異世界の女の子はトイレには行かない
アイドルがトイレに行かないのなら、異世界の女の子だってトイレに行かないはず。
きっとそう、絶対そう。(適当)
これまでの俺の行動は順調だった。
本当に順調だった。
異世界に転移するという経験など、前代未聞・空前絶後・五里霧中であるはずなのに、俺が順調な行動を行うことが可能だったのは、ひとえにウェブ小説を読みこんで得た経験を、行動に生かすことができたからである。
異世界小説の作者及びそれらの発表の機会を与えていただいた関係各位に、この場を借りて敬意を称したいところである。
異世界に転移するに至った経過は、トラックにはねられそうな少女を助けるために車道に飛び込んだところ、トラックにはねられて死亡した点については、創作物としてはよくある話なのだろう。
ただ、それが少女ではなく、農家が精魂込めて作成した「かかし」だったのは、地球で送った人生で最大最後の誤算だった。
まあ、これほどまでに精巧な少女の「かかし」を作成し、「不気味な谷」を超越した、農家の「かかし」作成にかかる技術力を高く評価すべきだろう。
いや、そこまで精巧に作らなければ「かかし」であると見破ってしまう、カラスをはじめとする鳥獣害に対して、驚異を覚えるべきだろうか。
俺は、少女が「かかし」であったのに気がついたのは、少女を助けた役得として、少しだけ、ほんの少しだけ、柔肌に触れようとしたときだ。いいじゃないか、減るものじゃないし。俺の命は代償によって失われたのだから。いや、この場にいるということは、命は減ったのではなく……
そのような思考の並におぼれそうになるのを遮ったのは、澄み切った少女の声だった。
「おじ、お兄ちゃん、大丈夫?」
「・・・ああ大丈夫だよ、いなっぺ」
その少女は、俺が異世界に転移して初めて出会った人であり、王都ミンメーまでの移動をつきあってもらっている相手でもある、いなっぺだ。
俺は、転移直後に剣戟の音につられ、向かった先にいたいなっぺを救ったのだ。
俺には、当然古武術を学んでいたわけでもない。
だから俺は、所有していたスマホに、タイマーで大音量を発生させて、敵を引きつけた隙に少女が敵を倒してもらった。
少女は目から光線を放出して。
ちなみに、目から光線を出したのは転移魔法であり、この世界では、転移魔法は一般的に活用されているようで、物心ついた子どもが、一番最初に覚える魔法でもあるとのことだった。
いなっぺは、巨乳ダークエルフでも、ロリババアフェアリーでも、無口系ショートカット盗賊系でもなかったが、この世界の常識もないことから、彼女からの申し出により、近くにある王都までの案内をお願いしたのだ。
異世界ではあるが、いなっぺが話す言葉は、日本語に変換されるらしく、意志の疎通に問題がなかったことが、賛同の理由だ。
いなっぺが、俺の物語にとってのメインヒロインかどうかはわからないが、少なくとも一緒に隣を歩きたいと感じるほどには、好意を持っていた。
だが、いやだからこそ、今回俺が最大の危機を迎えているのである。
いや、いなっぺにの責任にしてはならない。だから、
「君がかわいいからいけないのだよ」
などと言ってはいけない。
「!何を、いきなり言うのですか!」
思わず、言葉に出してしまったが。
確かにこんな発言をすれば、ストーカーの言い訳に聞こえてしまうではないか。
だが、それは、俺が今抱える、危機的状況からの発声だったかもしれない。
最大の危機とは、排泄行為である。
もちろん、王都に行くまでの間、俺は何度か排泄行為を行ったが、
「ちょっとトイレに行ってくる」
「トイレ?、よくわからないけどすぐに戻ってね」
そういって、いなっぺから離れてしていた。
さすがに、人前で排泄行為をするほどの性癖を持っているわけではない。
ちなみに、王都に行く際に転移魔法を使えばよいのでは?
と素朴な疑問を思いつき、いなっぺに質問したときは、生物に転移魔法を使うと、使われた相手は死んでしまうとのことだった。
転移魔法。効果:必ず死ぬ。
一方で、いなっぺは、旅の道中、一度もトイレに行ったことはない。
アイドルはトイレに行かないという都市伝説はあるが、異世界では現実の話なのだろうか?
それとも、排泄行為が不要な種族なのだろうか?
もちろん、いなっぺにも
「トイレはどこにありますか?」
と質問した。
「……トイレって、なんですか?」
と、いつもの声がかえっているだけなのだが。
王都は、一言でいえば、いわゆる中世ヨーロッパ風という印象を受けるが、ハイヒールを生み出した背景となるような、汚物を窓から道に投げ込むようなことはなく、衛生的なものだった。
とても、路地に隠れてするようなことが許される状態には見られない。
どうやら、そろそろ限界がきたようだ。
「うっ!」
「おじちゃ、お兄ちゃん、大丈夫?」
いなっぺは、心配そうに、俺のおなかをさわった。
「!お、おなかは!」
いなっぺは、俺の大声に対して驚いたようで、
「ご、ごめんなさい」
本当に申し訳なさそうに、すばやく手を離す。
いなっぺは悪くない。
いなっぺは悪くない。
いなっぺは、意地悪をしてトイレの事を知らない振りをして、俺の苦しみを喜んでいるわけではない。
いなっぺは悪くない。
俺の、致命的な黒歴史を弱みにして、今後のパーティーでの絶対的な地位を確保するための策士的な行為でもない。
いなっぺは悪くない。
いなっぺは、本当に心優しい女の子で、いなっぺに襲いかかってきた相手に対して、拷問という言葉では生やさしい行為を行ったのは、自分自身の身の安全を確保するための行為であり、決して相手の苦痛に喜びを感じるような女の子ではないはずだ。
いなっぺは悪くない。
王都で彼女が最初に案内したのが、食べ物を売る露天で、
「あれが、おいしいよ!」
「王都にきたら、これを食べないと始まらないよ!」
「いいよ、いいよ、おじ、お兄ちゃん。
私をたすけてくれたのだから、お金は私が払うから腹が膨れるくらい食べてもいいよ」
といって、
「おじさん、こんなに食べるなんてすごいね!」
と店員に、引かれぎみにいわれるぐらいだったのも、彼女が今の俺の苦境を見据えて行動したわけではないはずだ!
ないはずだ、
ないはずだ、
ないはずだ、
ないはず……
「あっ……」
「あっ……」
この世界の人々が、転移魔法を活用して排泄行為をしている話を聞いたのは、このすぐ後だった。
~ミンメー書房刊「異世界生活魔法は進んでいる」より~
生活魔法が使えない人用あるいは、潜伏時に魔法反応を隠す人用に、布袋に消臭用の土を入れた簡易排泄物処理袋「土いれ(ドイレ)」が発明され、それが訛って「トイレ」になったのは有名な話。
決して、開発者の戸井玲氏からつけられたものではない。
~ミンメー書房刊「異世界生活魔法は進んでいる」(著:戸井玲)より~