9話 原因解明
昨日はなかなか寝付けなかったけど、すがすがしい気持ちで目が覚めた。ベッドから立ち上がって朝日を浴びるために、勢いよくカーテンを開ける。
窓の外に見えるのは――
「雨だ」
土砂降りだ。だが、俺の心はそんなものなど気にも留めずに、晴れやかだった。
外は雨なので、仕方なく部屋の中でトレーニングを行う。
「よし、100回」
立ち上がって部屋を出て、一階で朝飯を食ってから、学院に向かった。
昨日、俺は魔法を使った。そうだったはずだけど、こうして何もせずに自分の席に座っていると、本当だったのだろうかと、あれは俺の夢ではなかったかと自信がなくなってくる。早く放課後になってくれと、そわそわしながら席に座っていると、俺の斜め前で、アリスティア・ライラント嬢が珍しく起きて、窓の外をじっと見つめていた。その真剣な横顔に、俺も同じように視線を外に向ける。
叩きつけるような雨脚で、窓の外があまり見えない。
もう一度前を見ると、ライラント嬢は両耳を隠すように耳に手を添えて、下を向いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
放課後になって、少し雨脚は弱まったけれど、まだ降っていた。傘を差して、いつもの倉庫に向かう。
「こんちは」
なぜか緊張して扉を開いたのに、誰も居なかった。倉庫の入り口で傘の水滴を落として傘を立てかけてから、椅子に座って二人を待つ。
「センパイとミラ、遅いな……」
真面目に勉強なんてする気が起きず、雨音を聞きながらセンパイが棚に置いていた本をぱらぱらとめくっていると、扉が開く音がした。
「あぁ、悪い。遅くなった」
センパイが入り口で傘をばさばさとはらっている。そして傘を壁に立て掛けてから、椅子に倒れ込むように座った。
「昼間の大雨で、道が沈んでいた」
センパイは足を上げて、ズボンの濡れを確認しながら、嫌そうに顔をしかめていた。
「デューイ、そっちは大丈夫だったのか?」
「こっちは、途中まで屋根があるから」
俺の言葉に、センパイがいいなとつぶやく。センパイは雨で来るのが遅れたらしいが、ミラはずいぶんと遅い。
「ミラは今日は来ないのかな?」
「ミラは、今日は学院を休ませている」
センパイは立ち上がって机の上に置いた鞄の中から、がさがさと何か物を取り出している。
「風邪?」
「……違う」
センパイの機嫌の悪そうな声に驚いていると、センパイが少し乱暴に椅子に座った。そして大きなため息をつく。
「昨日、俺たちが深夜に帰ったものだから、母上が癇癪を起こした」
深夜? そっか、俺の寮はすぐそこだから普通に――入り口の鍵は閉まっていたから2階の窓から入ったけど、センパイたちは馬車か……
二人で夜遅くに帰ったから、母親に怒られた。それは分かるけれど、それでどうしてミラが学院を休んでいるんだろうか? その理由を考えていると、センパイは険しい顔をしていた。
「まぁ、あの時間だ。疑うのも無理はないとは思うが、なぜミラなんだ? 謹慎させるならば、どう考えても俺の方だろう」
「謹慎?」
「母上は俺がミラに手を出したと思っている。俺が説明して、そんなことはしていないと母上に一応納得はしてもらえたが、ミラは謹慎だ。意味がわからない」
センパイははぁと息を吐いてから、頭を振った。
ミラが家でもあの態度なんだったら、ミラがセンパイのことを好きなのは、母親にもばればれなのだろう。だけど、それって悪いことなのか?
