13話 つぎのステップ
放課後、倉庫の扉を開く。
「センパイたち、まだかな……」
ただ座って待っているのもあれなので、棚から俺以外は使えない火のスクロールを取り出して外に出た。贋作であるこれは革手袋を付けていると魔法が発動しないので、今回は取り外してポケットに入れる。
何度か練習していると、人影が見えたのでスクロールを隠す。その人物が誰か分かって立ち上がった。
「よぉ、センパイ!」
ぶんぶん手を振ると、センパイは一度立ち止まってから静かにこちらに手を挙げた。
「センパイ、遅かったな」
「あ、まぁ……」
なぜか俺と少し距離を開けて立ち止まるセンパイを見る。
「どうかしたのか?」
「いや、もういないかもしれないと思っていたから」
「え、何で?」
俺、昨日行かないとか言っただろうかと、昨日のことを思い出す。倉庫の前でそうやって話し込んでいると、両手に湯気が出たポットを抱えたミラがやってきた。
「兄様っ!」
今日はすごく機嫌がよさそうだ。
「ね? 私の言った通りでしょう?」
そんなミラをセンパイは見下ろしてふっと笑った。
「そうだな」
そして、倉庫の扉に手を掛ける。
「入ろう」
ミラが紅茶を入れてくれる横で、センパイはおもむろにカバンの中から皿を取り出した。そして、俺たちの前に一枚ずつ並べる。センパイと皿を交互に見ていると、センパイが笑いながら「まぁ座れ」と言ったので、言われた通りに椅子に座った。皿の上に薄い紙が敷かれて、なぞの平べったいものがその上に置かれる。
「これはパンケーキだ」
手を伸ばそうとして、センパイがカバンから取り出したフォークを見て、俺の手が止まる。落ち着け。まだだ。
そして、センパイは茶色の液体が入った謎の瓶を机の上に置いた。
「まさか兄様それは――」
目を丸くするミラに、センパイは重々と頷く。
「あれだ」
ミラがごくりと唾を飲んだ。何がなんだかわからないが、これはすごいものらしい。
俺が手を膝の上に縫い付けるようにして座っていると、センパイが立ち上がった。そして、瓶のふたを開けて、皿の上に乗った平べったいものに順番にかけていく。少しとろっとした液体のようだ。バレないように、皿の上に少し顔を近づけた。
「これは!」
脳天を打つような甘い香りに、思いがけず声が出てしまった。ミラとセンパイの視線を感じるけれど、何でもないように真面目な顔で真正面を見る。
センパイが席に座った。
「食べよう」
どうやって食べるか分からなかったから、とりあえずフォークを真ん中に立てて――小さく切り分けているセンパイとミラが目に入って、一度フォークを外した。そして不器用に切り分けてから口に入れる。
「美味い。なんだよ、何なんだよ……」
気を抜けば、やられる。なんとも恐ろしい食べ物だった。
ぐてーっと机の上にもたれ掛かりながら、センパイに聞く。
「この液体は何?」
甘いだけじゃなく、少し苦いのがアクセントとしてよく効いていた。
「それはシロップ――木の樹液だ」
センパイの説明の意味がまったくわからなかったけど、分かったように頷く。
「これ一本で、400ユルドだ」
400ユルド……400 ……?
