17話 放課後の15分間
秘密を共有している者として、ちらちらと前が気になってしまうが、アリスは今日も爆睡している。昨日、いいと言われて俺は帰ったが、あれでよかったのだろうか。
放課後、部室に行こうとカバンを肩にかけて顔を上げると、目の前に銀色の髪の美少女がいた。
「アリス」
驚いた。驚いて思わず名前を呼んでしまったので、クラスメイトの視線を感じる。
「行きましょう」
アリスはそんなこと気にもしないようにこちらを見上げていた。
「あ、あぁ」
明日は皆から質問責めだろうかと思いながら、教室を出る。斜め下を見れば、アリスは、俺と歩幅を合わせるように俺の横にぴったりと付いてきていた。歩幅を少し小さくするよう意識してから、口元を引き締めて前を向く。
「昨日は、大丈夫だったのか?」
「いつも通りよ」
せっかく真横に居るのに会話が続かない。けど、学内で俺が侯爵家のお嬢様とぺらぺら話しているのも、変な噂が立って大変かもしれないと考えていると、倉庫に着いた。
「おぉ、来たか」
先に待っていたセンパイが笑顔で立ち上がった。俺を素通りするようにアリスに目をやる。
「アリスティア。時間はいいのか?」
「15分ほどだったら大丈夫よ」
センパイはその言葉に頷いてから、アリスに向かって手を出した。アリスはセンパイの満面の笑顔にはぁと息を吐いてからスクロールを取り出す。
「はい。飛翔のスクロール」
センパイはスクロールを受け取って、いそいそと席に着いて中をのぞき込んでいた。
センパイがはいと適当にこちらに押しやった籠の中を見ると、今日もお菓子が詰められていた。アリスと向かい合うように座って、お菓子に手を伸ばす。
「あのさ、アリス。俺は何を手伝えばいい?」
今日はちゃんと自分の剣を見つからないように袋に入れて持ってきた。アリスはお菓子を飲み込んでから顔を上げる。
「手伝って欲しいのだけれど、ここからこの時間に、普通に向かったのでは間に合わないの」
「間に合わない? えっと、じゃあアリスはどうやって移動しているんだ?」
よく考えると魔物が出るのは国境沿いだ。今から馬車で向かって、日没までに間に合うはずがない。
「私は、リルメージュ――召喚獣に乗せていってもらっているの」
「召喚獣?」
「昨日見せた、あの召還のスクロールで呼び出す生き物よ」
頭の中で、どんな生き物だろうと想像していると、
「アリスティア。門のスクロールはどうした」
センパイの声が投げかけられる。センパイの視線はスクロールに固定されているが、話は聞いていたようだ。
「残念ながら、ライラント領の門のスクロールは侯爵家ではなく伯爵家所有なの」
「つまり、好きに使えないと言うことか」
「ええ」
「すみません……門のスクロールって何でしょうか」
さっきから聞いてばかりだけど、わからないので聞くしかないが、二人から反応がなかった。静かになってしまったので、肩身を狭くしていると、アリスが口を開いた。
「門の魔法というのは、離れた場所を繋ぐ魔法よ。日が落ちてからしか使えないのだけれど、国境沿いの3領は、国防のために一枚ずつ持っているわ」
離れた場所を繋ぐ――国境沿いまでそれで一気に行けちゃうってことか。
「アリスティア。馬車で移動する以外に、俺たちを国境沿いに連れて行く手段は思いつくか?」
「召還のスクロールで、人を運べる大きさのものをもう一体呼ぶこともできるけれど、かなり危険なの。できなくもないけど、やりたくはないわ」
「じゃあ、やっぱ俺が馬車で行くか」
「それだと、学院には通えないわ」
アリスは俺のことを心配してくれているが、俺はついこないだまで学院を辞めるかで悩んでいたくらいだからそこまで大事じゃない。
「別にいいって」
「いいわけないでしょう。何とかするわ」
アリスの言葉に、センパイがペンを置いて顔を上げた。
「アリスティア、何か手はあるのか?」
「門のスクロールよ」
「奪う気か?」
「毎週あの男とは会っているの。そのときに狙ってみるわ」
そんなことをして大丈夫なのかと聞こうとしたら、アリスが立ち上がった。
「じゃあ私、そろそろ行くわね」
「アリス」
そこまで声を掛けてから、自分がこれから言う言葉を考えて、虚しくなった。