「センパイとミラは、許嫁なんだよな……?」
センパイが「ん?」とこちらを向く。
「なんだ、知っていたのか?」
「ミラから聞いた」
「そうか……」
しばらく、無言になってから、センパイが重々しい雰囲気で口を開いた。
「俺も、初めて義理の妹ができるのだと聞いたときには、少しテンションが上がったのだが……俺もそのとき2歳だったからミラも赤子だった。だから、俺はミラのパンツの柄どころか、オムツの柄まで知っている。そんな間柄で懐かれて、簡単にはそういう気にはならない。父上と母上は何を考えしているんだ」
よく意味が分からない言葉が多かったが、センパイはミラのことをそういう相手だとは見ていないのだろうか。センパイは重苦しそうに頭を押さえていた。
『兄様は私のことをそのような相手としてみてくれない』と言っていた、ミラのあの諦めたような、寂しそうな横顔を思い出す。
「センパイは、ミラとは結婚したくはないのか?」
センパイは地面を見つめている。
「そうではない。だが……」
言葉を止めて、センパイは顔を上げた。
「この話はやめよう」
困ったような顔に、俺は素直に頷いた。
「センパイ。昨日のスクロール、もう一度試していいか?」
「あぁ、ちょうど頼もうと思っていた」
センパイが取り出したスクロールをこちらに渡す。
スクロールを受け取って、もし魔法が出なかったらと考えながら力を込める。もう泣きはしなかったけど――小さな小さな火の玉を見て、心がそれと同じように温かくなった。丁寧にスクロールを机の上に置いてから席に座る。
「デューイが、なぜ魔法を使えないのかはわかった」
俺自身は何一つ変わっていないから、本物のスクロールを使うと魔法が発動しないのは変わらない。だから、センパイがこのスクロールに何か細工をしたってことだ。
「書いた方がわかりやすいだろう」
センパイはそう言いながら、カバンから出していたノートを広げて、そこにさらさらと魔方陣を書き始めた。ノートに現れる本物に見まがう魔方陣。相変わらず、見ているものが信じがたい光景だ。
「正しい魔方陣の生成方法を、レーゼルの洞窟のあの一度しか見てはいないからあくまで予想ではあるが、普通はスクロールに魔素を送ったとき、魔方陣の文字の流れに沿って魔素が伝わる――一番外側の文字からから2段目、3段目という風にだ。デューイの場合はそれがまったく守られていない」
と言うことは……
「センパイ。今、本物のスクロールは持ってる?」
センパイがはいと取り出したものを、緊張しながら受け取る。確か、これは何の魔法かは知らないけれど超攻撃型のスクロールだ。試すなら外に出た方がいいのだろうか――
「デューイ。室内でやってくれ。まぁ、大丈夫だ」
その軽やかな言葉に少し傷つきながらも頷いて、左手を通じて慎重に魔素を送る。だけど、いつも通りあっさりと魔方陣は弾けた。
「魔方陣の文字の流れを守るって、どうやってやるんだ……?」
俺としては一応、意識をして魔素を送っているつもりだけど、魔方陣の文字の流れなんてものはまってく無視して魔素が伝わってしまう。
「おそらく、デューイは一度に放出する魔素が多すぎるのだろう」
多すぎる?
「少なくとかできるのか?」
何度か、力を抜いてやってみるが、俺が変なポーズをしているだけで、さっきから何も変わっていない。
センパイが、トントンと指でノートを叩くので、諦めて座ってからそこに視線を移した。
「魔方陣の3段目の入り口のこの文字辺りで、おそらく何らかの認証があるのだろう。昨日、細長い紙に魔方陣の文字を書き込んだ際も、この文字の部分で魔素の伝達が止まっていた。デューイが魔方陣を生成する際に、2段目がきっちりと埋まる前に3段目に到達してしまうから、魔方陣の生成が中止されるのだと思う。それがデューイが魔法を使えない原因だ」
「そっか……」
センパイと契約したあの日、俺が魔法を使えない原因がわかるなんてこれっぽっちも思っていなかった。俺が本物のスクロールで魔法が発動できないことはかわらない。だけどその原因がわかっただけで、随分心は落ち着いた。
「理由がわかっただけで、大分すっきりした……」
「デューイ。普通の魔法のスクロールを使うのであれば、デューイの魔素の伝達を阻害するような何かをすればいいと思う。何か方法は考えておく」
当たり前のように、俺のためにまだ何かをしてくれるセンパイに驚く。
「いいのか?」
「そういう契約だ。デューイは俺の頼みにしっかり答えてくれている。しかも、恐らくだが、俺の作ったこの魔法のスクロールは相当魔素を消費する。ミラは毎回すごく疲れていたようだから、デューイ以外だと何度も試せない。だから、感謝している」
センパイの言葉に、俺は慌てて頭を下げた。
「ありがとうセンパイ。センパイのおかげで俺は魔法を使えたし、色々わかった」
顔を上げるとセンパイは嬉しそうに笑っていた。
「デューイ、まだ始まったばかりだ。やることはまだまだあるぞ」
「そう言えば、センパイが昨日作ったこの魔方陣は何をやったんだ?」
昨日、夜も遅くてすぐに解散してしまったので、俺は昨日センパイが何を試していたのかを何も聞いていない。センパイは俺の言葉にノートをこちら側に向けた。
