幕間 門のスクロール
(デューイ)
ただ黙って座っていることなんてできなくて、暇さえあれば剣を振っていた。
「デューイ坊や。どうしたの? 今日は」
「坊やって言わないでください」
騎士団の人にはそうからかわれていたけれど、この人たちは真面目に俺の相手をしてくれた。がむしゃらに剣を振って、腕が動かなくなっては意味がない。常に最高の力が出せる状態で、きりきりと押さえつけられるように感じながら、暴れようとする腕を止める。
「何かあったのか?」
「団長」
何かあった――いや、俺には別に何もない。いつも通りだ。アリスもあれが普段通りの生活なのかもしれない。でも、
「俺は、何もできない……」
そう言って顔を上げていられなくて下を向くと、「若いな」「若いぜ」と周囲から次々に声が上がった。
顔を上げると、皆の視線が一点に集まっていた。その視線を追いかけるように団長の顔を見る。
「えっと、デューイあれだ。焦っても意味はないぞ」
「……はい」
「焦っている暇があれば、その都度、何が最悪かを想定しろ。その最悪に対して、自分が今動くことで、何を回避できるかを落ち着いて考えてから動け」
俺にとって最悪なこと。アリスの身に何かあることだ。
それに対して今の俺が、できること――俺が身一つで国境に行くことはできる。だけど、それが最善なのかは自信がない。
「団長。誰かに相談してもいいですか?」
「もちろんだ。それができるなら一人で考え込まないことだ」
俺が格好付けて一人で突っ走ることはできる。だけど、勝手にそんなことをして、肝心なときに俺がいなかったら意味はない。
当事者であるアリスと、センパイに相談しよう。先週は『待っていろ』と言われたので言われるがままに待っていたけれど、来週はもっと俺の思いの丈を伝えよう。そして、剣を振るうのもいいけど、魔法の練習もしよう。さっそく今から、近くの森に練習に行こうと立ち上がる。
「わかりました。ありがとうございます」
団長にしっかり礼をすると、「まぶしい」と騎士団員の皆は俺を見て、なぜか目を押さえていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月曜日は雨だった。
アリスはいつの間にか起きて、その雨をじっと見上げている。
「アリス」
知らずに声が出ていて焦っていると、アリスは驚いた顔でこちらを振り返った。
「何?」
「……雨は嫌い?」
アリスは考えるように再び窓の外に目をやる。
「その、よく見ているから」
「ええ、嫌いよ。大嫌いよ」
アリスのその辛辣な言葉に何か言葉を返そうとして、何も考えていなかったから何も思い浮かばない。慰めた方がいいのだろうか。いや、同意するべきなのか?
「えっと、じゃあ……てるてる坊主……作ろう」
「てるてる坊主?」
アリスは俺の言葉を繰り返して、首をちょこんと傾けている。
「てるてる坊主って言うのは、雨の降らないおまじないのようなものだ」
そう言ってから「子どもたちの……」と続ける。
俺はさっきから何を言っているんだろうと、顔が熱くなっているとアリスは遠くを見つめて微笑んでいた。
「ふふ。良いわね」
「祭りの前の日とか凄いんだ。数が増えたら効きやすいなんてことはないと思うんだけど、王都の住宅街に行くと、凄い数のてるてる坊主が窓からぶら下がっている。なんかそれを毎年見る度に、お前らどんなに――」
アリスがこちらを振り返った。
「どんなに、楽しみなのかなって。祭りの日は俺の家は仕事なんだけど、晴れた空を見て、子どもたちが楽しそう広場に走って行くのを見るのが、すげー好きなんだ」
しばらくのんびりとその光景を思い浮かべる。そして再び俺は何を言っているんだと、動き始めた頭で焦っていると、アリスは楽しそうにこちらを見ていた。
「ねぇ、それを作るの手伝ってって言ったら、子どもたちは手伝ってくれるかしら」
「大丈夫。喜んで手伝ってくれるよ。だってアリスはお姫様だから」
「お姫様? 私は姫ではないわ」
「王都の庶民から見ればアリスみたいな人はお姫様だ」
もしかして姫みたいと言われるのは嫌なだろうか? アリスは何やら考え込んでから、こちらを見上げた。
「じゃあ、今度頼もうかしら」
その笑顔に俺は頷く。
「わかった」
家に帰って近所の子どもに頼めばもちろんできるけど、この辺でも、センパイの飴とミラがいれば何とかなるたろう。そうこう考えているうちに、先生が教室に入ってきて授業が始まった。
放課後、立ってカバンに荷物を詰める。
「デューイ」
声の聞こえた方に視線を向けると、斜め下でアリスがこちらを見上げていて驚いた。俺の名前を覚えていて、呼んでくれたことに驚いた。
「アリス」
アリスはなぜか一度斜め下に視線をずらしてから、もう一度こちらを見上げた。
「今日は、寄らずに帰るわ」
「わかった。えっとその――」
周囲を警戒して小声で続ける。
「無茶はするなよ……」
俺はこんなことしか言えないけど、無理して笑っていると
「ええ」
アリスは「じゃあね」とすぐに教室を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
雨の中、傘をさして倉庫に向かう。
倉庫の扉を開くとセンパイが先に待っていた。最近センパイはここに来るのが早い。よほど毎日楽しみなのだろう。
