27話 リミッター解除
こちらに迫り来る打ち付けるような足の攻撃。それをアリスは守りの魔法でしっかりと受け止めている。その合間を見て、うりゃあと杖で魔方陣を投げて俺が足を爆破する。足がまた一本落ちるのが見えた。
「デューイ!」
突然聞こえた声に驚いて振り返ると、センパイが何かを持ってこちらに駆けつけようとしていた。
「センパイ、危ないからこっちに来るな!」
センパイは俺の声を無視してこっちに駆け寄りながら、珍しく声を張り上げる。
「デューイ! これを使え!」
センパイが掲げたあれは――
「ロデリック!!」
アリスが警告の声を上げたとき、センパイに向かって魔物の足が叩きつけられた。
センパイがさっきまでいた位置にわき上がる土煙。呆然と俺がそちらに向かって手を伸ばしたまま、魔物の足が退いたあとに見えたのは――
杖にもたれ掛かるように守りの魔方陣を張っているミラ。
走って、センパイのもとに行って、センパイがこちらに押しつけるように渡すものを受け取った。
「デューイ。予備の弾は俺が渡しに行く! 時間がない! 撃ち尽くせ!」
「了解!」
センパイから受け取ったのは俺の弓。弦の感覚を確かめてから、一度地面に立てかける。そして、左手を右手で掴む。
「リミッター解除!」
センパイ極秘の合い言葉を言いながら、俺の左手を縛っていた黒の革手袋を取り外した。
矢筒から矢を一本取り出す。矢は、どこでも補充できる普通の矢だ。
だけど、その矢の先端に巻き付けられているのは、センパイお手製の小さな小さなスクロール。その小さな紙に全力で力を込めて、小さな――だが、圧倒的な輝きで浮かび上がる魔方陣を見てから、弓を引いた。
距離を測って、呼吸を止めて放ったその矢の先――
矢が魔物に触れた瞬間、魔方陣が大きく膨れあがり、中央に現れた火の玉が俺の膨大な魔素が作り出す酸素に反応して、周囲一帯に大爆発を引き起こした。巻き込まれた3本の足が、同時にはじけ飛ぶ。
「デューイ。頑張って!!」
「おう!」
心の中で全力で気合いを入れてから、矢を掴んで矢を引きながら同時に魔素を込めた。ヒュッと飛んだ矢の先で、また足がはじけ飛ぶ。
時折こちらまで届く足の攻撃をアリスは防御しながら、俺にタイミング良く矢を手渡してくれる。それを受け取って、とにかく力を込める。そして、ただそれを放つ。
「残りの矢はあと5本よ!」
センパイはまだやってこない。
魔物と城壁の距離を測って――俺たちには悠長に待っている時間はない。
「アリス。センパイを迎えに行ってくれ」
「でも!」
わずかな時間で、アリスとしっかり目を合わせる。
「アリス、頼む」
「……わかったわ」
しばらく考えるのような間が経ってから、アリスが返事をした。
そして、アリスが後方を振り返る。
「リルメージュ!」
「クウー!」
遠くから叫ぶ声が徐々にこちらに近づいてきて、いつものぶりっこ――アリスの大親友が俺たちの隣に現れた。
「リルメージュ。ロデリックを迎えに行くわよ」
「クウ!」
「デューイ! すぐ戻るわ!」
「あぁ!」
横から押されるような風圧を感じて、リルメージュが飛び立つのがわかった。
アリスからの援護はない。残った矢を抱えて、守りのスクロールを用意しながら少し後ろに下がる。
来た――俺に向かって振り下ろされる足。革手袋を取っているからか、結界を隔てて衝撃は感じなかったけど、余計な魔素も消費するからノロノロしている場合じゃない。ある程度下がったら、今度は強めに弦を引いて矢を放った。
俺は弓がそこまで上手くないし、この距離だ。だが、あの足の数。距離が届きさえすればどこに撃っても当たる。
足の攻撃は極力しゃがむか下がるかして避ける。そうこうする内にすべての矢を撃ち尽くした。
「デューイ様!」
ざざーっと滑るように着陸したリルメージュの背から降りてきたのはミラだ。そしてリルメージュは、華麗にUターンしてまた飛び立ってしまった。息を切らしたミラに、「これをお渡しします」と矢筒を手渡される。
