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14話 ケガについて

(アリスティア)


「ティア。ねぇティア」

膝の上で固く握りしめていた私の手に触れながら、甘ったるい声でそう話しかけてくる男に吐きそうになる。

 カール・ツヴェルク伯爵。他の女性によると、金髪に甘いマスクで、教養のある話し方に流行を追った優美な装い――だそうだ。私はできることならこの男のことを、今すぐ火の魔法で焼き尽くしたい。

「ツヴェルク伯爵。アリスと、呼んでください」

突き放すようにそう言った私の声など聞こえていないかのように、男は楽しそうに私の顔を見ている。

「ティア。少し顔色が悪いね」

せっかくの休日。一週間で唯一日中ゆったりと過ごせる日。そんな日に馬車で連行するお前のせいだと言いたかった。

「イザベル。化粧を」

男の目つきが急に変わって、侍女に命令しながら私を見る目はまるで――自分が『もの』になったように感じてしまう。そんな無機質なその目から逃れるように馬車の外を見た。



 今日は貴族のパーティー。暇な貴族どもで集まって、たわいないおしゃべりを楽しむ日――いや、自分たちがいない間に自分たちの悪い噂を流されないようにけん制する日だろうか。

「アリスティア様。こんにちは」

そんな場所に私は下ろされ、ライラント領は何の問題も起こっていないように明るく振る舞う。どんなに体が疲れていても、どんなに領内に問題が生じていても、その場に立てば何の問題もないように優雅に振る舞おうとする自分自身に嫌気が差してくる。

 私は馬鹿みたいに意地を張って、この場の貴族どもから事実を隠そうとしている。そして、当然のように私の隣に立って私をエスコートする男は、そんな私の様子を満足げに観察していた。



 無駄な会話を続けている間に、日が傾いてきているのが目に入る。何人かの貴族たちと同じように、私も帰らなくてはならない。

「ティアをお送りしますので、私たちは失礼します」

男は私の隣で挨拶をしてから、こちらに腕を差し伸べてくるが、私はその腕を無視して歩き始めた。馬車に乗り込んでから、男はこちらを振り返る。

「ねぇ、ティア。いい加減意地を張るのはやめたらどうだい?」

子どもを諭すようなその口調に、気分が悪くなって唇を噛む。

「次の領主は、マルセルです」

心の中はたくさんの言いたいことで溢れていたけれど、感情を抑えて口に出した。男は、哀れみを感じるような目で私を見ていた。

「ティア。マルセルは――」

「マルセルの病気は治ります!」

マルセルはお父様とお母様が亡くなるまで、あんなに元気だった。あんなに元気で、皆が将来を期待するぐらい魔法が上手な良い子だった。

 少しずつ寝付く時間は長くなっているけれど、私はまたマルセルが元気に走り回ると信じている。

「マルセルの病が治るまで、ライラント領の領主代理は私が務めます」

「ティア」

男が爬虫類のような目でこちらを見た。あの目だ。いつもあの目でこちらを見る。

「意地を張るのをやめたくなったらいつでも言うんだよ。そのときは力を貸してあげるよ」

そう言って男は微笑んだ。


 こいつには血が通っていない。震える唇を噛んで下を向いた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「リルメージュ……」

「クウ?」

自分の部屋に着いたとたんすぐにリルメージュを召還して、その背にはすぐに乗らずに、その羽毛に顔を突っ込む。

 リルメージュは動かずに、ただそこに立ってくれていた。


 この世界で、この世界の生き物ではないリルメージュだけが温かい。少し呼吸が苦しくなってから顔を上げると、リルメージュは心配そうに私の顔をのぞき込んでいた。あまり時間はない。そろそろ行かないと。