「アリス。気をつけろよ」
「ええ」
何かできないか――有り余っている俺の魔力くらい渡せたらいいのに。
そう考えていると俺の隣で、センパイが何やら白い包みをアリスに渡す。
「アリスティア。昨日の頼まれものを持ってきた」
「クッキーは入っている?」
「あぁ。もちろんだ」
「弟が喜ぶわ」とアリスは初めて見るような優しい笑顔をしてから、自分のカバンにお菓子を仕舞った。
「じゃあまた」
せめて俺が扉を開いて、アリスを見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
センパイは紙に写し取った飛翔のスクロールに夢中になっている。俺は、ただ座っているのも落ち着かなくて、剣を持って外に出た。そして、自分の剣を抜いて、ただ無心で剣を振る。
どのくらいそうしていただろう。人の気配に振り向くと、俺から少し離れたところでミラが立っていた。
「ミラ」
「デューイ様、こんにちは。それは、本物ですか?」
頷いてから、こちらに来ないミラを見て、剣を鞘に仕舞う。貴族たちはどうしてこうも毎回剣を振っていると『本物か』と聞くのだろうか。
「アリス様は?」
「アリスはもう帰ったよ」
そう答えてから、倉庫に戻ろうと踵を返したとき――
「あの、デューイ様」
ミラに呼び止められた。
「アリス様には、アリス様が持っているスクロールを見せて頂く代わりに、お二人が魔物退治に協力するということで合っていますか?」
「うん、そう。協力するっていっても、実際に戦うのはセンパイではなく俺だ。でも、それもまだ国境に行く手段がないから、できていないけど」
ミラはまだ不安そうにもじもじと下を向いている。
「心配?」
「えっと……少し……いや、かなりでしょうか……」
ん……? 言いよどむその様子にやっと気がついた。ミラはセンパイの身の危険ではなく、アリスとの関係を気にしているのか。
俺から見れば、そんな素振りは見ることはできなかったが、恋の機微なんてものを俺が読み取ることができないのは自分でもよく知っている。
「アリスに直接聞いてみれば?」
「その、怒られないでしょうか……?」
ミラは俺に確認するように俺の顔を見上げている。俺が聞けばすごく怒られそうな気がするけど、ミラなら大丈夫な気もする。
「大丈夫な気もするけど、どうだろう……?」
ミラはどうしようと、顔を上げたり下げたりしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇ」
放課後倉庫に向かっていると、アリスが振り向いた。じっと見つめられている――ただそれだけで、少し挙動不審になる。
「何?」
感情を抑えてぶっきらぼうになりすぎないように、気を付けて聞いたつもりだけど、俺の言葉は固かった。だけどアリスは幸いにもそれには気づいていないようだ。
「ミラはロデリックのことが好きなの?」
「あ、うん。ミラから聞いた?」
「いえ、何も。でも見れば分かるわ」
アリスは、悩ましげに額を押さえている。俺はもう慣れたけど、あっさりと慣れた自分がすごいのではないかと少し思う。
「ミラはあれのどこがいいのかしら」
そのあまりの言いように、センパイのフォローをしようと口を開きかけて、これまでの数々の出来事が頭をよぎった。
「センパイは変だけど――普通じゃできないことをする人だ。俺は感謝している」
色々あったけど、感謝しているのは事実だ。すごく感謝している――それだけは事実だ。
「いや、ロデリックがすごいのはわかるわ。それはね。でもこういうことは、そうじゃないでしょ?」
アリスが言いたいこともよくわかった。
「それに、あの二人兄妹でしょう?」
アリスはうーんと眉間に皺を刻んでいる。これまでの言い様からして、アリスはもう知っているのかと思っていた。
「あの二人は義理の兄妹で、婚約者だ」
「あら、そうなの? では問題はないのね?」
アリスは、一転してすっきりとした顔で窓の外を見上げた。
「あんなに良い子が、なぜロデリックのことが好きなのかは疑問だけど――でも、好きな人が婚約者って素敵ね」
「うん。俺もそう思う」
