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24話 てるてる坊主



 干していたシーツを取り入れて畳んでいるとき――

『アリスは俺が守るよ』

その横顔とその言葉をまた思い出して、狼狽して俯いてから、ぎゅっとシーツを握りしめた。


 落ち着きなさい、アリスティア。彼は誰にだって、ああいうことを簡単に口に出す人よ。騎士とかいう、女の子にキャーキャー言われることにすべてをかけている人たちのことを、あなたはよく知っているでしょう?

 彼は、そんな狙いで言ったのではないかもしれないけど、呼吸をするようにあんな言葉を女性に贈るくらい、これまでそういう家庭で育ってきた人なのよ。毎回、毎回彼の言動でいちいち動揺するなどと、貴族の淑女たるのにあなたはなんてみっともない――

「アリス」

「ひゃあ!」

後ろから聞こえた声に軽く飛び上がって、腰のスクロールに手が伸びる。

 どきどきしながら振り返ると、彼は両手を挙げて後ろを向いていた。


「悪い。何も見ていない、と思う……」

自分のぼさぼさの髪に気がついて、慌てて髪を手ぐしでといてから、顔を上げる。表情をツンと、いつものように引き締めた。

「少し驚いただけよ」

待ち合わせ時間は昼の1時。空を見て判断するなどということに慣れていないから時刻がよく分からない。

「時間かしら?」

「あぁ。センパイとの待ち合わせ場所に行こう」



 今日を随分前から楽しみにしていたマルセルを、彼は軽々と背負って外に出た。

「デューイ様。すみません」

「しんどかったら、遠慮せずにすぐに言うんだぞ」


 マルセルは始めはロデリックの用意してくれる食事を、戻したり下したりすることが多かったけれど、最近はちゃんと食べきれるようになった。

まだ、3週間。すっかり良くなったとは言えないけれど、それでも毎日あの子は楽しそうに過ごしている。


 私は、あの人たちに感謝している。感謝という言葉では言い表せないほど感謝している。

 でも――


『感謝しているわ』


 どうして私は自分の感謝の言葉を、正しく伝えることができないのだろう。

 どうやったら私は、私の感情を、その重さを正しく伝えることができるのだろう。

 私には、そのやり方がわからなかった。


「デューイ。ありがとう」

「いいって」

いつものように彼は笑って答えてくれるけど――でも、私の気持ちが正しく伝わっている気がちっともしなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ロデリックの用意してくれた馬車で移動する。横のマルセルを見ると、窓に張り付くように、窓の外を流れ行く王都の景色を眺めていた。

「マルセル。移動中は少し休みなさい」

マルセルはそんなこと言わないでという顔で私を見上げたあと、自分でも分かっていたのか、困ったように笑ってから目をつぶった。

「休みます。姉様」

そう言ってマルセルは壁に頭を付けてもたれ掛かるが、馬車の揺れでがたがたとその頭が揺れている。

「マルセル、私の肩にもたれ掛かりなさい」

マルセルはしばらく驚いた顔で私を見てから、「すみません。姉様」と私の肩にもたれ掛かった。

 マルセルが私の肩にいるから、あまり頭を動かすことができない。どこを見ればいいのかわからなくて、私は必死にロデリックとデューイの間の空間を見つめていた。



「着きました」

従者の声に窓の外に目をやる。孤児院と聞いたから、郊外の大きな施設を想像していたけど、王都の真ん中の汚れた普通の民家だった。

 私がマルセルを連れて馬車を降りると、先に降りたロデリックがまっすぐ孤児院を見上げていた。孤児院の窓から、何人かの子どもたちがこちらを見下ろしている。

「どうかしたの?」

「いや、こんな場所なのだな……」

入ろうとロデリックが扉をノックした。

「ようこそお越しくださいました」

笑顔で現れたのは孤児院の先生と見られる中年の女性。小さな男の子がその胸に抱えられていた。

「邪魔をする」

「いえいえ」

順番に中に入る。日当たりが悪いからか、少し薄暗い部屋だった。その中で何人かの子どもたちが緊張した様子で私たちを遠巻きに見ていた。

「皆、こっちに来なさい」

孤児院の先生がそう言っても、誰もこちらにはやってこない。どうすればいいのか分からずロデリックとデューイを見ると、二人は長机に座って、準備を始めていた。

「アリス。やろう」

デューイの言葉にえっと首を傾ける。

「子どもたちを呼ばなくていいの?」

私の言葉にデューイが子どもたちの方に顔を向けた。

「良かったら手伝ってくれ。お菓子もある」

ロデリックがごそごそと鞄の中から箱を取りだした。ふたを開けて、机の角に置く。

「アリス。あとは勝手にやってたら、集まってくるって。じゃあマルセルもやろう」

最近はてるてる坊主を毎日作っているマルセルが、手際よく白い布を広げ始めた。古着を丸めて、白い布で包んで、くるくるっとまとめてから一生懸命ほどけないように紐で縛っている。そして、ロデリックが用意してくれた棒きれに、インクを付けて、少し笑ったような顔を描いた。

