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16話 魔術研究部へようこそ


 銀髪のお姫様が泣いている。


 どうしよう。どうしようと俺は混乱して、ライラント嬢に向かって手を伸ばしたり引いたりするが、俺が今、声を掛けていいのかさえわからない。

 助けを求めようと、俺の隣に立っているセンパイを見ると、センパイは我関せずといった様子で斜め上を向いていた――俺に丸投げする気満々だ。あれは、頭の中で全力で違うことを考えている。


 まずは、声を掛けようと息を吸ったとき、扉が開いた。

「兄様、デューイ様。おはようございます。先ほど――」

ミラがそこまで言ってから、部屋の奥で泣きじゃくっているライラント嬢に気がついた。ミラの視線が、俺たち二人の顔を順番に巡る。

「……どういうことですか」

初めて聞く絶対零度の声に体が震えた。


 そして――

「俺ではない。デューイだ」

センパイは、意図もあっさり俺を裏切った。


「泣かしたのは俺かもしれないけど、俺は何もしていない! なぁミラ――」

『ミラ、信じてくれるよな?』と言おうとして、その目のあまりの鮮烈さにおろおろと視線を逸らした。

「とにかく一度出て行ってください……」

ミラが静かな声に、反論する度胸もなく一人扉に向かう。

「兄様もです!」

センパイも付いてきた。



 二人して、倉庫からたたき出されてしまった……

「ミラは怒らせると怖いんだ。こういうときに俺たちにできるのは、ただ嵐が収まるのを待つだけだ」

センパイは、すべてを受け入れたような無垢な顔でそう言った。


 しばらく二人で突っ立っていると、扉が開く音がした。『思ったより早いな』と振り返ると、ミラが腕に抱えたものを地面に投げ捨てた。

「これにきれいな水を溜めてください」

ミラは冷徹な声でそう言ってから、また倉庫に消えた。


 水? よくわからないが、俺たちに拒否権はない。ミラが捨てていったものを取りに行くと、落ちていたのはバケツと――スクロールだ。丸まったスクロールが6本地面に捨てられている。

 うわぁ、と思いながらしゃがんで順番に一枚ずつスクロールを開く。こいつらは全部水のスクロールだ。だけどどれも微妙に中身が違う。

「センパイ。一番普通なのはどれ?」

斜め上から俺の手元を覗いていたセンパイに手渡すと、センパイは順番にその中身を確認してから「これだ」と一本のスクロールを俺に返した。

 受け取ったスクロールを手早く開いて、バケツに水を溜める。このくらいでいいかなというところで、俺は魔法を止めて立ち上がった。

「デューイ待て」

その鋭い声に、体がそのままの体勢で硬直する。

「ミラは『きれいな水』と言っていた。一度バケツを洗うべきだ」

危ないところだった。センパイと目を合わせてしっかりと頷いた。


 袖をめくってから、バケツのなかに手を突っ込んでバケツを洗う。拾ってきてから真面目に洗ったことなんてなかったから、少し中がぬめぬめしていた。水を捨ててから魔法でもう一度水を溜めて――その作業を5回繰り返す。最後の仕上げに、生成したてのきれいな水を入れて、倉庫の扉の前に置いた。手の甲で額の汗を拭って、大仕事をやり遂げた気分だった。

 緊張しながら待っていると、扉が少し開いた。扉の隙間から細い腕が伸びてバケツを掴んで、また扉がしまる。しばらく扉と見つめ合うが、怒鳴り声はない。合格だったらしい。


 ほっと肩を下ろして、扉を離れる。いつもの魔法の練習をする場所に向かって、そこにどさっと腰を下ろした。センパイが同じように横に座る。

「今、授業中……」

「そうだな」

俺たち二人は無言で彼方を見つめていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「デューイ様、兄様。すみませんでした。私、早とちりしてしまって……」