「リルメージュ。行こう」

その背に乗って舞い上がる。今日は晴れだ。闇は深まりつつあるけれど、今日はまだマシな日だ。そうぼんやりと考えながら夜空を眺めていた。



 だけど、大渓谷に見える影を見て、手が震える。あまり大きくはない。だけど、今日のは4つ足の獣型だ。遠くから見える影の動きだけで、動きが速いのがわかる。

 最近、闇が深まるにつれて、より生き物に近い繊細な動きをするものが増えてきた。今日は月がある。だからあの大きさだ。だけど――

「そんな先のことは考えてはいけない」

目の前のあいつさえどうなるかはわからない。そんな私が先の心配をしても意味なんてない。無理矢理笑ってから、腰からスクロールを取り出した。

 左手のスクロールから魔方陣を浮かび上がらせて、目の前の空間に張る。そこに現れた穴に手を通して、無理矢理引きずり出したのは、同じく四つ足の獣。そいつは喉を鳴らしながらこちらを睨んでいた。

 あの魔物――この獣一体だけでは無理だ。

 もう一度穴を作って同じものを引きずり出す。私を取り囲むように並んだ4体の同じ種類の獣。こう見ると、この獣は群れで生きるものなのかもしれない。

「行きなさい」

一番大きな獣に、力でねじ伏せるように魔力を込めてそう命令すると、4体はこちら恨めしそうに睨んでから魔物に向かって走り出した。


 4体の獣の牙が魔物に刺さる。魔物は体を大きく揺らして、獣を振り落とそうとあがいていた。その周囲を見ると、あの魔物の引きつけられるように小さい魔物が集まっている。あの魔物はしばらくあいつらに任せて、私は先に小さいものを退治しよう。

 あの魔物と合体する前で良かったと、私は飛翔の魔法で空に飛び上がった。


 大空で、火の魔法を延々と作り続けていると、ふと思い出した。いつも魔法の授業を見学しているあの騎士の男子が、私がどうしても体を動かせなくて学院を休んだ日に魔法が使えるようになったそうだ。クラスの皆がそう噂していた。

 それと関係があるのか、あの男子がすごく機嫌が良さそうな日があった。すごく良い笑顔で、私におはようと言っていた。

「いいな」

うらやましい――うらやましかった。


 今、思い出したらそう思うのに、あのときの私は、ちっともそんなことを考えていなかった。あのときの私は、ただあの笑顔を見て――そう、ろくに挨拶も返せていなかった。みっともない自分のことを思い出して笑ってから、力で想いを上書きするように、左手に力を込めた。



 小さい魔物をすべて倒してから元の場所に戻ると、どちらも満身創痍だった。ちょろちょろとモヤのようなものを傷口からこぼしながら、四つ足の魔物はこちらを睨んでいる。

 私の召還した獣の方は、1体はもう消えていて、残りの3体も足や手を引きずっている。

でもあの魔物の様子だと、あとは私だけで何とかなるだろう。この場に置いておくとこの獣たちを巻き込んでしまう。そう考えて私は3体の獣を送還してから、一人で魔物と向き合った。


 火のスクロールを取り出して、魔方陣を作る。今回は周囲を焼き払うような大きなものだ。魔方陣が完成する直前に最大限の魔力を込める。できあがった魔方陣に触れようと右手を動かしたとき――


 突然、魔物が私に向かって跳んできた。


 気がついたときには肩から押し倒されて、右肩と左腕に激痛が走る。

「グワッ」

そのとき、横から飛んできた何かで魔物は吹っ飛んだ。痛む左腕を押さえて、体を起こして見えたのは――

「リルメージュ!」

魔物のすぐそばを、リルメージュが魔物の牙と爪から必死で逃げるように飛び回っていた。慌てて感覚のあまりない左手を見ると、魔方陣はまだそこにある。

「リルメージュ! 下がって!」

私が全力で叫ぶと、リルメージュはこちらに気づき、血相を変えた様子で引き返してきた。リルメージュが私の頭上を通り過ぎた瞬間――

 右手に持った杖で魔方陣を拾って、体の正面に向かって魔方陣を押し出す。


 正面の空間が炎で焼き払われた。



 荒い息を吐いて、前を見る。ちらちらと燃える炎の隙間から魔物の影が見えなくなってやっと、ストンと地面に座った。

「クゥ……」

その声に斜め上を見上げると、リルメージュが心配そうにこちらをのぞき込んでいた。

「リルメージュありがとう。怪我はない?」

リルメージュは私の言葉に、「クウ」と小さく返事をしてから私の左腕を見た。私の体をえぐり取るような魔物の爪痕。同じ右肩の傷も見てから、先に左腕にしようと、右手で左腰から少し小さなスクロールを取り出す。


