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18話 さようなら

(アリスティア)


 嬉しかった。私は、嬉しかった。


 ただ、私の味方になると――その言葉だけで、心がほっとして、胸が詰まって、何も話せなくなって、泣いてしまった。


 みっともないと、思い返すたびにそう思って――でも、あのときのことを思い出すとまた泣きそうになる。



 ときどき本当に少し泣いて、すっきりしたあとに思うの。

 あともう少し、頑張ってみようかなって。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ティア。どうしたの?」

「いつも通りです」

私の隣に座った男に延々と手の甲を撫でられ続けながら、ときどき男の腰あたりを盗み見る。男の腰にはスクロールはない。私がドレスの下に隠しているように、男もどこかに隠しているのだろう。

 だけど、この男の下の服装はぴったりとしたパンツだ。上着のどこかだろうか?

 目線を斜め下に向けて、男の上着を見る。男の上着は顔と同じように派手だ。金色や赤のふさふさとした装飾がたくさんついた服――社交界ではこれが最先端なのかもしれないけど、好きじゃない。私はもっとこう、衛兵のようなかっちりとした服が好きだ。

 今日は途中で疲れたと言って貴族の会合を抜けよう。男が室内に入れば上着を脱ぐようなチャンスが来るかもしれない。そう決めて、手を絡ませてくる男――ツヴェルク伯爵を無視するように、今日も視線を窓の外に向けた。




 怪我をした左腕。それを隠すために、今日は少し長めの袖のフリルで隠している。だから誰も気づいていない。

 貴族たちの話は適当に流して、そろそろ頃合いだろうとグラスを置いて、会場を離れようとしたとき

「ティア。どこに行くの?」

当然のように、ツヴェルク伯爵はそんな私を見つけた。

「疲れたので、少し休ませて頂こうと」

「それは大変だ。部屋を用意させよう」

周囲の視線があるので、伯爵はテキパキと指示をしている。私を恨めしそうに見る女性たち。是非私と立場を変わって欲しいと言いたかった。


「ティア。こっちだ」

皆から見えない角度で『大人しく付いてこい』とその目が言っていて、引きずられるように私は伯爵のあとに付いていく。部屋の扉を自分で開いた伯爵が、私の肩を押して部屋に押しこんだあと、扉が閉まった。振り向くと、まるで部屋の出入り口を閉ざすように伯爵が扉の前に立っていた。

