気になりながら、慎重に魔素を送ると、4段目の先、最後の5段目の入り口で魔方陣が弾けた。それを見てセンパイが何も言わずに(きびす)を返し、再び倉庫の扉が閉まる。



 あれから5本試した。状況は一進一退で、どうしても最後の5段目が埋まらない。

「ミラはもう帰った方がいい」

外はもう真っ暗だ。ミラは俺に付き合って外で立って待っているが、ただ立って見ている方は、しんどいだろう。

「待ちます」

ミラはそう言って、首を振った。


 ミラは真剣な表情で俺を見上げている。そんなミラを見て諦めて笑ってから、倉庫に戻り、椅子を2つ抱えて外に出た。別に倉庫の中で待っていてもいいかもしれない。だけど、俺はセンパイの邪魔をしたくはなかった。


「座ろう」

ミラの前に椅子を置いて、そう声を掛けてから椅子に座る。学院からはちらほらと光が漏れているが、周囲はもう真っ暗だ。

 ミラが俺の横に椅子を並べて座る。後から思えば、黙っていた方が良かったのだと思うけど、真っ暗闇の中、星空を見上げていると、なぜかどうしても誰かに何かを話したい気分になって、俺は独りでに語り始めた。


「俺の兄貴は、弟の俺から見ても欠点のない人だった」

俺の7つ上の兄、ラッセル・オスター。騎士学校を主席で卒業。

「剣の腕はもちろんだが、人当たりがよくて、俺にも優しい自慢の兄だ」

「はい」

相づちをうつ声に横を見ると、ミラは俺をまっすぐ見つめていた。まっすぐなその瞳から逃げて、空を見上げる。

「跡継ぎは長兄なのは当たり前だけど、オスター家にとってはラッセル兄さんが跡継ぎで何の問題もなかった。俺もそう思っていたし、周囲もそうだった」

だれが跡継ぎをするかで大きく揉める家もあるから、俺の家は運がいい。それはわかっているけど、人は持っているもののありがたみなど分からない。


「王都での騎士の役目は、困ったときの管理人みたいなものだ。皆がラッセル兄を頼りにしていた」

俺は、そんな兄と比べられていた。『あの兄が同じ歳の頃は』――いつもそう言われていた。


 今だったら分かる。別にあの頃そう言っていた大人たちは、特に深い意味でそんなことを言っていたわけではないと――大人たちは適当に思いだしているだけで、そのとき俺が何歳なのかも、頭の中で思い浮かべている兄が何歳なのかも、はっきりとはしていなかっただろう。


 だけど、俺は大人たちが出してくる『完璧な兄』に、いつも負けていた。

 俺が何をやっても、いつも俺は兄の後。二番煎じだ。


「別にラッセル兄さんが、俺に対してそんなそぶりを見せたわけじゃない」

いや、優しい兄は俺に対しても完璧だった。だからこそ、より深まるのだろう――


 無意味な劣等感。



 だから――


「俺は、魔法が使えるようになりたかった」


 そうすれば、きっと――



「デューイ様も、兄様と同じことを言うんですね。私は、兄様が魔法を使えなくて良かったと、いつも最低なことを考えています」

「えっ?」

驚いて横を見ると、ミラは下を向いていた。

「兄様は魔法が使えません。アーチモンド家は当主が魔術師でなくても、問題にはなりませんが、魔法の血筋が途絶えるのは困る――だから、私が選ばれました。アーチモンド家の家臣の中で、一番身分が高くて魔法の使える私が。幼い頃から、お母様には将来は兄様の子どもを――魔術師の子どもを産むのが私の役割だと教えられてきました」

そう言ってからミラは顔を上げた。

「魔法が使えない私には価値がないんです」

「そんなことはない」

慌てて声を上げた俺の目をミラはのぞき込んだ。

「どうして二人とも私には、ためらいもなくそう言ってくださるのに、ご自身のことはそうとは考えないのですか」

その気迫に、軽く息が止まる。


「兄様は私のことをちっともそういう相手だとは見てはくれないですが、私は将来兄様と結婚するのだと聞かされて嬉しかったのです。いつも、大人も知らないようなことを、私に丁寧に教えてくれるこの人と、私は将来結婚するのだと……幼心にどきどきしました」

ミラはそこまで言ってから、俺から目を逸らして――先ほどの俺と同じように空を見上げた。

「兄様が魔術師だったら、私は必要なかった。だから兄様が魔法を使えなくて良かった。私が魔術師で良かった――兄様が魔術師でないことに悩んでいるのは知っているのに、私はいつもそう感謝しています。最低ですね」

ミラがこちらを向く。

「軽蔑しましたか?」

「いや、別に」

俺がそう答えるとミラは笑った。

「実は、急にいそいそと何かを始めた兄様を見て、兄様に女性ができたのかと疑っていました。兄様もそうだと思いますが――デューイ様のことは好きです。兄様の次に」

最後の言葉に、俺も笑う。

 いつもミラと会うときはセンパイがいるから気づかなかったのかもしれないが、ミラはセンパイの前で、猫を被っているのかもしれない。

「兄様は、まだでしょうか。私は早く、デューイ様が魔法を使うところを見てみたいです。兄様が――兄様の願いが叶うところを見てみたいです」

ミラは星空を見上げて、子どものように足をぶらぶらと揺らしていた。




 そう言えば随分話し込んでしまったけれど、センパイはまだ戻ってこない。様子を見に行こうと立ち上がったときに、センパイが倉庫から現れた。センパイは肩から上を、ずいぶん重そうにしてこちらに向かってくる。

「デューイ、これ」

遠くの方で、はいとこちらに向けられるスクロールを歩いて取りに行く。

「それが無理だったら、今日は諦める」

センパイはそう言って、俺が座っていた椅子にかわりにどしんと腰掛けた。目頭を揉んでいるセンパイが顔を上げるのを、左手にスクロールを広げて待つ。

「頼む」

センパイはこちらを見上げてしかめっ面でそう言ったあと、腰に重りでも乗せているような仕草で立ち上がった。その隣でミラが軽やかに立ち上がる。


 同じ小麦色の髪をした兄妹に見守られながら、「始めるぞ」と宣言して贋作のスクロールに体から取り出した魔素を送る。


 浮かび上がった、黄金色に輝く魔方陣。

 ふらふらと揺れているはかなげなそれに、震えながら手を伸ばし、触れた瞬間――

 

 見逃しそうなほどの小さな火の玉が、そっと現れては消えた。




 慌てて下を向く。そして、どうしても止まらないことが分かって、二人に背中を向けた。


 別に俺自身の何かが変わって、『魔法が使える俺』に変身したわけじゃない。


 だけど、膝は震えて――涙は止まらなかった。




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