「アリスティアは?」
「アリスは今日、そのまま帰るって」
「そうか」
再び紙に向かったセンパイを置いて、俺は魔方陣の生成の練習をする。アリスに一度見てもらったところ、俺のやり方はただ力任せにぶつけているだけで、魔素の調整が下手どころか、まったくできていないらしい。
魔素の調整って何だ? と何一つ分かっていない俺は、手袋のない状態でも魔法が発動できるようになるまで、ひたすら魔方陣の生成の練習をしていた。だけど正直言って、進んでいる気がまったくしない。
「こんにちは」
「おう、ミラ」
ミラがカバンを両手で持ってこちらに頭を下げた。
「アリス様は?」
アリスが今日ここには来ていないことを伝えると、ミラはセンパイの隣に座って、学院の課題を始めた。
雨音の中、それぞれが自分の作業を進める音だけが部屋に響く。一定間隔で鳴る雨音。だからこそ、それを乱すその足音は、すぐに俺の耳が捕らえた。
「誰か来る」
二人にそう伝えて、剣を袋から取り出してドアの死角となる位置まで移動する。左手で二人に下がるように指示を出した。
扉ががたがたと音を立てて開かれる。
「まだ居た! 入れ違いにならずに済んで良かったよ!」
「お邪魔しまーす」
軽い二人の男の声とちらりと見えた魔術学院の制服に、抜いていた剣を鞘にしまった。その音に気がついたのか、先頭の少年は俺を見つけてぱちぱちと瞬きをしている。
「僕、もしかして斬られてた?」
「いや、音だけじゃ誰か分からなかったから」
制服は着ているが、俺より年下に見えるこの男子は誰だろう。そして、もう一人は、
「イヴァン?」
「よう。デューイ」
俺のクラスメイトのイヴァン・オストレルだ。どうしてイヴァンが? とセンパイたちを振り返ると、二人の顔は驚いていた。
先頭の少年だけをまっすぐ見つめたセンパイが声を出す。
「ルイス・レザリント。何の用だ」
レザリント――国境を守る3侯爵家のうちの一つ、レザリント侯爵家の人間か。そう言えば確かイヴァンはその辺りの伯爵家の出身だ。この緊張感と、センパイがさっきまで描いていたスクロールを隠すように立っている理由がわかった。
ルイスは驚くセンパイたちの様子を楽しんでいるように見える。
「今日僕は、あなたたちがしていることについて聞きに来たわけじゃないんだ。だから、そんなに緊張しないでよ、ロデリック・アーチモンド。じゃないと僕がここの騎士さんに斬られちゃうでしょ?」
いや、俺は軽々しく人を斬ったりしない。そう言おうとしたら、センパイが俺に意味深に目配せをしながら首を振った。どういう意味かさっぱりわからないが頷いておく。
「では、何の用だ」
口調の固いセンパイに対して、ルイスは笑顔だ。
「さっき僕のもとに知らせが入ってね。あの量だ。今日で、もうだめじゃないかなってさ」
「だめって何が」
思ったときには口に出ていた。ルイスがこちらを向く。
「もちろんアリス様だよ」
「だめってどういうことだ」
ルイスの肩を掴む。
「離せ」
こちらに向かって放たれた殺気と俺の腕を掴むイヴァンの手に、ルイスの肩から手を離した。だけど、目は逸らさない。ルイスは俺のことを苛立った目で見上げている。
「領地内で揉めているのか知らないけど、ライラントで何かあったときにその穴を埋めるのは、結局僕たちレザリント家かストレル家だ。はっきり言って、迷惑なんだよね。こっちもこっちで忙しいのにさ。だからね、お友だちの君たちで何とかできるんだったら、何とかしてほしいんだ。僕たちの手を煩わせる前に」
ルイスはそう吐き捨ててから、左の腰から一本のスクロールを取り出した。そして、俺たちの前で自慢するようにそれを広げる。
「だから今日だけは特別に、僕が、送ってあげるよ」
ルイスが作り始めた魔方陣。それに触れないようにジャンプで大きく下がると、ルイスができあがった魔方陣を先ほどまで俺が居た地面に、ペッと貼り付けた。
「さぁどうぞ」
地面に張り付いたまま輝く魔方陣を指して、ルイスは怪しげに笑っている。
「ルイス・レザリント。その門はどこに繋がっている?」
「レザリントとライラントの国境沿いだ。ライラント領への行き方は、向こうに誰か居ると思うから、そいつに聞いてよ」
門――これが門のスクロールか。そして、この先にアリスがいる。
迷うことなど何一つない。
「センパイ、俺行ってくるよ。悪いけど、持って行った方がいいものを教えてくれ」
手早く自分の荷物をまとめて、スクロールを受け取るために手を伸ばす。
「俺も行こう」
センパイが真面目な顔で頷いた。
「私も行きます」
「何人でもいいよ。でも早くしてね」
いらいらとしているルイスに睨まれながら、センパイとミラも慌てて準備をしている。センパイはなぜかさっきまで描いていた巨大なスクロールと筆とインクをカバンに詰めてから、こちらを振り返った。
「デューイはこの辺にあるの、すべて持って行ってくれ」
センパイが差示す方には、えっこれ全部という量のスクロールが転がっている。だけど、持って行けと言われているから持って行こう。すべて袋に詰めて肩に担いだ。
「行こう」
振り返ると、センパイとミラが順に頷いた。
「デューイ、頑張れよ。オレは応援してるぜ」
なぜかイヴァンに応援されて、
「おう」
あとは何も考えずに、輝く魔方陣に飛び込んだ。