「用意してあったのはそれだけです。アリス様は追加の矢を取りに戻られています」
ミラはそう言ってから俺の前に立った。
「その間、デューイ様は私が守ります!」
その華奢な背を見つめて考える。
下がっていろと、そんなことを格好付けて言いたかった。でもミラに失礼だし、俺ももういっぱいいっぱいだ。
そして、俺たちは仲間なんだ。
「ミラ、やろう」
「はい!」
足が振り下ろされるたびに、杖を構えたミラの腕がびりびりと振るえる。俺はそれを無視して、俺のやるべきことをする。
そして、徐々に足の数が減っていき、矢の届く範囲には足がなくなった――
「デューイ、ミラ。大丈夫か」
センパイがタイミング良く、俺の横に降り立った。
「センパイ。本体を狙うから、矢にスクロールを増やしてくれ」
「デューイ。遠くから見ていると分かるが、あいつは少し傾いている。こちら側の足が減ってきたから、確かに上の本体らしきものにも下から攻撃が届くようにはなったが、あくまで端だ。本当にそこを攻撃して死ぬかは分からない。それよりは、こちら側の足をすべて削って、バランスを崩して転がす方がいいだろう。足が復活している気配はないし、朝までこの渓谷に留めておけば、魔物は消滅する」
センパイがそう判断したのなら、俺には異論はない。考えるのはセンパイの仕事だ。
「このまま続ける」
「わかった」
センパイの指示に、よしと矢筒を持つ。
「足が少なくなって、矢が届きにくくなったからもう少し近づく。引き続き行こう」
俺がそう声を掛けると、ミラが疲れた笑顔で「はい」と返事をした。
そのとき
「待たせたわね!」
アリスがこちらに飛んできたリルメージュの背から華麗に飛び降りた。
「ロデリック。これだけあればいいかしら」
リルメージュの背から丸太のように束ねられた矢を地面に落とす。リルメージュが、痛そうに背中を翼でさすっていた。
「あぁ、十分だ。俺はお前たちのすぐ後ろで矢を作っておくから、アリスはデューイを守ってやれ」
「ええ」
見上げると、目に入るのは変わらぬ巨体。
「デューイ。ごめんなさい」
その声に振り向くと、俺を見上げるアリスの瞳がふらふらと揺れていた。
「こんな大きさ初めてなの。私もまさかこんな――」
俺もこんなものだとは思ってもみなかった。あんなのが国境を越えて国に侵入するなど未曾有の危機だ。そして――
「あぁ、こんなのにアリス一人だけで立ち向かわせなくてよかった」
あの日、俺以外の全員に怒られた気がするけど、俺は間違ってはいなかった。
「やるか」
「やるかじゃないわよ! もう! 言いたいことは山ほどあるけど、あとで話すわ。あとでよ!」
「あぁ、わかった」
アリスは俺をきっと睨んでから、俺の前に立った。頼もしいその背中と広がる銀の髪。
あぁ、一回くらい触ってみたいなぁと思いながら俺は弓を持った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アリスから渡される矢を受け取って、力を込めて魔方陣を出してから矢をつがえて撃つ。
たびたび、アリスが「ロデリック」と声をかけると追加の矢が届けられた。姿は見えないけど、センパイは俺たちの後ろで、今黙々とスクロールを製作中だろう。
「待て! 何か飛んでくる」
足の数が減ってくるにつれ、俺たちを狙って、遠くの方の足が木を投げ飛ばしてくるようになった。
「ミラ! 角度を付けてはじき返すの! 前に落ちると矢の邪魔になるから!」
「はい……わかりました……」
弱々しいミラの声。急がないといけない。だけど、俺がミスするわけにはいかない。
俺が、守るんだ。
腕の感覚などとうの昔になくなっているけれど、だからこそ余計な力も入らずに弓を撃てる。
「おい、デューイ! そろそろだ!」
「何が?」
手は止めずにセンパイに聞き返す。
「もうすぐ倒れる!」
