15.Coming events cast their shadows before them.
「ルカ、後ろ向いて」
「んっ」
軍服の上着を下から上へと手でなぞるように、そっと上げると人間でいう背骨の第四胸椎の部分にある挿入部に電子プラグを差し込み、研究資料室にある保管用メインコンピュータに接続した。
研究資料室にはタバコの箱くらいの大きさのハードディスクが数千個保管されていて、暗号化された1万を超える研究データが保管されている為、検索や解読に時間が掛かる。MOTHER&FATHERの演算能力には劣るが並みのコンピュータの100倍の演算能力を持つルカの力を借りれば、あっという間に検索を掛け、暗号化した研究資料を解読することが可能だ。
「ミヤギ・ヒロの研究資料は見つかったか?」
「該当データなし。ミヤギ・ヒロに関する研究資料も在籍中の情報もヒットしないみたい」
「ないのか。さすが几帳面な性格なだけはあるな。ここまで用意周到にデータを破棄しているとなれば、やっぱりMOTHER&FATHERに記録されていたデータも消された可能性が高いか。何が近しい情報はないか?」
「検索ワードを変更してみる!」
ルカは、名前や研究内容に関してのワードを除外し検索を掛けてみた。
「どうだ?」
「ダメ。やっぱりないみたい」
「ないか」
「だけど、研究者不明の研究資料はあったよ」
「研究者不明? どんな内容だ?」
「内容は……」
研究データを読み取ろうと試みだが、数字と英字、特殊文字で構成された内容はルカの演算能力と電子ネットワークを活用した豊富な情報量でも解読することは不可能だった。
「これデータベース上で暗号化されてないみたい。もしかすると、この資料を作る時点で特定の人物のみが閲覧できるように暗号文を作成したのかも。ごめんね、お兄ちゃんの力になれてないよね」
「気にするな。何でも完璧に熟せる奴なんていないし、ルカには沢山助けられているからな」
自分の不甲斐なさに涙を浮かべるルカをそっと抱き寄せ頭を撫でながら優しく囁いた。
「ごめんね、こんな事をしている場合じゃないよね。もう大丈夫だから」
少し落ち着いた様子で言うと、ユウラの腕の中から出て涙を拭った。
「ルカに頼ってばかりいられないからな、兄ちゃんにその研究資料見せてくれるか?」
「うん」
大丈夫そうだと安心したユウラは、保管用メインコンピュータからプラグを外し、自分のタブレット端末に差し込んだ。ルカから転送された研究データは確かにシステム上で暗号化されたような文字の羅列ではなかった。
「どう言う事だよ、これ」
「何かあったの?」
「ここ見てみろ」
「見たけど、何て書いているのか読めないよ?」
「普通は読めないはずなんだよ。それに誰かが知っているはずがないんだ。だって、これは——」
そこに書かれていた一文には、ユウラしか知り得るはずのない暗号文字が使用されていた。その他の文は全く知らない文字の羅列だった為、読むことはできなかったが、その文字は紛れもなくユウラの考えた暗号文字。大学生時代、講義の合間に面白半分で考えたそれはアルファベット24文字を自分なりに全く違う形に置き換えたものだ。書き記された暗号文を英文に直すと、
《Production of a complete humanoid》
直訳すれば、完全なるヒューマノイドの製造。
「お兄ちゃん?」
——完全なるヒューマノイドの製造ってALICEのことか。それとも、新たにヒューマノイドを作ろうとしているのか。そもそも、何で俺が考えた暗号文字が使われているんだ。と、初めて目にする研究内容と自分の考えた暗号文字が使用されていることに、動揺を隠せないユウラは、険しい顔をして困惑気味に考えていた。
「ルカ。今から転送する文字をアルファベットに変換してくれ。他に何か解読できるかもしれない」
「うんっ! やってみる!」
暗号文字とその変換方法をルカにインポートすると、タブレット端末に【新人類】【人を超えた存在】という新たなキーワードが表示された。
「一体何を作ろうとしているんだ」
「これってどういう意味なの? ネットワークで【人を超えた存在】って検索したら神様しか出てこないよ?」
「兄ちゃんにも分からない。一体何を作ろうとしているんだ」