「ティア。腕を見せて」

立ち止まって伯爵から目を逸らすように、壁に掛かった絵を見ていると左腕を思いっきり引かれる。痛みに声を出さないよう我慢していると、ドレスの袖を一気にまくられた。

「うわぁ、何これ……」

自分から見たくせに、伯爵はまるで私の腕に気持ちの悪い虫でも見つけたように、私の腕から飛び退いた。そして、私の傷跡を陰鬱な顔でちらちらと見ている。

 その様子にぐっと唇を噛んでから、下を向いて自分の袖を自分で元に戻した。そして、何でもないように顔を上げて、せめて指摘される前に自分で言う。

「怪我をしました」

「ティア。これから一生、長袖だけを着るつもり?」


 この男が心配するのは、まずそこだ。

 人の痛みなんてまるで分かっていない。いや、私のことを同じ人だと思っているのだろうか。だから、私は私の婚約者であるこの男が大嫌いだ。


「仕方ありません」

誰がこの男の前で弱音など吐くか。

「仕方ないって、ティアは女の子なんだよー?」

その言葉を聞き流して、部屋にあった椅子に勝手に座った。さっきまで気分が悪いというのは嘘だったけれど、この男と話していると本当に気分が悪くなりそうだ。

 椅子に座って、少し長めの息を吐いていると伯爵が私の向かいに座った。


 作戦は上手くいっているはずなのに、出て行ってくれはしないかと私の心は願っている。

「ティア。意地をはるのは辞めよう?」

いつものように私を優しく諭す伯爵を、無表情で見上げる。

「体に傷を付けてまで、ティアが頑張らないといけないことではないだろう?」


 何を言っているのだこの男は――

 これは私が命を賭けてまでやらないといけないことだ。そして、それを引き起こしているのはお前だ。


 門のスクロールさえあれば。あれさえあれば、私の移動も少しは楽になる。

 そして――あの騎士の男の子が、私を手伝ってくれるかもしれない。


 この男が門のスクロールをどこに隠しているのかはわからない。

 でも、服のどこかにはある。


 私は顔を上げた。

「ツヴェルク伯爵は体に傷のある私では嫌ですか?」

そう言ってから、ちょこんと首を傾ける。

「触れられませんか?」

「ティア。誘っているの?」

伯爵が立ち上がった。その顔をじっと見つめる。

 

 伯爵が私の二の腕を掴んで、その顔が徐々にこちらに近づいてきた。震えそうになる体をぐっと堪えて、最後は目をつぶると左のまぶたの上に口づけられた。

 心底ほっとして目を開くと、伯爵は私をからかうように笑っていた。それに、困ったような演技を返す。


 立ち上がった伯爵から顔を隠すように下を向いて、急いで気を静める。

「ティア。こっち」

伯爵の呼びかけに顔を上げて――伯爵が指し示したものを見て体が凍り付いた。

 隣の部屋へと続く扉。その扉を薄く開いてツヴェルク伯爵は私のことを待っていた。

「ティア」

優しい声と優しい笑顔。それが、なぜこんなにも怖いのだろうか。

 扉の隙間からわずかに見える奥の部屋。体が震えて、止まれと頭の中で命令しても体の震えは止まらなくて、足は縫い付けられたように動こうとはしなかった。


 今回だけ我慢して、門のスクロールを手に入れれば、もう何も恐れる必要はないかもしれない――そんな未来が見えていても、体は動こうとはしなかった。


 動いて。お願いだから、動いて。


 アリスティア、動きなさい!


「ティア」

いつの間にか伯爵は私の目の前に居た。そして、突然私を抱きしめてから、私の額に口づけた。

「まだ怖いんだね。ティアが18歳になるまでは、私から手を出したりしないよ」

そう言ってから、私の顔をのぞき込んで大丈夫だよと笑った。



 18歳の誕生日など一生来なくていい。

 そう私は神に願った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 屋敷に戻って、メイドを部屋から追い出してから、ドレッサーの前に座って、左のまぶたと額をタオルでごしごしとこする。気の済むまで赤くしてから、タオルをゴミ箱に投げ捨てた。脱いだドレスは、あとで燃やそうとベランダに放りだす。

 そして、下着姿のまま、ベッドに倒れ込んだ。

「できなかった……」

私は失敗してしまった。門のスクロールは手に入らなかった。


 涙が溢れてきて、流れるまま枕に吸い込まれるように涙を落とす。しばらく、呆然と涙を流してからのろのろと顔を上げた。

「行かなくちゃ……」

こんなところで泣いている場合じゃない。もう時間だ。急がないと。


 今週はずっと天気が良かった。そして今日も天気が良い。

 来週も、きっと晴れるだろう。


「来週――来週末にまた頑張ろう!」

天井に向かって、空元気でそう宣言する。その瞬間、『アリス。気を付けて』といつも本気で私のことを心配してくれているあの男の子の顔が頭に浮かんで――また別の意味で泣きそうになってから、だけど口元に少しだけ笑顔が戻った。




 私の願いが通じたのは、それから2日間だけだった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 見たこともないような数の魔物を、魔力の温存など少しも考えずに始めから全力で倒し続ける。だけど雨の中では、火の勢いは衰える。

 威力の弱い火の魔法でやっと小さい魔物をすべてを焼き払って、後ろを振り返って目に入ったのは――大きな影。その姿に、何も考えずに召還のスクロールを取り出して、宙に穴を開ける。虚空に開いた異世界への穴へ手を入れようとして、自分の魔素がもう足りないのがわかった。