「コンパスで描くこの円だが、これが文字の流れにそって魔素を伝達させるガイドのような役割を担っている。デューイの場合、これを無視して――いや押し流してしまうようだから、コンパスで円を描くときに使うインクをより魔素が伝わりにくいものに変えた。それが一つ目だ」
「魔素が伝わりにくいインク?」
「スクロールに使われる紙は、原料だけが決められていて、ある特定の木しか使えない。なぜだろうと色々と試しているうちに、スクロールの紙の原料である木の繊維に、魔素の伝達を妨害するような働きがあることがわかった。この木の繊維を使った。だが……まだできあがった魔方陣がふらふらしていたから、この部分も改良の余地があるだろう」
センパイはそう言って、机の上に小さな瓶を置いた。ふたの閉まったその中に、茶色のどろどろの液体が入っている。
「この変更で、3段目の入り口あたりで魔方陣の生成が失敗することはなくなった。あとは、もうインクを色々と変えただけだ。魔方陣の生成には、魔方陣の文字を魔素が伝わるスピードにある程度の制約があるようだ。デューイは魔素の伝達速度が早すぎるようだから、全体的に魔素の伝達が遅くなるようにインクを変えて調整した。できあがった魔法が小さすぎるのは、恐らく魔素を絞りすぎていることによるものだ。必要なところに必要なだけの魔素を送るのが、今後の課題だな」
センパイは昨日のことを思い出したのか、目頭を揉んでいた。
この魔法のスクロールから出る魔法は今はまだ小さい。
「センパイ、俺さ。センパイが本当に魔法を作るなんてこれっぽっちも信じてなかった」
笑顔でそう言うと、センパイは苦笑した。
「デューイ。恐らく――何だか俺は今日、恐らくとかたぶんとかしか言っている気がしないが――恐らくこのスクロールはデューイしか使えない。俺は昨日、何度も何度もインクの配合を調整した。普通の魔法のスクロールはデューイ以外の魔術師が使えば誰でも魔法を発動できて、微調整などいらないものだから、本物にはこれとは違う何かが隠されているのだろう」
「それも、今から探すんだろ?」
センパイは少し驚いた顔で俺を見てから、嬉しそうに笑った。
「そうだな。そうと決まれば始めるか」
センパイは新しいスクロールを広げて、さらさらと新しい魔方陣を作り始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺が初めて魔法を使ったあの日から2週間、センパイは放課後にひたすら魔法のスクロールを書き続け、俺はそれに魔素を送り続けた。ミラも謹慎を解かれて、再び倉庫にやってくるようになった。
今日も外に出て、センパイに渡された6枚のスクロールを順に試す。杖の先から出るのは、俺が憧れてやまなかった、大きな火の玉。
「本物のスクロールのようですね」
ミラの笑顔に俺は頷いた。
結局、このスクロールは俺しか使えない。ミラだと、魔方陣生成の途中で魔素の光が途絶えてしまう。
「俺しか使えないけど、これでいいの?」
俺の後ろで、俺の魔法を見ていたセンパイに確認する。
「できれば皆が使えるほうがいいが、原料の関係でそもそもそんなものは作れない可能性もある。他の人も使えるように試すのは、後でいい」
だそうだ。
相変わらず俺は学院の火のスクロールは使えない。だから、魔法の授業は見学だ。
学院の端の端にあるこんな場所には誰も来ないから、俺が魔法を使っていることなんて誰も知らない。『魔法のスクロールを実際に作った』なんてことを自慢するわけには行かないから、誰にも言うことはできない。
他の人から見れば、俺は何も変わっていないのに俺が機嫌がいいのが不自然なのか、ときどき友人に何かあったのかと指摘される。そう聞かれるたびに「何も」と俺は笑顔で答えていた。
「デューイ。最後にこれも試してみてはくれないか?」
センパイからはいと渡されたのは、いつもより大きなスクロールだ。魔方陣の内側から外側に向かって文字の段数を数える。
「7段?」
いつも使っている火のスクロールは5段だ。これは何のスクロールだろう。
「少し気になることがあって、試しに作ってみた。まぁ、発動はしないだろう」
試しにってことは、何かの魔方陣のコピーではなく、センパイが作ってみたのだろうか。
ミラが興味津々といった様子でのぞき込む込む横で、いつものようにスクロールに軽く力を込める。左手に浮かびあがったのは、黄金色の魔方陣。
「魔方陣は生成できるのか……」
そんなセンパイのつぶやきが聞こえたとき、不穏な空気の流れを肌に感じた。それが何かをはっきりと認識する前に、体に響き渡る警告音に従って魔方陣のすぐ横にいたミラを庇うように、思いっきり後ろに押し倒す。
倒れた背中の向こうから、空気が破裂するような音と、背中に刺さるような熱を感じた。
「ミラ、下がれ!」
驚いて目を丸くしているが、俺の下にいたミラは無事だ。ミラの返事を聞く前に立ち上がって、俺の後ろにいたはずのセンパイの姿を確認する。センパイは、原っぱにそびえ立つ火柱を、呆然と見上げていた。
「やけどするから下がるぞ!」
センパイの腕を引っ張って安全な距離まで下がらせる。そのあと、腰を抜かしていたミラを拾い上げて、風上に運んだ。
俺たちが魔法を試していたのは空き地だ。だから、幸いにも周囲に燃えるものは何もない。
黒々とした煙を吐き出す火柱が落ち着くのを、俺たち3人は無言で見つめていた。