より人に近づけた人工知能搭載の兵器がALICEはヒューマノイドに分類される。完全ではないが、人として認識するには十分過ぎるほど高性能な造りをしているが、人間に使われる兵器である以上、【新人類】や【人を超えた存在】にはなり得ない。つまり、ALICEの更に上をいくヒューマノイドの研究がされていたことになる。
ミヤギ・ヒロに関する情報を集めに来たはずが、思わぬ情報を入手してしまった。任務の最中であるということを忘れてしまう程の衝撃が走っていた。
「お兄ちゃん、これってミヤギ・ヒロとどう関係しているのかな?」
「ミヤギ・ヒロ……。ああ、そうだった。いや、これが関係しているのかは分からない」
手の込んだ暗号文字で記述された研究内容。触れてはいけないものに触れてしまったと直感的に思ったユウラは、この情報に関しては胸にしまう事にした。
「ルカ、このことは誰にも言うな。今俺たちが関わって良いことじゃないかも知れないからな」
「わかった! お兄ちゃんがそう言うなら、私のデータからも削除しておくね!」
「ああ、そうしてくれると助かる」
天才ハッカーが存在している以上、いつ何処で誰がデータを盗み見るかも分からない。それがミヤギ・ヒロと関係が有ろうと無かろうと、今の任務には関係ない。そう思わざるを得ない程に尋常ではない胸騒ぎを感じていた。
――面倒な事にならなければ良いけどな。と、一抹の不安を抱えながら、研究資料室を後にした2人は足早に格納庫へ戻った。
***
「遅かったじゃない」
先に戻って来ていたスズナは、乱雑に並べられた木箱の上に足を組みながら座り、勝ち誇ったような顔をしている。
「久しぶりにミンスキー教授に会ったからな。少し話し込んじまったんだよ」
「ミンスキー教授って、まだ現役だったの!? 頑張るわねえ、あの人。それで何か情報は掴めたの?」
「ミヤギ・ヒロが転送装置の開発者だったことくらいだな」
「転送装置って、あの転送装置のこと!?」
「ああ、俺も驚いたよ」
「まさかあれを作ったのがミヤギ・ヒロだったとはね。私達、とんでもない相手を捕まえなくちゃならないのね」
「お前の方はどうだったんだ?」
「レイ、さっき得た情報の一覧を転送してくれる?」
「かしこまりました。お嬢様のタブレット端末に転送致します」
レイから転送された内容には、こう書き記されていた。
・年齢28歳
・22歳で新東京大学クラフター専攻科卒業
・同年、大手エレクトロニクスメーカーに入社
・同年、21歳女性と結婚
・子供はなし
・勤務態度は良好で、成績も入社直後から常にトップを維持
・24歳で係長に昇進
・25歳でALICEを保有
・以降、3年間は目立ったことはなし
「私が得られた情報よ。あんたの9倍の情報量ね」
「へえへえ。さすがスズナさんは俺と違って凄いですねえ」
簡単ではあったが、人物像がより明確になって来ていることは確かだ。ユウラとスズナが集めた情報は、ミヤギ・ヒロが如何に凄い人物であるのかを知るには十分な内容だ。しかし、肝心のALICEに関する情報が全く入手できていなかった。天才的な頭脳とクラフト技術を持つ男が保有するALICEに施されている改造については未知数。完璧に手詰まりだった。
「でも、たったこれだけの情報で対策を練るのは結構しんどいぞ」
「一応、関係ないことかも知れないけれど、彼の同僚から気になることを聞いたのよね」
「気になること?」
「情報があまりにも少ないから、奥さんに会おうと思ってミヤギ・ヒロの住所を尋ねたのだけど、誰も彼の家がどこにあるのか知らなかったのよ。それに結婚してから3年間は愛妻弁当を持参して食べていたみたいなのだけど、いつからかコンビニ弁当に変わっていたみたいなのよね」
「離婚でもしたんじゃないか? 生真面目な仕事人間に有りがちのケースだろ。仕事一筋で家庭を蔑ろにしていたとかさ」
「やっぱりそう思うわよね。ALICEを保有し始めた時期と重なるから何か関係があるのかと思ったんだけど」
「まあ、離婚とか死別したにしろ。今は独り身でALICEしか心の拠り所がないって考えたら一緒に逃亡していてもおかしくはないよな」
「それも引っかかるのよね」
「何が?」
