2話 魔法を作ろう!
朝、いつものように自分のロッカーを開ける。そこにカバンを置こうとして、ぽつんと置かれた白い封筒を見て固まった。周囲を警戒してからそれをさっとポケットにしまい、トイレに向かって個室に入り鍵を閉める。便座の前で深呼吸をしてから、昨日は丁寧に開いた手紙を、今日は適当に千切って中身を確認する。
デューイ・オスター様
放課後、地図の場所で待っています。
昨日と同じ、可愛い女の子の字。これだけ見れば、まるで逢い引きだ。
真逆の現状に、虚しくなってため息をついてから、中に一緒に入っていた地図を開くと、この学園の地図があった。バツ印で示すのは、確か倉庫のような小屋がぽつんとあったはずの場所だ。お隣さんである学術学院との境の近くにあるから、センパイと俺双方のちょうど中間くらいの位置だろう。
今日、何をするのかは俺が聞き忘れていたのでまったく知らないが、もうあまり内容を覚えていない契約書では確か俺の魔力が必要なことらしい。
昨日の夜、センパイとの契約について少し考えてみた。そう簡単には俺が魔法を使えるようになるとは思わないけど、俺の魔力は無駄に有り余っている。使えるところがあるんだったら、もう好きに使ってもらおうと思う。
学校を辞めるのは――家に帰ることを再び考えるのは、そこからでもいい。
よしと気合いをいれてから、手紙を畳んで、トイレを出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日は、週に一度の魔法実技の授業がある日。俺にとっては特に何もすることがない時間だ。
今日も心の中ではほんのわずかに期待して、学院の所有物である貴重な火のスクロールを丁寧に左手で持ってから、力を込めて体内の魔素を送る。スクロールの文字が端から光る。そして、魔方陣がスクロールからくっきりと浮かび上がる前に、今日もパンッと途中で弾けるのが見えた。
何人かの女子のクスクス笑う声が聞こえる。俺はその声を聞きながら、貴重な魔法のスクロールを丁寧に机の上に戻した。
「あいつら、感じ悪いな」
俺の友人のロランの声に、少し慰められて俺は笑った。
「でも、まぁ事実だ」
ロランの肩に触れて、あっちで見てるよと伝えてから、何もすることのない俺は端の方で見学をしようと、壁際を見渡す。しばらくその姿を探して――今日も頭を抱えてすっかり爆睡している様子の銀色の女子の頭を見つけた。起こさないように静かに歩いて、2、3人は座れる距離を空けて、俺はその女子の隣に座った。
アリスティア・ライラント嬢。俺のように魔法が使えないから休んでいるのではなく、学院のスクロールなんてものを借りなくても、侯爵家の令嬢である彼女は、魔法のスクロールを所持している。こんなところで実技の練習をする必要がないから、寝ているのだろう。本当にそうかは知らないが、彼女はこの学院でいつも寝ている。
俺が座っても、ライラント嬢はこちらを見ようもしない。そっと体を後ろに倒して彼女の背中の動きから呼吸の間隔を計ると、本当に寝ているらしい。
彼女がこうして毎日至るところで寝ているのは、夜遊びをしているから、だそうだ。さっき俺を笑った女子たちが教室で声高に噂をしていた。
本当なのかは知らない。
別に俺は、そんなことはどうでもいい。
俺が1回生のとき、一度だけ彼女の魔法を見たことがある。
長い銀色の髪に、青色の瞳。そして、まるで彼女自身が貴族の持っている人形のように、整った顔。びっくりするほど可愛い彼女の顔に始めは驚いたけど、彼女の魔法はそれ以上だった。
魔法を見るのさえ初めてだった俺の前で、代表として皆に見本を見せることになった彼女は、淡々とした様子で左手にスクロールを広げた。そしてただまっすぐ前だけを見つめて、呼吸をするように左手から魔方陣を作り出し、杖なんか使わずに華奢な右手でその魔方陣を拾って、その腕から大火球を生み出した。
あの頃は知らなかったけど、同じスクロールなのに、皆とは別物としか言いようがない大きさの火球――俺は、彼女に憧れた。
俺はあの魔法をもう一度見てみたかった。
でも、そんなことを頼めるはずがない。俺が今横に座っていること自体がすでに不自然な、騎士位の俺が、侯爵家令嬢のこのお姫様に頼み事をすることなどない。今日もよく寝ている、ふわふわと柔らかそうな銀色の頭からそっと目を外した。
そうして俺は前を向いて、今日も皆が楽しそうに出す小さな火の玉を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
放課後。魔術学院の端、申し訳程度に草が刈られた空き地のような場所に、ぽつんと倉庫のような建物が見えた。
『魔術研究部』
指定された地図の位置に立って顔を上げると、そんな表札が見える。少し緊張しながら目の前のその倉庫の扉を、二度ノックした。しばらく耳を澄ませるが返事がない。
「センパイ。いますか?」
ゆっくりと扉を開いて、顔だけ中に突っ込んで確認する。だれもいない。昔、来たときはごちゃごちゃと遊具のようなものが置いてあったはずだが、今はぽつりと4人掛けのテーブルと椅子があるだけだった。
