後味の悪い夢
薫は、中学入学と同時に 寮生活をスタートさせた。
彼はそこでも必死にマンガを描いていた。
マンガ家を目指しているのかどうか、分からなかったが、
とにかく、描きたいものが溢れて仕方なかった。
冒険物、ファンタジー、学園物……
描きたいものを描いていった。
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高校を卒業と同時に、薫は一人暮らしを始めた。
この頃になると、本格的にマンガ家を目指したいと
考えるようになっていた。
アルバイトで生計を立てながら、マンガの原稿を描き続けた。
生活は厳しかった。
バイト先の飲食店で出される賄いが、彼の唯一の食事で、
後は ほぼ飲まず食わずで描くことに没頭した。
19才になった薫は、原稿を持って編集社へやって来た。
アポが取れたのは、大手3つの編集社。
彼は期待と不安と、それを上回る緊張感で
パンクしそうな気持ちを抱えつつ、編集社へ向かった。
カバンの中に、これまでの自分の全てを詰めて……
ところが、1つ目の編集社は
『絵が下手だね』と言って、ほとんど原稿に
目を通して貰えず、
2つ目の編集社は
『ここで出してる週間雑誌とはイメージが違うから』
と言われ、
3つ目の編集社ではアポを取った相手がドタキャンして
会うことすら叶わず、電話すると
『原稿、FAXしといて』と軽い感じで言われた。
薫は、世の中の厳しさを痛感していた。
力尽き、途方にくれていた。
これまでの自分の努力を、全否定された気分だった。
彼は自分の部屋に帰る気力も残っておらず、
道端に座り込んでしまった。
原稿の入ったカバンを放り出し、足を投げ出して
背後には、閉じられたシャッター……
『今まで自分は何をして来たのだろう……』
薫は、人目も気にせず号泣した。
『イタッ‼︎ ちょっと、何でこんな所に座り込んでんのよっ!
もうっ、足に躓いたでしょっ!』
いきなり、知らない女の人にすごい勢いで怒られた。
華奢な身体に長い髪がよく似合う、なかなかの美人だ……
「すみません……」
薫は勢いに押されて小さな声で謝ると、
なぜかその場で正座した。
薫を見て女の人は言った。
『やだ、あんた泣いてるの⁉︎』
薫は慌てて涙を拭った。
「いや……別に……」
女の人は薫の正面にしゃがみ込んで、
顔を覗き込みながら言った。
『ねえ、お腹空いてない?私夕飯まだなんだけど
一緒にどう?1人より2人の方が美味しいし、ね?』
薫は正直、今は食欲どころではなかったが、
何となく、女の人について行った。
彼女は近所のラーメン屋に入って行った。
店に入ると慣れた調子で
『とりあえずビール‼︎』と注文した。
『あんたも飲む?』
「いや……僕は未成年なんで……」
『あそっか、そうなんだ。じゃ失礼!』
女の人はそう言って、美味しそうに喉を鳴らしながら
出て来たビールを飲んだ。
『まだ名前聞いてなかったね』
「萩原です。萩原 薫」
『え?』
「え⁉︎」
『う、ううん。何でもない。私は……小山内です。よろしく』
「小山内さん、すみません……何か……」
『ところで、萩原君、何であんな所で座り込んでたの?』
「……」
『言いたくないなら いいけどさ』
「いや……あの、実は……」
薫は、これまでの事を 大方、小山内さんに話した。
『へえー!夢あるなんて素敵じゃない!またチャレンジするんでしょ?』
「もう、何か自信無くなっちゃって……」
『何言ってんのよ!若いんだから頑張りなよ!』
ラーメンを食べ終えた2人は店を出た。
『家、近いの?』小山内さんが薫に聞いた。
「ここから電車とバスを乗り継いで、1時間ちよっと」
『まあまあの距離ね。ま、頑張って』
「あ、あのラーメン代!えっと……」
薫は財布を探したが見つからない。
『それは気にしないで。
若い男の子と食事できて、楽しかかったから』
「あ、すみません……」
そう言いながら、薫は必死に財布を探していた。
『無いの?』小山内さんが、心配そうに聞いた。
「落としたみたいです……」
『……じゃあ、これ!』
小山内さんが、千円札を数枚差し出した。
「そんなっ‼︎」
『萩原君が 出世したら返して』そ言うと、彼女は
ツカツカ歩いて夜の街に消えて行ってしまった。
薫は仕方なく、そのお金で家に帰る事にした。
一体、いくら借金したのか、電車の中で改めて
数え直していたら、札と札の間に、病院の診察券が
挟まっているのを見つけた。
〈小山内 美雨〉これが彼女の名前……
生年月日も記されている。
『へえ10才上か…… てことは29才?見えないな』
薫は変なところで感心した。
それにこの名前……美雨?あの子と同じ名前。
でも彼女なわけない。
あの子は僕と同じ年だから……
とにかく、この診察券返しに行かなきゃ。
薫は思った。
『明日この病院に電話してみよう。
それから警察にも……
財布失くしたって連絡しなきゃ……』
電車とバスを乗り継いで、やっと辿り着いた
アパートの一室。
今日は久し振りに お腹がいっぱいで、
悲しい事と、温かい事とで、心の中と、頭の中がパンパンで
とても眠れそうにないと思っていたのに、
目を閉じたら、薫は あっという間に眠りに落ちていた。
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この夜、薫は不思議な夢を見た。
真っ暗な中、なぜか自分は橋の上から
すぐ下を流れる川を見下ろしている。
とうとうと流れる水の音。
ここからでは深さは分からない。
ゾッとする程黒々とした川面は、月明かりに
照らし出され、怪しげに揺れていた。
ドボンッ‼︎
大きな音と共に水面の一画が、バシャバシャと音を立てて
泡立っているのが見えた。
と同時に、誰かの足音が橋の上から
遠ざかっていくのが聞こえた。
『誰かが溺れてる……?』
薫は慌てて下へ降り、ジャブジャブと川の中へ入って行った。
幸い、流れは然程早くなく、深さも薫のみぞおち辺りまでで
止まってくれた。
さっきまで、勢いよく泡立っていた箇所が静かになった。
薫が、急いで川の中へ両手を突っ込んで、引き上げたのは
少女だった。
すでに意識はない。
少女を抱きかかえて、水から引き上げ、河原に横たえた。
月明かりが、少女の顔を照らした。
「美雨ちゃん……⁉︎」
夢はそこで終わってしまった。
目覚めた薫は思った。
『女の子は助かったのだろうか?
あれは美雨だったのだろうか?』
夢にしては嫌にリアルで、川の流れる音が
いつまでも いつまで も、耳の奥に残っている。
抱えた少女の身体の重みも、その冷たさも、
妙に生々しい……
後味の悪い夢だった。