「だっておかしいと思わない? 天才的な頭脳とクラフト技術を持ち合わせている人間が、リスクを冒してまで逃亡なんてするかしら?」
「確かに言われてみればそうかも。戦争に行くリスクを考えたとしても、彼ほどの実力があればもっと上手くできただろうからな」
ユウラ達の知り得た情報から想像していた人物像から想定出来る行動パターンとは全く違う行動を取っているミヤギ・ヒロに対して謎は深まる一方だった。
「これじゃあ、埒が明かないわね」
「仕方ない。一旦、クダイ領長に報告してみよう。もしかしたら、何か進展があるかも」
「それもそうね」
「ルカはここで少しでも多くの情報を集めながら待っていてくれ」
「わかった!」
「レイ、あなたもね」
「かしこまりました」
限られた時間の中で、少しでも多くの情報を得たいと考えたユウラ達は、ルカ達を待機させネットワーク上にある無数の情報から僅かでも接点が有りそうな情報を選別し、個々のメモリーに蓄積するように指示を出すと、クダイ領長の下へ報告に向かった。
***
「良いところに戻って来てくれたな」
クダイ領長は、二人が現れたのを見るや否や、早く自分の下に来いと言わんばかりに手招きしながら言った。
「何か分かったんですか?」
「先程入った情報なのだが、防犯カメラの映像にミヤギ・ヒロらしき人物が映っていたようだ」
「どこですか!?」
「新東京メトロ第1地区駅ホームだ」
「かなり近いじゃないですか! 俺たち現場に急行します!」
「そう焦るな。事を急いではならん。既に自衛隊員を数名派遣している。もう暫くすれば連絡があるはずだ」
新東京メトロ第1地区駅は、旧東京23区の千代田区役所地下に新たに建設された駅で日本の中心部に位置する日本最大の広さを誇る駅である。24時間運行している新東京メトロは、常に大勢の人々が利用している。その中でも第1地区駅は日本で最も利用客数の多い駅としても有名である。そんな人気の多い場所に大胆不敵にも現れたミヤギ・ヒロと思われる人物。何の意図があってそこに現れたのかは不明だが、自衛隊の警備網に掛かれば、捕まるのも時間の問題。誰もがそう思った矢先、クダイ領長に現場へ向かっていた自衛隊員から連絡が入る。
「ターゲットは捕獲できたか?」
『いえ、それがターゲットの姿が何処にもありません』
「隈なく探したのか?」
『はい。防犯カメラにターゲットが映って直ぐに、駅の出入口を封鎖し、電車の運行を止めた際に駅および電車内にいる全員の電子チップの反応数を特定し、一人一人チェックしたのですが、人数に相違がなくターゲットらしき人物を割り出すことが出来ませんでした』
突如として現れたかと思えば、忽然と姿を消したミヤギ・ヒロと思われる人物。不可解な出来事にその人物がミヤギ・ヒロである可能性が高まった。
「防犯カメラにALICEの姿は映っていなかったか?」
『姿は愚か、ALICE特有の電子反応も検出されていません』
「一体何が起こっているのだ」
クラフターとしてのミヤギ・ヒロと保有しているALICEの情報が無いどころか、その存在自体が実在していないような不可解な出来事にクダイ領長は頭を悩ませた。
「クダイ領長、もしかして、第1地区駅に転送装置があるんじゃないですか?」
スピーカー越しに話を聞いていたユウラは、核心をついたように訊いた。
「確かにあそこには、車両部品用の転送装置があるにはあるが、それがどうかしたのか?」
「転送装置の開発者がミヤギ・ヒロらしいです」
「何だと!?」
「ここからは俺の推測ですけど、もし、ミヤギ・ヒロが静物だけでなく生物を転送する技術を既に開発していだとしたら、駅内にある転送装置を使用して逃げることも可能なんじゃないでしょうか」
「そんな事が出来るのか!?」
「あくまで推測です。俺もそれは不可能だとは思います。ですが、彼の頭脳と技術が本物であれば、ありえない話ではないかと」
生物の転送は雲を掴むような程、実現困難と言われていたこともあり、その推測は俄かに信じがたい内容だった。しかし、そこに居たはずの人間が忽然と姿を消すという現実にはあり得ない事態が起きていることも事実。
ALICEの暴走が懸念される中、その居場所を唯一知る存在のミヤギ・ヒロを捕らえることすら叶わないのではないかという思いが3人の脳裏に過る。