14.Better to ask the way than go astray.
「秒単位で拘る几帳面な性格の真面目な仕事人間という一面と天才クラフターとしての一面、裏の顔は天才ハッカー。これだけしかない情報から作戦を考えるとなると結構難しいな」
「そうよね。正直言って、何から手をつけたら良いのか見当もつかないわ」
頭を悩ませるのも無理はない。
一次予選で軽く目にしただけの赤の他人を理解するには情報が少な過ぎる。素性がよく分かっていない相手と如何なる改造が施されているかも分からぬALICEに対して、最善の策を練るということは2人にとって熾烈を極めた。
「もっと確かな情報があれば助かるんだけどな」
「確かな情報って言えば、私たちと同じ新東京大学クラフター専攻科卒業ってことと、大手IT開発会社に勤めてたってくらいよね」
「それだ」
「それ?」
「新東京大学とミヤギ・ヒロの勤務先に聞き込みに行くんだよ。二手に分かれて話を聞きに行けば、時間も短縮できるし、ここで悩んでるよりは良いだろう?」
「それもそうね。クラフトに掛ける時間も考えると急いだ方がいいんじゃない?」
「よし、善は急げだ。俺はクラフト専攻科の教授に話を聞いてくる」
「じゃあ私は勤務先ね。レイ行くわよ」
「はい」
2人は手分けして聞き込みを行い、情報収集を行うことにした。
現時刻21時19分。2人が予測したタイムリミットまで残り46時間41分。
***
ユウラとルカが向かった新東京大学は、旧東京大学の敷地をそのまま活用し、東京大学や早稲田大学、明治大学などを含めた国立12大学、公立2大学、私立123大学の計137大学を統合した日本最大級の国立大学である。
学内には、関東大震災などの自然災害や第二次世界から第四次世界大戦などによる被害を奇跡的に免れた重要文化財や登録有形文化財に指定された建築物が数多く存在している。137大学の統合時に、老朽化が進んでいた建築物の建て替えが行われその殆どが地上30階からなる高層ビル群に変わり、多数の学生の学び舎として新たな建造物が建ち並んでいる。その中で修繕工事を重ね、今もなお昔と同じ姿で残っている建造物がある。それは東京都時代に初めて登録有形文化財に指定された安田講堂や法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館、本郷通りに面している正門と門衛所、そして、かつての国宝であり国の重要文化財に指定されている赤門だ。新たになった東京大学と言えど、教育史を象徴する建造物が無くては歴史ある東京大学が見る影もなくなってしまう。
選りすぐりの技術者や開発者を育成する目的の為、旧東京都(現在のエリア3)に存在する全ての大学を統合した結果、昔であれば少し頑張れば何処かしらの大学に入ることが出来た大学も、新東京大学に限定され、現在では選ばれたエリートのみが入学できる特別技術者育成機関という位置付けにある。
30歳未満の人口が1500万人まで減少した日本では、年齢問わず実力さえ備わっていれば、小学生や幼稚園児でも新東京大学に受験することは可能だ。過去最年少で新東京大学に合格した人物は316万人が受験した2181年の倍率421倍で最も入学困難と言われた時期に12歳という若さで合格している。それと同時期に新東京大学へ入学したのが、当時16歳のユウラとスズナである。
ユウラは類い稀な才能で飛び級し、19歳という若さで卒業後、5年振りに新東京大学へ足を踏み入れる。
「久しぶりだな」
「ここがお兄ちゃんの母校かあ! すっごい大っきいとこだねっ!」
「そういや、ルカと来るのは初めてだったな」
「初めて……だよ?」
どこから引っ張り出してきたのか、絶滅危惧種に認定された秋葉原系アイドルの萌えキャラ風な口調でモジモジと上目遣いをしながら答えた。
「ルカ。可愛いんだけど、今はそんな冗談言ってる場合じゃないぞ」
「てへっ! 間違えちゃった!」
「ルカさーん」
「対人プログラムを整理します」
どうやら、これまでにない異常事態に適切な対応が出来なくなっているようだ。ユウラの深刻な表情と重々しい雰囲気から、何かに思い悩んでいるのだと判断したルカはユウラの趣味嗜好から心のケアを最優先した心理カウンセリング用対人プログラムが起動され実行に移した結果がこれだ。