もうすぐ? 集中しすぎて極一部しか見えていなかった視界を下がらせると、楕円型の本体が大きく斜めに傾きつつあるのが見えた。だけど、一部の足が踏ん張って、まだ持ちこたえている。
「センパイとミラは下がってくれ。踏ん張っているあそこら一体を刈り取る」
そう言ってから、堂々と俺の前に立つアリスに声をかけた。
「アリスも避難してくれ」
「何を言っているの」
アリスは一瞬だけ俺を振り返って苛烈に笑った。
テコでも動かないその背中に俺はすぐに諦めて、手持ちの矢からすべてのスクロールを取り外し、一本の弓矢に付け替えた。そのすべてのスクロールを覆うように、体中からひねり出した魔素を送る。
矢の先で重なりあう小さな魔方陣。闇を晴らすようなその明るさを、綺麗だなと思いながら弓を構えた。
「行くぞ」
「ええ」
アリスも爆裂のスクロールを準備していたのか、俺たちの手元から同時に、2つの魔方陣が魔物に向かって飛んだ。着弾と同時にそこら一体の足が消し飛ぶ。
その結果を見届ける前に、弓は投げ捨てて、アリスの手を引いて走りだす。
「倒れるぞ!」
遠くからセンパイの声が聞こえた。
徐々に俺たちを押しつぶそうと、近づきつつあるのがわかる頭上の巨体。手だけは離さずに、ただ必死に足だけを動かす俺の目に、白い体と、輝くような金の羽根先が見えた。
「クウ!」
軽い軽いアリスの腰をひょいと抱えて、リルメージュの上に乗せてから、行けとリルメージュの尻を押す。
残念ながら『これ』は一人乗りだ。
「リルメージュ。アリスを頼む」
「何を言っているの。嫌よ!」
俺の方を振り返ったリルメージュは、俺に向かってしっかりと頷いてから、
「クワァ!!」
と叫んだ。そしてなぜか器用に小さく旋回して俺の背後を取る。
えっ?
気がついたときには、俺は襟首を掴まれたまま、超特急で地面を駆け抜けていた。
背後から魔物が地面に倒れたような大きな音と風を感じた瞬間、俺はほいっと宙に投げ出される。
軽く宙を飛ぶ俺――半ば自動的に受け身をとったが、ぶつけた肩の痛さにしばらく肩を押さえた。
「リルメージュ。大丈夫!」
アリスの声に顔を上げると、膝を突いたリルメージュがぜぇぜぇと荒い息を吐いて地面に突っ伏していた。
「リルメージュ! 大丈夫か!」
リルメージュは疲れながらも俺を見上げて、満足そうに「クウクウ」と頷いた。
「ごめんリルメージュ。ありがとう。ありがとう」
アリスも、俺も、助かったのはリルメージュのおかけだ。俺の声に被さるようにアリスの「ありがとう大好きよ。リルメージュ」という言葉が続く。
どこか痛めたところはないのかとリルメージュの体を心配をしていると、急にアリスが顔を上げた。その表情に『やばい』とわかって大きく下がる。
「あなたさっき――!」
「ごめん。ごめん」
とにかくアリスに必死に謝る。
「ごめんじゃないわよ! 私がどんな――」
「二人とも大丈夫か!」
そのときセンパイとミラがこちらに駆けつけてくるのが見えた。助かったと、俺は手を挙げる。
「何とか無事だ!」
センパイにそう答えてから後ろを振り返ると、あの巨体が地面に倒れ込んでいた。体からはみ出した足がぱたぱたと動いているのが見える。だけど、あれではもう起き上がれないだろう。外側の足が復活するようなら、そのときはまたそれを破壊すればいい。
空を見上げると、まだ真っ暗だった。
「センパイ。今何時ごろかわかる?」
「おそらく3時頃だろう」
俺は延々と7時間ほど戦っていたのか? まったく気がつかなかった自分に驚いた。
「でも、まだ3時よ。夜明けまでには時間はあるわ。油断しないようにしましょう」
こちらに近づいてきたアリスのその言葉に、そうだなと顔を引き締める。
ゆっくりとアリスが俺の隣に立った。
「アリス、怪我はないか?」
急いでアリスの全身を確認する。大きな怪我はなさそうだ。だけど――
「そこ、擦ったのか?」
アリスの左腕にこすれたような痕があった。アリスは自分でも今気がついたように、腕をひねって確認している。
「あら、そうね。でもこのくらい平気よ」