そっと中に入って、手前にあった椅子に座る。今から何をするのかは知らないけれど、魔法に関係することのはずだから、鞄の中から魔法の教科書を取り出してひとまず勉強しておく。
まったく頭に入ってこないその文字に、本を閉じかけたとき――扉が開いた。
「すまん。待たせたな」
顔を上げると、薄く開いた扉の向こうに制服姿で両手に大きな箱を抱えたセンパイがいた。俺が立ち上がって扉を開こうとする前に、センパイが右足を扉に引っかけて、勢いよく扉を開ける。箱を床に無造作に置いてから、センパイは後ろを向いて扉を閉めた。
「すき間時間で勉強か? 悪いがちょっと机を開けてくれ」
教科書をカバンに仕舞うと、センパイは重そうに再び荷物を持ち上げて、どんと机の上に置いた。
「そういえば、棚を持ってこないとな。明日手配しよう」
軽く肩を回しながら、センパイは壁を見てそんなことをつぶやいていた。
机の上に置かれたセンパイの荷物を覗くと、これでもかと言うほど、筆などの小物が突っ込まれている。
「今から、何をするんだ?」
センパイは俺の言葉に振り向いて、無造作に箱の中に手を突っ込んだ。
「あぁ、まずはこれだ」
センパイが適当に箱から引っ張り出したものを見て、呼吸が止まる。
「え……?」
現れたのは、魔法のスクロール。国一番の魔術学院でも、所有しているスクロール数はたった3枚。そんな貴重なものだからこそ、こんな風にそこら辺の箱から、乱雑に現れていいものではない。
だけど、俺の目に見えるのは、魔法のスクロールだ。
「驚いてくれて嬉しいんだが、こいつは本物じゃない」
「本物じゃない?」
触ってもいいかと聞くと、どうぞセンパイは頷いた。ゆっくりと触れた紙の感触に、この魔方陣。どうみても本物にしか見えない。
「すごい。本物みたいだ」
俺は本物を学院の授業でしか見たことはないが、これが贋作とは驚いた。どこで手に入れたんだと聞こうとしたとき――
「そうだろう? 忍び込むのに随分時間がかかった力作だ」
センパイのその言葉に「は?」と口が開く。
「忍び込む……?」
「家にはいくつか魔法のスクロールがあるが、なぜか我が家は一般的な火のスクロールがない。まさか魔法学院に忍び込んでこの目で火のスクロールを拝むだけで、2年かかるとは思わなかった」
センパイはやれやれと言った顔をしているが、犯罪だ。国一番の魔術学院でさえも3本しか所有しておらず、常に厳重に管理されているそれを、部外者が忍び込んで見るなど国家級の犯罪だ。
「俺は贋作作りのために見ただけで、盗んではいないから、グレーだ」
そこは違うぞと強調するセンパイに、まっ黒だろうと、少し距離を取った。
犯罪行為をどうやったかなんて、国を守る騎士として知りたくはないけど、それほどまでして作ったのがこの贋作か。
「……センパイ、俺は何をすればいいんだ」
そう聞くと、センパイは少し驚いた顔をしてから笑った。
「いつものように力を込めてくれ」
「俺は魔法は使えない」
知っているだろうと顔を上げると、センパイはただ俺を待っていた。
やれと言われているのだからやろうと、意を決してスクロールを左手に持って、力を込める。だが――まったく力が伝わっている感じがしない。
「どうだ?」
「いや、何か……ただの紙?」
俺でも本物のスクロールを使ったときは魔方陣は微かに浮かび上がる。でもこれは、それすらもない。いや、そもそも贋作なのだから、魔法が発動するはずがない。
「まったく光らないとは、やはりだめか。デューイありがとう。まずはインクだな」
センパイは試す前から分かっていたような口ぶりでそう言ってから、贋作のスクロールを巻き始めた。
「センパイ。インクって? そもそもそれ、偽物だろう?」
「あぁ、魔法のスクロールの紙の方は、一般的なこの地方の紙が使われていることはわかっている。できるだけ昔と同じ製法を再現させたから恐らく紙は問題ではない。となると、大量の魔素を送っても光りさえしなかった原因はやはりインクだ。と言っても、何を使えばいいのかはさっぱりわかっていないが」
センパイの言葉に驚いた。
「まさか、本気で魔法のスクロール作る気なのか?」
「そうだ」
正気かと笑ってしまいそうになって、センパイの真剣な目に慌てて顔を引き締めた。
センパイは俺の顔をまっすぐ見つめている。
「あるってことは、誰か作った人がいる。なぜこの世界の人たちは誰もが作れないと信じ込んでいるのかがわからない」
「いや、作るって……」
国宝級のものを普通作ろうなんて考えない。
「デューイ。学院所有の魔方陣しか見たことがないから知らないと思うが、魔方陣の書き方には一定の法則があるように見える。それを解き明かせば、きっと新しい魔法も作れるだろう――そして、デューイが魔法を使えない理由も分かれば、君も魔法くらいは使えるようになるんじゃないのか?」
魔法のスクロールを作るくらいだったら、俺が魔法を使えるようになることの方が遙かに簡単だろう。
「わかった。協力しよう」
いや、あの契約書には破棄する方法は書いてなかった。俺はこのセンパイと一蓮托生だ。
俺がそう言うと、センパイは意外なほど嬉しそうに笑っていた。