 右手で、動かない左手にスクロールを持たせて、あまり感覚はないけれど魔素を送る。浮かび上がった小さな魔方陣を血の流れる左腕に貼り付けた。

 一瞬、体を走る激痛に声を抑えて体を丸める。荒い息を整えてから、ずきんずきんと響く左腕に乗った血を拭うと、ちゃんとその下には皮膚があった。

 まだ感覚の鈍い左腕を使って、今度は右肩に魔方陣を張る。右肩の大きな傷が埋まるのを確認してから、スクロールを拾って立ち上がった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 リルメージュに屋敷まで送ってもらって、ぐりぐりと私のお腹に頭突きをするリルメージュの頭を撫でる。

「リルメージュ。さっきは助けてくれてありがとう」

そう言って、リルメージュを元の世界に送り返した。


 ふらふらとする足を引きずって、屋敷の風呂場に向かう。ぼろぼろになったローブを脱いで、真っ暗な風呂場に入った。温くなった湯を火の魔法で少し温めてから、水を出して丁寧に左腕と右肩の傷跡を洗い流す。

 砂の付いた髪も洗ってから、湯船に浸かった。ぼーっと体を休めながら、湯船から出た左腕を見る。真っ暗で色はよく分からないけれど、ぼこぼこと盛り上がるような傷跡が見える。触ってみると、いぼのような固い感触が返ってきた。

「気持ち悪い」

首を回してもよく見えないけれど、右肩もこれと同じようになっているのだろう。これと同じ傷跡が、お腹と、右足の付け根あたりにもある。


 もう一度左腕を見て、その傷跡を優しく撫でる。これまでの傷は服を着れば、見えない場所だった。だけどこれはどうしよう。こんなに醜い傷跡をどうしよう。

 傷跡を隠す方法を順に考えていると、不意に涙が出てきた。


 私は、意地を張っている。

 だけど、元々跡継ぎは弟のマルセルに決まっていた。今はマルセルは病気で寝込んでいるけれど、跡継ぎの弟が大きくなるまで領主決定を待つというのは、そんなにいけないことなのだろうか。

 弟が大きくなるまで、私が領主代理を務めて、その間皆で協力して領地を守るというのは、そんなに大それた――間違った願いなのだろうか。


 間違っているから、私はこんなぼろぼろの姿でいるのだろうか。そう考えると、声は出ないけれど、涙が止まらなかった。


 あの男と私が結婚して、あの男が領主を継いだとしたら、マルセルが元気に大きくなったとしても、あの男は領主の座をマルセルに返したりはしないだろう。あの男は、一時的に領主を代行するだけだと言っているけれど、それを断った私に対して『領の守護の放棄』なんていうことをしでかすあの男が、大人しく返すわけがない。

 あの男とその親族たちは、ライラント領を食い物にする。だから私はあの男と結婚はできない。


 いや、できないのではなくて、私はあんな男とは結婚したくはない。あんな男なんて死んでもごめんだ。

 そう思っているけれど、この傷跡を見る度に思う――こんな醜い傷跡がある女など、あの男ですら、触れてはくれないのではないだろうか。


 無意識のうちに引き裂くように喉が鳴って、噛みしめるようにそれを押さえてから、上を向いた。


「助けて……」

こんなこと誰にも言えないけれど、試しに言ってみる。誰も居ない空間で助けて欲しいと言ってみる。


 ライラント領は、家臣の謀反により家臣が領地の守護を放棄中。その謀反を静められない領主代行の私が、現在たった一人で領地を守っている。

 その事実を恐らく他の侯爵家の人間は気づいてるけれど、他領の貴族に助けを求めることなんてできるわけがない――領の守護が疎かになっていることを、大っぴらにするわけにはいかない。

 私が意地を張ることを辞めて、要求通りにあの男に身と魂を捧げれば、領地の守護の問題は解決する。だけど私は、私と一緒にライラント侯爵家を売り払うことはできない。


 だから、私は――



 新月の日まで、あと2ヶ月。

 その日を超えさえすれば――


「お父様。お母様。私もう疲れた」




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