「姉様。できました」

「ありがとう。マルセル」

「なぁ!」

後ろを振り返ると、2人の男の子が私の後ろからマルセルが作ったてるてる坊主を覗いていた。

「てるてる坊主作ってんの?」

孤児院の子どもたちはてるてる坊主を知ってるらしい。

「ええ。そうよ」

そしてマルセルの作ったものを見て、少し笑ってから、俺も作ると席に座った。

「はい、これ布だ」

デューイが材料を渡すと、その子は器用にひょいひょいと作り始めた。そして、どうだと自慢するようにマルセルに見せる。

「え、変な形」

頭だけが大きくて下が短い不格好な形だ。しかも、怒ったような顔。

「こういうのがいいんだよ」

自信満々なその子の様子に、マルセルがほんと? と焦ったようにデューイを見上げると、デューイは笑っていた。

「はい。報酬の飴だ」

ロデリックがその子の口に飴玉を突っ込むと、子どもたちがつぎつぎとこちらに集まってきた。



 一時間もすれば、用意していた材料はなくなった。

 できあがったてるてる坊主を私たちの家に飾ってもいいのだけど、孤児院の広い窓につり下げさしてもらう。マルセルもやりたがっていたけれど、上を向いて立つのはしんどいだろうということで、座らされていた。

「何、お前白いけど病気なの?」

始めにてるてる坊主を作ってくれた男の子が、ぶしつけにマルセルに聞く。マルセルが傷ついた顔で「そう」と頷いた。

「ふーん」

そう言って、マルセルをじろじろと見てから、なぜか私を見上げた。

「でも、お前のねーちゃん綺麗じゃん」

綺麗? 何の関係があるんだろう。理由はわからなかったけれど、笑顔でこちらを見上げている少年に「ありがとう」と伝えた。

「いいってことよ」

ませた少年はニカッと笑ってくれた。


 何だったんだろうと思いながら、マルセルの方を向くと、マルセルは拳を揮わせて私を見上げていた。

「姉様。僕、頑張ります! 頑張って元気になります!」

「マルセル?」

なぜか燃えているマルセルの肩を、ロデリックが苦笑しながら叩いていた。



 ちょっと置いてけぼりの空気に、そう言えばミラはどこに行ったのかしらとミラを探す。

「アリス――」

「デューイ。ミラを知らない?」

デューイがしばらく無言でこちらを見つめてから、出入り口とは反対側の扉を指さした。

「女の子たちと中庭で遊んでくるって」

「わかったわ」

扉を開くと、ミラが花壇の脇に座って、小さな女の子をその膝の上に乗せているのが見えた。その場に近づくにつれ、聞こえてきた小さな二つの歌声に、いつものように『あぁ、この子と結婚したいな』と思ってしまう。私が男なら、絶対にこの子がいい。

「アリス様」

そんな子が、なぜロデリックのことがそこまで好きなのか、本当によく分からない。


 ミラがロデリックにひどいことを言われたあの日、私は、これでやっとミラの目が覚めると思っていた。だけど、やっと追いついた私に向かって『アリス様。私はどうしたらいいのでしょうか』とミラは泣いていた。

 『兄様に……兄様だけにベルと呼んでもらいたいのです』とミラは泣いていた。


 女の子が生まれたとき、女の子は二つの名前を与えられる。普段みんなから呼ばれる名前と、恋人や夫だけに呼ばれる愛しき名――母親はその響きが綺麗なように、その子が愛されてその名を呼ばれるようにと、一生懸命考えてその名を付ける。


 相手があれである理由はわからないけど、好きな人が婚約者なのは素敵だなって思う。その人に、その人だけに、愛しき名前を呼んでもらうのはきっと幸せなことだろうなって思う。

 いいな。うらやましいなって、心の奥底で少し考えてしまう。


 だから、納得できない部分はあるけれど、ミラがロデリックと無事結婚できるように私はあのときアドバイスをした。

『好きだとロデリックに迫らないように。これまで通りで行きましょう』

ロデリックは押されると、すごく面倒になるタイプだろう。そして、ロデリックの方からは他の女子に何もしないのは分かっているから、放っておけば、ミラと結婚することになる。ライバルもいない今、何もしないのが、一番良い戦略だと思うとミラには告げた。