俺が同意すると、振り向いたアリスは魅力的な笑顔だった。
倉庫に着くと、先に来ていたセンパイはまた紙に何かを書いていた。
「アリスティア・ライラント。少し聞きたいことがある」
「何かしら?」
センパイが部屋に入ってきたこちらを見上げている。まぁ座れと言われてアリスと一緒に席に着いた。
「両親の死因は何だ」
いや、聞くにしても色々と言い方が……そう焦ってアリスを見ると、アリスは無表情だった。
「前回の新月の直後に両親そろって急死。かつ弟は現在、病に伏せている――仕組まれていると、疑いたくもなる」
「仕組まれているって――!」
アリスは怒気をあらわにそう言ってから、徐々に言葉が沈み始めた。
「そんなことない……」
センパイはアリスが顔を上げるのを静かに待っていた。
「前回の新月の魔物は手強かったから、お父様とお母様は疲れていて、順番に病で……」
「どんな病だ」
「病がうつるからと部屋には入れてもらえなかったけれど、普通の風邪みたいだと医者は……」
「風邪か。それだけだと何とも言えんな」
センパイはしばらく考え込むように机を指先で叩いてから、顔を上げた。
「弟はどうだ」
「マルセルは、ずっと熱が出ていて、お腹の調子が悪いわ――それが苦しそうで」
そうつぶやくアリスの方が苦しそうだった。
「日中は弟の世話は誰がしている?」
「それは、屋敷のメイドが」
「信用できるものたちなのか?」
アリスは静かに首を振った。
「お父様とお母様がいなくなってから、これまで屋敷にいた人が次々と辞めてしまって――ほとんど変わってしまったわ」
アリスは過去を見つめるように上を向いた。
「まるで別の屋敷みたいよ」
声を掛けたい。笑って欲しい。
だけど、俺が言うべき言葉なんてひとつも思いつかなくて、そんなアリスの様子を何度も見てから、下を向いた。
「マルセル・ライラントについては、一度俺がみよう」
「えっ?」
アリスと声が被さるように、同時に顔を上げる。
「場合によってはこちらで保護しよう。王都にさえ連れて来ることができれば、匿うこと自体は問題はない。王都は広い上に、我が家の領地だ」
アリスは困惑していて言葉が出ていない。
「問題はやはり連れてくるときだ。ツヴェルク伯爵にそんなそぶりが見つかれば、場合によっては先に殺される恐れがある。いざとなれば、マルセルを誘拐するか……」
「ロデリック・アーチモンド。あなたはどうしてそんなことをするの?」
「不安ではないのか?」
ここでセンパイに不安じゃないなんて言うと、センパイは本当に『ああそうか』となってしまう。でも、そう答えなかったら――
「なぁアリス。センパイは意外といい人で、面倒見もいいんだ。だけどはっきり言わないと伝わらないぞ」
アリスはこちらを見上げて、「そうね」と疲れたように笑った。そして、センパイの方を向く。
「えぇ、ロデリック。不安だわ。すごく不安よ」
「なんかすごい言われ方だが――まぁ、いい。わかったそれも手配しよう。あぁ、こちらに関してはマルセル・ライラントへの貸しだ。将来領主になれば、家臣すべてのスクロールを見せてもらうとでもしよう」
やっぱ貸し借りになるのかと俺は少しむっとしていたけれど、アリスは笑っていた。
「それでいいわ。じゃあ、私はそろそろ帰るわね」
「あぁ」
「アリス。送るよ」
アリスと一緒に立ち上がった。
センパイは実はいい人で、アリスがそれを分かってくれるのは嬉しいけど、そのことをあまり分かりすぎるのは――
でも世話になったセンパイに対して、そんなことを考える自分も嫌で、そもそも俺とアリスは何でもないのに俺は何を考えているんだとむしゃくしゃと頭の中で考えていると、アリスは機嫌が良さそうに澄んだ茜色の空を見上げていた。
「アリス。気を付けろよ」
その朧気な姿に思わずそう声を掛けてから、自分のことが恥ずかしくなって手を固く握る。俺は何もできていない。何が騎士だ。
だけど、たとえそうだとしても、うじうじとそんなことを考えている姿は見せられない。そんなことで気を使わせるわけにはいかないと、俺は顔を上げる。
「アリス、また来週な」
「えぇ」
振り返った笑顔にほっとして、俺も同じように笑って手を挙げた。