 あの魔物を倒すために召還するもの――それを従えるのに必要な力がもうなかった。


 手を伸ばして、下ろして、ただそればかりを繰り返した。


 そして、顔を上げて斜め上に見えるのは、自分に向かって振り抜こうとされている私の体よりも大きな太い腕。反射的に顔を守るように腕を上げて、ただ自分が死ぬまでの時間を待った。

 ずいぶんと長い、死までのその時間。突然やってきたのは、思ったよりも柔らかい衝撃。

「クウ……」

肌が感じ取ったのは羽毛の感触。

「リルメージュ!」

やっと私は気がついた。


 何とか受け身を取って顔を上げて、少し向こうにぽとりと倒れているリルメージュが目に入った。そこに全力で駆け出す。

「リルメージュ!」

目をつぶって休んでいるリルメージュの体を揺する。私が何度も呼んでいるのに、どうしてかリルメージュは起きてはくれなかった。

 そのとき、肩先を何か重みのあるものがかすって私は吹き飛ばされた。雨の中、ぬかるんだ地面に顔から突っ込む。

「リルメージュ……」

暗い雨の中、リルメージュの白い体と、鮮やかなオレンジ色の羽根先だけがやけに目に残った。




 命を落とすこともある初めての召還の儀。私の背中を支えてくれる父様がいなければ、逃げだしていただろう緊張の中で、彼女は現れた。

 白い大きな鳥のような姿をした美しい彼女。その彼女に気を取られていた私たちの前で、彼女は『ここはどこ』と言うかのようにきょろきょろと周囲を見渡したあと、『何の用かな?』と楽しそうな顔で私の顔をのぞき込んだ。


 それからリルメージュは毎回現れた。召還のスクロールで異世界へと繋ぐ穴を開くたびに、なぜか彼女が一番に――たとえ練習として、私が別の獣を呼び出したいときでもだ。

 何度、緊張してえいと引っ張り出しても、どーんと現れるのは必ず彼女で、困ったと笑いながらいつも私は彼女に抱きついた。そして、少し大きくなった私は、いつも彼女に見守られながら、異世界へと続く穴から獣を呼び出した。




 雨水と泥で視界がかすむ。だけどリルメージュの姿だけはよく見える。小さい頃からずっと一緒だったから、私が見失うわけがない。

 痛む肩を引きずって、ぬかるんだ地面を這うようにリルメージュの下に進む。

「リルメージュ」

やっと、指先がリルメージュの足に届いた。

「リルメージュ、ありがとう――」

引きつる喉を噛みしめて、きらきらと端から光り始めているリルメージュの体が崩れ落ちる前に、最期の力を振り絞って、召還のスクロールで地面に穴を開ける。リルメージュの体は吸い込まれるようにその穴に落ちていった。


 それを見届けてから、穴の消えた地面に向かって私の想いを伝える。

「さようなら。今までありがとう……」


 暗い空を見上げれば、私を叩き潰そうとする大きな手のひらが見えた。

「さようなら、マルセル」


 『姉様、魔法を教えてください!』と私の腕を引く元気な弟。それを他人事のように楽しそうに見守るお父様とお母様。


「ごめんなさい。わたしは――」







「アリス!!」

突如目の前で響いた轟音。そして巻き上がる黒煙に、私は咳き込んだ。


「アリス! 大丈夫か!」

耳がおかしくなったのだろうか。そう思えるくらい、その声はやけにはっきりと耳に届いた。

「悪い、巻き込んだ。動けるか?」

そう間近で声を掛けられながら、ひょいと体を起こされる。

 体を支えるように自分で地に手を突いてから、ゆっくりと顔を上げて目に入ったのは、私を庇うようにこちらに背を向ける濃茶の髪の少年と、その体の前に展開される身の丈ほどの巨大な魔方陣。


 もっと見ていたいのに。目を逸らすことなんてできないのに。


 そう思っていたのに力が入らなくて、再び前に倒れて私は意識を失った。




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