「落ち着いたか?」
「うん、大丈夫。今は緊急事態でおちゃらけてる場合じゃないんだよね」
「大丈夫みたいだな」
正気を取り戻したルカと共に向かった先は、クラフター専攻科の教授を務めるミンスキー氏がいる研究室。
ミンスキー教授は、78歳と高齢だが元々アメリカ軍でAI技術を応用した軍事兵器の開発を行うプロジェクトのリーダーを務めていた人物だ。彼は第四次世界大戦の際、試作品のALICEと正式なALICEが正常に機能しているか視察に来ていた為、アメリカ全土を襲った生物兵器の被害を免れた旧アメリカ軍AI軍事兵器開発の唯一の生き残りであり、日本のAI技術開発の発展とMOTHER&FATHERを設計した事でも知られている。
研究室の前に行くと、部屋の明かりが付いていた。ミンスキー教授はいつ寝ているのか分からないほど研究熱心な人としても有名だ。
「失礼します」
ドアをノックし部屋の中に入ると、かつて日本の研究チームが開発した指で実際に触れることが可能なプラズマ・ホログラム【Fairy Lights】と3Dホログラムを応用して作られたパーソナルコンピュータ【Fairy Lights Hologram Personal Computer(通称FLHPC)】を使用して、何やら真剣な表情で指を動かすミンスキー教授の姿があった。
「誰だい? こんな時間から私を訪ねて来たのは」
FLHPCから目を離さずに訊いた。
「お仕事中すみません。以前、クラフター専攻科に在籍していたアズマ・ユウラです」
「君か。卒業以来音沙汰なかったが、今日はどうしたんだい?」
才能があると判断した生徒に関しては、全員の名前と顔を覚えているミンスキー教授は、作業の手を止めユウラの方へと身体を向けた。その顔は相変わらず昔の映画ハンニバルに登場するハンニバル・レクシー役を演じた時のハリウッド俳優アンソニー・ホプキンスに似て、かなり怖い顔をしていた。
「お久しぶりです。実はここを卒業したミヤギ・ヒロについてお話を聞きたいと思いまして」
「彼がどうかしたのかい?」
「かなり凄腕のクラフターだという噂を聞いたので、今後の参考になればと」
「なるほど。君ほどの腕を持っていてもまだ上を目指しているのだね。分かった、私に分かることであれば教えてあげよう」
「ありがとうございます。早速なんですが、ミヤギ・ヒロはどんなクラフトに特化したクラフターだったんですか?」
「そうだねえ。彼はどんなクラフトでもトップの成績だったからね。満遍なく出来るという点では君と似たような感じかな」
「満遍なくですか。それでも、1番得意なクラフトはありますよね。俺で言えば、生体機能の強化とか」
「強いて言うなら、彼は転送装置の開発に力を入れていたようだね」
「転送装置ですか?」
「ああ、彼が就職した先も元々は大手物流会社だったんだが、学生時代から将来的に車で運ぶ時代は終わると豪語していてな。結果的に自らの手で転送装置を開発して、そういう時代を作り上げてしまったのだよ。今やその物流会社もIT開発に力を入れたようだがな」
一言でクラフトと言ってもその用途は多岐に渡る。ユウラのように生体機能を強化するクラフターが行うクラフトを例に挙げると、ルカに改造を施している声帯や脚部に対するクラフトなどがある。これは主にAIが搭載されているアンドロイドに適しているクラフト技術だが、これを医療の分野に応用すれば、義手や義足、義眼などハンディキャップを背負う人々に対しても有効だ。
対して、ミヤギ・ヒロは転送装置の開発に力を入れていた。元々、転送装置の構想は100年以上前から存在していた。転送装置の始まりと言えば、メールなどの文字を遠く離れた相手に送るメールシステムだ。手紙が主流だった頃は、人から人へと受け渡す為には郵便配達員が必要だったが、電子化が進むと手紙からメールに変わり、書き手の電子端末からサーバーを経由して相手の電子端末にそっくりそのまま送信されるようになった。