『アリス様は、兄様のこと……』

『ないわ、あれはないわ。家名に誓っていいわ。ない』

向こうも私のことなど、スクロールの付属品としか思っていないだろう。紛れもなく本音なのに、ミラはまだ少し不安に思っているようだ。



 ミラが膝に女の子を乗せたまま、ほわほわと笑ってこちらを見上げた。

「アリス様。何か童謡はご存じですか?」

ミラの隣に座って、小さく深呼吸をしてから、久しぶりに歌を歌う。ミラと、ミラの膝の上の女の子は、静かに私の歌を聞いてくれていた。

「かわいらしい歌ですね。初めて聞きました」

「そうなの? ライラント領だけの歌なのかもしれないわ」

さっきミラたちが歌っていた歌は私はしらなかったし、お互い様かもしれない。


 そのとき、家の中から聞こえた歓声と、

「わぁ新しいお菓子だ!」

という声に、膝の上の女の子が慌てた様子で立ち上がって、行ってしまった。

 建物全体から聞こえるドタドタとした足音に笑っていると、私の隣でミラが「実は3種類用意しました」と内部事情を教えてくれた。


 ふと見えた窓ガラスの向こう。そこに、お菓子を大盛りに積んだ大皿を両手に持って、下にいるらしい子どもたちに向かって何かを叫びながら、慎重に歩いている彼が見えた。

「ねぇ、ミラ」

「何でしょう」

「ねぇ、どうすればもう少し素直になれるのかしら……」

ミラがじっと私の顔をのぞき込む。

「アリス様は何かを我慢しているのですか?」

そう聞かれて考え込む。

「えっと……何て言うのかしら。もう少し自分の気持ちを優しく表現できたらいいのになと思うの。私、いつもきつい言い方になってしまうから」


 いつもあとで振り返って、あのときどうしてこう言えなかったんだろうって思う。

 言われた言葉の意味をそのまま受け取ってしまって、あとであの人は本当はこう言いたかったのではないかと気がついて、何も気がつかず無神経な言葉を言ってしまった自分に後悔する。

 どうして、素直に微笑んで、可愛くありがとうと言えないのだろう。


「もう少し、可愛く言えたらいいのになって思うの……」

ミラを見ていると、私も可愛いなって思う。絶対にこういう子の方がいいのだろうなって思う。ほんの少しだけ嫉妬してしまう。そのミラは、首を傾けてこちらを見ていた。

「アリス様はかわいらしいと思いますが」

「あ、ありがとう。でも、ミラといるときだけでなくて、普段からこう……」

ミラの視線の強さに、視線を逸らす。


 ミラに突然、がしんと両肩を掴まれた。

「アリス様。大丈夫です。今ので、殿方はそのギャップにメロメロですよ」

メロメロ? どういう意味だろう。

「アリス様。それに、殿方にはいろいろな趣味の方がいらっしゃいます。どう見てもあの方は、アリス様のツンとした対応を喜んでいるので、そのままで大丈夫ですよ」

あ、あの方。ミラの視線の先――ミラは私が心配している人が、はっきりとわかっている。

 彼は私に対して、「もっと可愛く対応しろよ」と、「何だあの態度は」と、陰で怒ってはいないのか。そのことがわかって少しほっとしつつ、でもやっぱりもっと素直になれるよう頑張ろうと決意していると、ミラがぼそりとこぼした。


「騎士の誓いか。いいなぁ」

その言葉にそのときのことを思いだす。びっくりして、何も考えられなかったはずなのに、鮮明にその場面を思い出そうとする自分に気づいてぎゅっと目を閉じた。

「え、えっと違うわ。あれはそういう契約ではないの。ロデリックのために……あの人は、何て言うのかしら。想像もつかないほどお人好しで、自分が何をしているのかなんて深く考えていないのよ。だから――」

ミラがにやにやと私の顔をのぞき込んできたので、逃げるように横を向いた。


「明後日、晴れるといいですね」

その声に横を向くと、ミラは真面目な顔で空を見あげていた。

「そうね」

私も一緒に青い空を見上げる。

「あっそうだ。アリス様。お祈りをしましょう!」

ねっ? と可愛く頼まれて私は頷いた。


 祈りなんて効かない。そんなことは分かっているけれど、必死に祈るミラの隣で私も集中して祈った。


「明後日は、晴れますように」

あの人が、国のために大けがをしませんように。


 目を開いて、空を見上げる。

 それから首を傾けて窓ガラスに目をやると、ぎゅーぎゅー詰めに並べられた、いろんな顔つきのてるてる坊主と目があった。



 今日の祈りは、何だか初めてちゃんと効きそうな気がした。





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