桜並木の下で
翌朝、何事もなかったように美雨が茶の間に
やって来た。
薫も 、いつも通りに接した。
美雨を会社へ送り出し、朝食の後片付けをしていると、
薫の携帯が鳴った。
相手は咲希だった。
咲希は現在妊娠5ヶ月。
とても幸せだと言っていた。
『ところで、そっちはどうなの?
ちゃんと食べてるの?』
咲希にそう聞かれ、正直に今の状況を話した。
咲希は心底驚いた様子で言った。
『いきなり同棲って、しかも そんな年上の人と……
あんた、そんな大胆な子だったかしら?』
「いや、だから〈同棲〉じゃなくて〈同居〉。ルームシェアだよ」
慌てて薫は否定した。
その言葉を無視するように、咲希から質問責めに合う。
『どんな人?美人?名前は?』
「うん……まあ美人かな?どっちかというと可愛い系?」
『へえ〜』
咲希がニヤニヤしている顔が、脳裏をよぎる。
「で、名前は〈小山内 美雨〉さんっていうんだけど」
『え?小山内さん……?』
咲希の口調が、明らかにトーンダウンした。
「何?小山内さんって知り合い?」薫が聞いた。
『いや……あのね…… あんたのお父さんとお母さんの事故の相手、
小山内 清隆って男だったの。
誰かと電話で話してて、あの事故を起こしたらしいよ。
後で携帯の着信履歴みて分かったらしい。
ま、偶然よね、偶然。その内紹介してくれるのよね?
美雨さんの事!』
「だから、そういうんじゃないってば‼︎」
『分かった分かった!じゃあね‼︎」
咲希は嬉しそうな声と共に電話を切った。
薫は考え込んでいた。
『小山内 清隆……』
初めて知った、事故の相手の名前……
彼は動揺していた。
ただ、今更犯人が分かったからって両親は帰って来ない。
当の犯人も既に他界している。
後片付けの続きをやりながら、薫は全てを打ち消すように、
頭を振った。
ーーーー
夜……
美雨が帰宅した。薫の様子がおかしい事に気付き、
『何かあったの?』と尋ねた。
薫は迷ったが、咲希から聞いた名前を美雨に告げた。
美雨の動きが止まった。
『私の父と同じ名前……』
薫の表情が凍った。
『父とは離婚の後、一度も会ってないの。私は母とも
離されて、祖母の家があるこの地に来てしまったから……
私が16才の時に母が亡くなって、それを知らせるために
一度だけ父に電話した事があるの。
あの人、携帯の番号変えてなくてさ。
でも仕事中だから行けないって言われて……
その直後に事故起こして、あの人も自殺したって、
会社の人から連絡が来て……』
「少し、時間もらえませんか……?」
美雨の話を遮るように、真っ青な顔をした薫が言った。
『……どういう事?』恐る恐る 美雨が聞いた。
「僕の両親の事故と、美雨さんのお父さんが起こした事故が繋がって
しまった。今は、気持ちの整理ができそうもありません……
しばらく離れて暮らした方が……」
『そっか……そうだよね。自分の親を殺した相手の娘と
同じ家になんか住めないよね。
しかも事故の原因、私が作ったようなものだし……』
「……」
『出会わなければ良かったね、私達……』
美雨の言葉に、薫は答えられなかった。
薫も同じ思いだったから……
薫は、翌日から荷造りを始め、1週間程で
次の住まいへ引っ越して行った。
彼の居なくなった部屋で、美雨は一人泣き崩れた。
空っぽの日々が戻って来た。
ーーーー
美雨の家を出てから、薫は何をする気にもなれなかった。
やり場のない、怒りや悲しみを どう処理していいのか
見当もつかなかった。
美雨の父親に、言ってやりたい事は山ほどあった。
でも、当の本人はとっくに居ない。
そんな事実、ずっと前に分かっていた事だった。
もう忘れていたと思っていた感情が、怒涛のように押し寄せた。
泣いては眠り、怒っては眠りを繰り返した。
原稿を描く気力は全く残っていなかった。
憎い男の娘、美雨をも憎もうとした。
怒りの矛先が定まれば、気が済むのではないかと考えた。