旧アメリカのSGIというコンピュータメーカーが開発したデジタル生物変換器【DBC】によってウィルスなどの微生物を遠く離れた場所で同じようなものを合成することに成功した事例もあるが、それは全く同じものを移動した訳ではない為、転送装置には程遠いものだ。
その後、動物などの生物を転送する為の実験が幾度となく行われたが、全く同じものを移動させるということは叶わなかった。当時の技術力ではほぼ不可能とされていたからだ。そんな中で、ミヤギ・ヒロは生物の転送からではなく、静物を転送することに重点を置き、研究と開発を進めていた。
生物変換器DBCでは、ウィルスなどの微生物のDNAなどの情報を転送先へと送信し、同じものを合成するというものだったが、情報の電子化は限りなく答えに近かった。しかし、全く同じものを転送するとなると情報だけではなく、物質そのものを送る必要があった。その際、ミヤギ・ヒロは物質の粒子化とデータ化の両面に注目した。
粒子化された物質を簡単に例えるならば、パズルのピースだ。このパズルのピースを見ただけでは、元の形に戻すことは困難。しかし、物質の形状や構築内容をデータ化し、同時に転送することができれば、遠く離れた場所でも瞬時に再構築できると考えたのだ。
物質の粒子化やデータ化は既に存在している技術だが、粒子化した物質の転送システムの開発は困難を極めていた。そこで新たに目をつけたのが光子化だ。元々、光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した20世紀最大の物理学者、アルベルト・アインシュタインによって、光が粒子であると言われ、現代ではその仮説は正しかったと実証されている。それを踏まえた上で物質の粒子化から光子化する為の研究を行ったミヤギ・ヒロは、大学在籍中に物質の光子化に成功し、転送装置の開発を進め、僅か半年で完成させてしまったのだ。
ちなみに彼が完成させた転送装置の原理はこうだ。全世界に浸透している光レーザーを用いたネットワーク回線を転送経路に使用し、物質光子分解送信用の転送装置で分解し光子化した物質とデータ化した物質の両方を送り、3Dプリンターを改良した受信用の転送装置で再構築するというものだ。光子化に関しては発表されているのだが、再構築に関しての情報は一切開示されていない為、ミヤギ・ヒロのみが知るところとなっている。
「まさか、あの転送装置の開発者がミヤギ・ヒロだったのか」
「ああ、彼はあまり目立ちたがらないタイプだったからね。転送装置の開発者が誰なのかは伏せていたようだが、いずれは知れてしまうことだ。他に何か聞きたいことはあるかね?」
「転送装置以外に何か特別なことは研究していなかったんですか?」
「あれを完成させるのにかなり熱心になっていたからねえ。他のことをする暇はなかった思うがね」
「質問を変えます。教授はミヤギ・ヒロの保有しているALICEについて何かご存知ですか?」
「残念だが、それについては私も分からないな。彼が卒業してALICEを保有するようになってからは会っていないからね」
「そうですか」
「質問はもう良いかな? 私の研究も良い感じで進んでいるのでな」
「お忙しいところお邪魔して申し訳ありませんでした」
「次来るときは連絡の1つでもしなさい。そうすれば、時間を作ってあげよう」
「ありがとうございます」
短い時間だったが、ミヤギ・ヒロについて少しだけ情報を得られたユウラたちは、ミンスキー教授の研究室を後にした。
「転送装置の開発者ミヤギ・ヒロか。頭が良いとかクラフト技術が凄いとか、そんなレベルの話じゃないな」
「お兄ちゃん、これからどうするの? もう戻る?」
「いや、転送装置の開発と研究を行っていたなら、研究資料が学内に保管されてるはずだ。もしかすると、その中にミヤギ・ヒロに関する情報があるかも知れない」
「じゃあ、研究資料室に行くってことだね!」
「そういうことだ。急ぐぞ」
「Yes, sir!」
重要任務を任されたことをちゃんと理解していたルカは、ビシッと敬礼をしながら必要以上に良い発音で答えた。しかし、それに対して反応している場合ではないユウラは、今得た情報の中から最善策は有るのかと思考を巡らせながら、研究資料室へと向かった。