雷が落ちたように体が起きた。姿勢が正される。
「はぁっ?400? これ一本で!?」
一本で、庶民の給金1年分ぐらいだ。俺の腹に入ったのは、一体何ヶ月分の血と汗と涙の結晶なのだろうか。
「そういうことは先に言ってくれよ!」
「言えば食べにくいだろう」
「そうだけど……」
怖……貴族怖。美味かったけど、体が震えた。
いつも貰っている飴はいくらなのだろうということが頭をよぎったけれど、聞くときっと食べられなくなるのだろう。
「因みに飴は――」
「勘弁してください」
俺が耳を塞いだ向こう側から、センパイの楽しそうな笑い声が聞こえた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「さてと。デューイは魔法を使えるようになったし、これからどうするか」
「決まっていなかったのか?」
「いや、やりたいことは色々あるのだが、どれから取り組むべきかなと」
センパイは、うーんと上を向いて考え込んでいる。
「兄様。私も兄様が作ったスクロールで魔法を使ってみたいです」
センパイの隣に座ったミラが、くいくいとセンパイの腕を引いた。
「ん、まぁ……それもいつかはやろうとは考えているが、あまり大っぴらにそれをやってしまうと国内情勢が崩れる。俺は伯爵家とは言え、あくまで伯爵だ。3侯爵家に目を付けられて生き延びる自信はない。だが、俺が得られる情報からできることもそろそろ限界になってきたから、いくつか新しいスクロールが見てみたい――」
新しいスクロールか……
「新しいスクロールを見る――ここ魔術学院には、魔術師の卵はたくさんいるから格好の場ではあるが、そうは言っても可能な手はかなり限られる。ひとつは俺のようにスクロールが家に飾られているだけで、普段は使わない家だ。見せてくださいと頼んで、了承が得られればそれで済む」
それで済むって、そんなのに応じる貴族がいるわけがない。
「もうひとつは、自分用のスクロールを持っている家の子どもに頼むことだが……」
センパイは独り言のようにそう言ってから、顔をあげてこちらを見た。
「こちらに関しては、そもそも魔術学院内で該当するのは2人だけだ。デューイ。同じクラスだが仲が良かったりはしないのか?」
「えっ、誰?」
「アリスティア・ライラント」
その名前に少しドキッとする。仲良くなりたいのは山々だけど、残念ながらお友だちですらない。彼女が俺の名前を知っているのかさえ微妙だ。
「ただのクラスメイトだ」
「そうか」
センパイはそうつぶやいてから、再び考え込んでいる。
「デューイ。ライラント侯爵家が持っているスクロールは5枚。そのうち一枚は、この国に一枚しかない召還のスクロール」
「召還?」
「召還――別の世界からの生き物を、この世界に呼び出す力」
その説明に驚いていると、センパイはぼんやりとした顔で宙を見つめていた。
そこから、俺の顔に焦点が合う。
「ライラント侯爵令嬢はどんな子だ」
どんな子……そう聞かれて思い出したのは、初めて俺が魔法を見たあのシーンだ。
「銀色の髪で、青い目だ。一度しか見たことはないけど魔法が上手い。あと顔が小さくて――」
センパイがただ黙って俺を見ているので、まだ説明が足りないのかと続きを言う。
「その……か、可愛い」
その場がしーんとする。
「デューイ、そうではない。どういうタイプの女子だ。気が強いとか、弱いとか――」
その言葉に顔がカーっと熱くなる。
にこにこ――いや、にやにやとこちらを見るミラから目を逸らして言い直した。
「ライラント嬢は、友だちがいるようには見えない。いつも席で寝ている」
「寝ている?」
「うん」
センパイはなぜか驚いているけど、これだけは本当だ。いつも寝ている。
「だからあまり人と話しているところは見ない。どういう性格なのかは、よくわからない」
「デューイ。日中寝ているということは、夜は忙しいということか?」
センパイは寝ているということが気になるようだ。人の噂――特に悪意のある噂は本人を侮辱していることになるから、あまり人には言いたくないけど、センパイにじっと見られているから説明をした。
「えっと、あくまで女子の噂だけど、夜に遊び歩いているって聞いた」
「遊び歩いている?」
センパイはますます不可解だという顔をしている。
「兄様。そんなに引っかかることなのですか?」
「ミラ。侯爵家のものが、そんな噂になっているのになぜ親は止めない。どういうことだ」
ミラはああそうかと納得して、センパイと一緒に考え込み始めた。
「何か、繋がりがある気がするが、情報が少なすぎる。帰ったら調べよう」
センパイはそう言って立ち上がった。
「今日は解散だ」