原っぱに寝転がって寝ていた俺たちがその声に体を起こすと、申し訳なさそうな様子のミラが、こちらに向かって何度も頭を下げていた。

「いや、いいんだ」

「ミラ、気にするな」

俺たちがそれ以外の言葉を言えるわけがない。

 無事、疑いが晴れてよかった。そのことに、ただ感謝をしよう。


「悪かったわ」

その声に首を大きく後ろに向けると、いつものツンとした様子のライラント嬢が居た。

「い、いや……」

さっき泣いていたのは同じ人物だろうかと思うくらい、ライラント嬢は普通だ。俺はそう思っていたけれど、

「アリスティア。さっきはなぜ泣いていた」

その言葉に、ぎょっとしてセンパイを見る。

「兄様!」

「せ、センパイ!」

俺たちの止める声に、センパイは難しそうな顔をした。

「なぜ聞いてはいけない。何か悩みがあるなら、はっきり言ってもらわなければ、俺には分からない」

いや、そうなんですけどね。センパイに黙って伝わるとは俺も思わないけど……

「センパイ。悩みっていうのは、そうした方が正しいのは分かっているけど、そう簡単にはいかないんだ」

俺の場合は、格好を付けたいからかな――そう考えながらライラント嬢を見ると、ライラント嬢はじっとこちらを見上げていた。


 その顔が可愛いから、目を逸らしてミラを見る。

「ミラ、何か食べないか? 授業中だけど」

「では私は紅茶を入れてきます」

駆け出すミラを見送ってから、倉庫に戻った。

「あ、でも何か食べるものってあった?」

「あるぞ」

センパイが倉庫の隅に置かれていた白い小さな箱をこちらに持ってきた。

「食べ物で釣ることも考えていたから、今日は豪華だ」

センパイが俺たちによく見えるようにこちらに向けてパカッと箱を開ける。箱の中にはこれまで俺がここで食べさせてもらったいろいろな種類のお菓子が少しずつ詰められていた。口の中を唾液が踊る。

「これは何?」

貴族でもこれを知らないのか。

「センパイの家の自家製お菓子だ。美味いんだよ」

そう笑顔で言ってから、自分が今誰と話しているかを思い出した。俺は緊張感で固まったけれど、ライラント嬢はただしげしげとお菓子を見つめている。

「デューイ、摘まむなよ。ミラを待とう」

「摘ままないって」

センパイにそう答えてから、椅子に座った。見えていると手を伸ばしそうだ。そしてライラント嬢も俺の前に座る。目線をどこに向けたらいいか分からず、彷徨わせていると、やっとミラが帰ってきた。

「すみません。扉を開けてもらえますか」

慌てて立って俺が扉を開けると、ミラは手に大きなポットを持っていた。

「お待たせいたしました」

「いつも思ってたんだけど、それ、どこで入れてきたんだ?」

「警備室です」

警備室……あの人たちは遅くまで学院に居るから、お湯があるのかもしれないけど、頼んだら貰えるものなのか。いや、ミラだからできることか。


 そう話しながら、ミラからポットを受け取って机の上に置く。そしてミラが置いてくれたカップに順に紅茶を注いでいった。

「どうぞ」

「ありがとう」

目の前の優雅な手つきに緊張しながらも、俺もカップに手を伸ばす。

「お菓子、食べてもいいぞ」

センパイからの許可に、お菓子にも手を伸ばした。


 美味いと目を細めながら食べていると、ライラント嬢が手に取ったマドレーヌを小さくかじって、もぐもぐと口を動かしていた。無言でそれが続く。

 なぜか誰もしゃべらないので、静かだ。それぞれが噛む音だけが部屋の中に広がった。


 ごくりと飲み込む小さな音が聞こえる。

「初めて食べたけれど、美味しいわ」

「兄様が作ったんです!」

「それは俺ではない。料理長だ」

なぜか大喜びのミラと否定するセンパイといういつもの光景を見て笑ってから、ライラント嬢を見ると、立ち上がって別のお菓子に手を伸ばしているところだった。どれにしようかと、手がお菓子の上を彷徨っている。

「その丸いやつがおすすめ。クッキーだ」

手が止まって、クッキーに向かった。細い指先で一枚掴んで、今度はぱくりと一口で食べる。

「美味しい?」

しばらくして、食べ終わったライラント嬢はこちらを向いた。

「私はこちらの方が好き」

ライラント嬢は一瞬だけ笑顔でそう言った。

 初めて間近で見る笑顔に驚いて、俺は勝手に口走る。

「あの……俺はデューイ。何て呼べばいい?」

まっすぐこちらを見つめる目に少し恥ずかしくなって、視線をややずらしていると、言葉はすぐに返ってきた。

「アリス」

「わかった。アリス」

アリスは再びお菓子の入った箱をのぞき込んでいる。

「ロデリック。このお菓子を売って欲しいのだけど、いくら払えばいいかしら」

「そのくらい契約の中に含めよう。どのくらい必要だ」

「一人分でいい――」

「兄様」

ミラの割り込む声に、ミラに視線が集まる。

「契約って何ですか?」

ミラは不安げな様子でセンパイを見上げている。


 ミラがさっき契約のことを知らないってことは、ここで二人っきりになったときにアリスが説明していないってことだ。センパイは言っていいのかと悩む様子で、うーんと考え込んでいる。