美雨の笑顔が浮かんでは消えた。
ボンヤリと天井を眺めていると、部屋の隅で物音が聞こえた。
音の方に目をやると、女の子が立っていた。
「美雨ちゃん……?」
女の子は無言で頷いた。
「どうして?」
薫の問いかけには答えず、美雨が指差した。
『これ、なーに?』
美雨が指したのはパソコンだった。
「これはパソコン。この中に原稿が入ってるんだよ」
『げんこう……?』
「今ね、マンガ描いてるんだよ」
『すごい!見たい‼︎』
薫はパソコンを起動して、描き溜めていた作品を少し見せた。
美雨が一人のキャラクターを指差し
『私に似てる』と言った。
「そうだよ。これ美雨ちゃんだよ」
『嬉しい……薫君、私の事、覚えててくれたんだね、
ありがとう』 美雨が笑った。
思い出した。
この儚げな笑顔を守りたいと、本気で思った日の事を……
気がつくと、小さな美雨は消えていた。
「美雨さん……ずるいよ……」
薫は泣いた。
時間を越えて会いにやってた来た美雨を、愛しいと思った。
美雨を嫌いになれる理由を、必死で探している自分は
愚かだと思った。
そんな理由を、こんなに必死に探さなければならない程、
自分の心の中は、美雨でいっぱいだと思い知らされた。
二人は、出会わなければいけなかったんだ。
お互いの孤独だった心が、時空を越えて呼び合ったんだ。
その日から薫は、作品を描く事に没頭した。
***
3年の月日が流れた。
満開の桜が咲く並木道を一人、美雨は歩いていた。
途中、近所の書店の店先に、大きなポップが出ているのが
目に入った。
この3年間、ほぼ毎日の様にこの書店の前を通るのが日課になっていた。
【萩原 薫デビュー作‼︎】
美雨の心臓が、ドクンと大きく脈を打った。
彼女は吸い込まれる様に、書店に足を向けた。
手に取った、一冊のマンガ……
著者は、萩原 薫。
表紙には何となく美雨に似た女の人が描かれている。
しっかりとビニールで包装されているため、内容が分からない。
レジへ向かうべく、店内に入ろうとした美雨を、
聞き覚えのある声が呼び止めた。
「迎え、遅くなったけど、まだ間に合いますか?」
振り向いた美雨の視線の先には、笑顔の薫が立っていた。
『薫君……』
「まだデビューしたばかりで、苦労かけるかもしれないけど……
全力で守るから、だから……」
『私で……いいの?』美雨の目から、涙がとめどなく溢れた。
薫は黙って頷いた。
『私は、薫君のお父さんと、お母さんを……』
「それは違う。結果を誰も予測できなかった事だよ。
不幸な偶然が重なったんだ。仕方なかったんだよ」
『私……病気持ちだし……』
美雨が自分の左腕をさすりながら言った。
「大丈夫。それも引っくるめて美雨さんだから」
『でも私、薫君より10コも年上だよ。
すぐに おばあちゃんになっちゃうよ』
「大丈夫。美雨さん、精神年齢 僕と変わらないでしょ?」
『……』
薫が、美雨のムッとした顔を見て吹き出した。
「それに、タイムスリップ繰り返してる年の差カップル
なんて、きっと僕らだけだよ。すごくない?」
『確かに』
「美雨さんが居なかったら、今の自分はきっと居ない。
だから僕は美雨さんじゃなきゃダメなんだ」
『薫君…… 遅いよ もう、待ちくたびれちゃった ……』
潤んだ目の美雨が、笑顔で言った。
春の風が桜の花びらを舞いあげ、雪の様に
二人の上に降り注いだ。
薫が言った。
「明日の朝早く起きたら、またこの道を一緒に散歩しませんか?」
『はい』美雨が答えた。
「次の日も、その次の日も、僕が一緒でいいですか?」
薫の問いに『もちろん!』と美雨が答えた。
バラバラだった時間がやっと ひとつになった。
薫と美雨の凍てついた心にも、ようやく春が訪れた。
終
ノスタルジーに続く恋愛ものを書いてみましたが、
いかがでしたでしょうか?
らしくないですかね…(笑)
最後まで読んでくださってありがとうございます!
心から感謝します。