「平気じゃないだろう」
「大丈夫よ。あの薬を塗れば、すぐに目立たないようになるわ」
アリスの笑顔に、アリスが俺の贈ったあの薬を使ってくれていることがわかった。よく効くのか――それは良かった。
「あなたこそ、体は大丈夫なの!?」
「ん? あぁ」
ぎくりとなりながらも、真面目な顔で頷いた俺をアリスはしばらくじっと見上げてから、しゃがめとジェスチャーした。アリスの前で跪くと、アリスは俺の体を念入りに確認し始める。
信用されていないのはわかるが、アリスの顔が近い。近すぎる。
「アリス」
「何よ」
アリスがそのとき俺の肩を思いっきり叩いた。予想外の攻撃に、「痛ぇ」と軽く飛び上がる。
「やっぱり痛めているじゃない。言いなさいよ」
「言えるわけないだろう……」
「どうして?」
アリスが本当に不思議がるように首を傾けている。弓にあまり慣れていないから痛めたなどと言えるわけがない。俺は格好付けたいんだ。
「治すわ。肩を出して」
アリスが腰から治癒のスクロールを取り出して、俺のことを待っている。バレたからにはもう意地を張っている場合ではない。
肩まで服をまくるのが面倒で、上の服を一気に脱いだ。
「ごめん」
こんなことならもっと真面目に弓の練習をしておくべきだった。後悔でため息をつきながら、アリスが治してくれるのを待つが、一向にアリスはこちらにやってこない。どうしたのかと顔を上げると、アリスは顔を赤くして固まっていた。
アリスの視線が指しているものに気がついて、アリスが固まっている原因がわかった。そうか、疲れていたのもあるが何も考えていなかった。
「悪い」
アリスは見たくはないだろうと、俺が服を着ようとすると――
「待って、治すわ」
アリスがこちらにやってきた。アリスが治癒の魔方陣を右手で掴んで、少し震えたその手が俺の肩に触れた。
時間を縮めるかのように、無理矢理傷を治そうとするその痛みに、言葉を噛んで堪えてから、笑顔だけをアリスに向ける。
「ありがとう」
「いいのよ。もう怪我はないわね?」
「あぁ」
俺から視線を逸らすアリスに、急いで服を着て立ち上がった。
魔物はあのままだ。足が復活する気配もないし、新しい魔物が現れているわけでもない。 大渓谷の闇の中、俺が魔物の姿を確認をしていると――
「デューイ。さっきはありがとう」
アリスの小さな声に振り返る。
「さっき?」
さっきアリスだけを先に行かせようとしたことについて、また怒られるのかと、俺は少し身構えた。だけど……あれ、ありがとう? 何でありがとうなんだ。
「さっきだけじゃないの。いつもありがとう」
アリスはどうしたのだろう。アリスはめずらしく言い辛そうに下を向いている。
「いや、別にいいって」
アリスが何について言っているのかよくわからないが、俺はいつも俺がしたいことをしているだけだ。気にするなと言おうとしたとき――
「あなたは、わかっていない」
アリスが少し悲しい表情で俺を睨んだ。
「ごめん、えっと……」
「私は、あなたに本当にありがとうって……いつもいつもそう思ってる。それなのに、私の言い方が悪いのかもしれないけれど、あなたは全然分かってくれてない」
そんなつもりはなかったから、その言葉に驚いた。
「わ、わかった」
「絶対にわかっていないわ」
俺を睨むアリスに何て返せばいいのかを急いで考える。
「えっと……アリスは、俺に対して『ありがとう』って思っている。わかった。じゃあ俺も、ありがとう」
アリスにはそう伝えてから、何かまた怒られそうだとアリスの言葉を待っていると、何か急に頭上に気配を感じて顔を上に向けた。
真夜中だから、影なんかできるはずがないのに、頭上に見えるそれは確かに光を遮る影だった。
「どうして……」
隣でアリスのつぶやく声が聞こえる。
子どものおもちゃのようなずんぐりとした人の形をしたそれは、さっきまで俺たちが戦っていた魔物を軽く踏みつけて、静かにその場に君臨していた。




