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青い部屋

薫は、住ませてもらう代わりに

家事全般を引き受けた。


お陰で、かつて散らかり放題だった美雨の部屋は、

常に清潔に保たれ、外食もしなくなった。


週3のバイトで得た給料のいくらかを、美雨に

食費として渡すだけで、後はマンガを描くための

環境作りに充てる事ができた。


もちろん、全部を一度にではないが、少しづつ

環境が整っていった。


薫は、美雨を仕事に送り出し、家事をテキパキと済ませると、

原稿を描くことに没頭した。


美雨もよく理解していて、薫の部屋のドアが閉まっている時は

絶対に声を掛けなかった。


そんな生活が半年程続いた頃、薫がネット上の

マンガ投稿サイトに投稿を始めて約2ヶ月……

彼の作品は1週間で100万再生を越えるようになっていた。


薫は美雨に対して、その事については打ち明けてくれたが、

どんな作品を描いているのかも、ペンネームも

教えようとはしなかった。


「美雨さんには書籍化された物を見て欲しいから」

これが薫の言い分だった。


この頃には、お互いのことを、下の名前で呼ぶようになっていたが、

男女によくある、甘い関係になったわけではない。


10才の年齢差は、少なくともお互いの理性を保つのに役立っている。


ただ、美雨にとって薫の夢は、もはや自分の夢のようになっていた。

薫を通して、成功体験を得ているような状態だ。


そして、薫にとっても 美雨は 恩人であり、

家族のような大切な存在だった。


互いに、無くてはならない相手だった。


***


ある日の夜遅く、薫は部屋で作業をしていた。


眠気覚ましにコーヒーを淹れようと、

部屋を出たところ、廊下を挟んだ向かいのドア……

美雨の部屋のドアが少し開いているのに気が付いた。


覗くつもりはなかった。

ところが、美雨が窓を開けていたらしく、

そこから入った風に煽られて、勢いよくドアが開いてしまった。


窓辺に座り込んで、夜空を仰いでいる美雨が見えた。

月の青い光が、美雨を照らしている。


上衣はキャミソール、下はパジャマのズボン姿で、

彼女は左腕に、幾つもの切り傷を付けていた。

I字の安全カミソリで……


美雨の傷口からは、藍色に光る液体が溢れては落ちた。


薫は驚いた。

でもそれ以上に、美雨の姿が、

青白く光る彼女の横顔が、息を呑むほど美しく見えた。


彼は黙ってその場に突っ立っていた。


ゆっくりと、美雨が薫の方に顔を向けた。


「どうして?」薫が聞いた。

『こうすると、何だかとても気持ちが落ち着くの……』

「……」

『大丈夫よ、死んだりなんかしないから。ただね、

時々こうしないと、自分が生きてるのか死んでるのか、

分からなくなるの……

私は……いらない子だから……』


「誰にそんな事言われたの?」

『私ね、昔母に殺されかけたのよ』


薫には、返す言葉が思い浮かばなかった。


母親に?殺されかけた?


美雨が続けた。

『私の父は トラックの長距離運転手をしててね、

ほとんど家に帰って来なかった。

母は、小さな私を抱えて、ノイローゼになっちゃったみたい。

繰り返し、私を殴った。


私は、自分を傷つける事で、自分の存在を確かめる事が

癖になっちゃって……


一度だけ、母が私の傷を見て絆創膏を貼ってくれたの。

嬉しかったな……』


デジャブ?薫はそう思っていた。

幼い頃の体験と被るところがあったから……

ただ、それ以上に彼女の話は衝撃的で、彼は動揺していた。


その事を、美雨に勘付かれないように彼女の部屋に入った。

自分が羽織っていたカーデガンを、美雨の肩に掛けた。


『ありがとう……』

美雨が消えてしまいそうな、儚げな笑顔で薫を見た。


「本当は お母さん、美雨さんの事、ちゃんと大切に思ってたんだよ」

薫は そう言ったが、美雨は首を横に振った。


『私が小学2年生の時だった。両親が正式に離婚したのは……

その時私は、母と二人で生きて行くはずだったんだけど、

辛かったんでしょうね、あの人……


今夜みたいに月の明るい晩に、川に放り投げられて、

私、たくさん水を飲んで、息ができなくて、もうダメだ

と思ったら、誰かが私を引き上げてくれたの。


その後、母は警察へ行き、私は祖母に引き取られた』


薫は必死で抑えていた感情が、とうとう我慢できなくなり

込み上げてくる涙を止める事が出来なかった。


美雨が続けた。

『でもね、私が5才?6才の頃だったかなー

ある男の子がやって来てね、大きくなったら

迎えに来るって……

助けに来るから待っててって……

そう言ってくれたんだ。


もしかしたら、あの川で私を助けてくれたの、

彼かもしれないって 時々思うの。

その子の名前がね、何と‘‘ハギワラ カオル’’って言うの。

だから、あなたに会って名前を聞いた時、本当にびっくりした。


でも、そんなわけないね。その彼は私と同じ年だもん』


薫は頭が真っ白になった。

雪の日の出来事を鮮明に思い出していた。

川で少女を救った夢の事も……


あれは夢じゃなかったのか?

しかも助けたのは、やはり美雨だったのか?


自分の作品に美雨という少女と出会った事を

描いたこともある。

一度だって忘れた事のない、美雨の存在。

でも……


薫は思い切って聞いてみた。

「その男の子、世界がモノクロに見えるって

言ってなかった?」


『言ってた…… でも、私だけが色付いて見えるって。

待って、なんで薫君がそれを?』


「分からない。分からないけど、美雨さんの

会った少年は僕だと思う。

僕も気になってた。美雨ちゃんの事……」


『え……?』


「ねえ美雨さん、その頃住んでたのは‘‘シンマチ’’って所?」


『そう。九州の方なんだけどね』


「やっぱり……」


『生まれてるはずのない、あなたが5才の私に

会いに来たって事?』


「……そういう事になりますね」


『じゃあ、川で私を助けてくれたのは やっぱり?』


「多分、僕です」


二人共、さっぱり分からなかった。

釈然としないまま 夜が明けた。



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