「あの兄様。契約って何ですか?」

すがりつくようにセンパイに聞くミラ――その様子に、ミラが何を心配しているのかに思い当たった。

「ミラ、違う。大丈夫だ」

ミラがこちらを向いた。泣きそうなその顔。

「ミラが心配しているような契約じゃない」

「す……すみません」

縮こまるミラを前に、場が静かになった。


「ライラント侯爵家のスクロールを見せる代わりに、この二人に魔物退治に協力してもらう約束をしたの」

アリスの突然の説明に、ミラはアリスの方を向いて「はい」と戸惑いながら頷いている。

「それだけよ」

「魔物退治ですか……?」

「そうよ」

ミラはどうして俺たちがそれを手伝うのか聞きたそうな顔で戸惑っているが、アリスはこれ以上説明する気がなさそうだ。

「アリスティア・ライラント。早速だがスクロールを見せてもらってもいいか?」

もう少しミラの心配をしろよと俺は呆れたが、センパイはいつも通りマイペースだ。アリスに向かう目がキラキラと輝いている。

「……これよ」

ずいぶんためらってから、アリスが机の上に5本のスクロールを置いた。

「召還のスクロールは?」

「それはこれ。ただ、これは試すと死ぬわ」

アリスの忠告など聞こえはしないように、センパイはさっそく召還のスクロールを開いて貪り読んでいる。

「今日はこれからずっとあのままだな」

「そうですね」

ミラはため息をついていた。



「じゃあ、俺たちは授業に戻るか」

先生とみんなに何と言い訳をしようかと考えながら、立ち上がって、席に着いたままセンパイをじっと見つめているアリスに声を掛けた。

「アリスも行かないか?」

「行かないわよ」

その当然のような口調に驚いた。

「召還のスクロールがここにあるのよ? これを置いて、私がここを離れるわけがないでしょう」

最近扱いが雑になってきて忘れていたが、あれは国の宝だ。

 ミラの方を見ると、ミラも頑とした様子でセンパイの向かい側に座っている。そもそもミラは、どうやって抜け出してきたのだろうか。しばらく突っ立ったまま考えてから、椅子に戻る。

「じゃあ……俺もここにいよう」

俺たちは4人して学院をさぼった。



 センパイはただ黙々とスクロールを見ながら、時折ぶつぶつとノートに何かを書き込んでいる。ミラはセンパイの手元と、センパイの顔を飽きもせずに見つめていた。

「ふわぁ……」

俺は暇だからすげー眠い。あくびをしながら向かいを見ると、アリスが目をぐわっと開きながら、時々船をこいでいた。

「アリス、寝たら?」

今日は俺たちはただ授業をさぼっているだけだけど、アリスはこの時間はいつも寝ている。そんな時間に頑張って起きているから、すごく眠たそうだ。

「寝ないわ」

「俺が代わりに見張っておくから」

アリスはしばらく俺の目をじっと見たあと、センパイの手元に視線を移す。

「だめよ。あれだけはだめ」

アリスはそう言ってしばらくの間は頑張っていたが、また元の状態に戻っていた。


 召還のスクロールはすごく大切なものだろう。そうらしいけれど、その30分後にアリスは机に突っ伏して眠っていた。



 起こさないように慎重に動いていると、アリスは夕方になるまで眠っていた。そろそろ学院も終わるころなので、アリスを起こす。

「アリス」

何度か名前を呼ぶと、幽霊のような髪で顔を隠したアリスがむくっと起きた。髪をかき分けて俺の顔を確認する。誰だと睨まれたけれど、しばらく睨んでいると思い出したのか、視点がはっきりとしてきた。そして、勢いよく斜め前を見る。

 センパイは、あれからそのままだ。何も変わっていない。

 ほっとした様子で胸を押さえるアリスをちらりと見てから、今度はセンパイに声を掛けた。

「センパイ」

「あぁ」

よくあんなに長い時間、集中力が続くものだ。

「アリスはもう帰る?」

「何時?」

アリスが立ち上がった。

「今さっきちょうど授業が終わったとこだ」

「そう……そんなに寝ていたのね」

アリスはそうつぶやいた。

「ロデリック。スクロールを返しなさい」

センパイは聞こえていないのか無視していたが、もう一度「ロデリック!」と呼ばれると顔を上げた。

「帰るのか?」

「帰るわ」

じゃあ、俺もと立ち上がる。

「センパイ。またな」

これから俺はどうすればいいんだろう。そう考えているとアリスがこちらを向いた。

「付いてくるつもりなら、今日はいいわ」

「えっ?」

「残念だけど、一人乗りなの」

意味がわからず混乱していると、アリスは後ろを向いた。

「じゃあ」

そう言ってアリスはすたすたと歩いて帰って行ってしまった。




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