薫と咲希
『薫君……薫君……!』
咲希姉ちゃんの声だ。
ゆっくり目を開けると、薫は咲希とバスの中に居た。
『もう着くから準備して』
さっききのは夢だったのか……
【シンマチ】という所で降りて、そこはモノクロの町で、
美雨という女の子と会って……
そうだ!
明日も会う約束をしたんだ。
薫は咲希に聞いた。
「ねえ、シンマチっていう所に行きたいんだけど、
どうやって行くの?」
『シンマチ?聞いた事ない町名ね……
後で調べてみるけど……』
バスから降りると、2人は咲希の住むアパートへやって来た。
6畳と4畳半の部屋に、小さな台所……
『ごめんね、狭くて……』
咲希は恥ずかしそうに笑った。
「今日からここで暮らすのか……」
薫の小さな心臓は、ずっとドキドキしっぱなしだった。
新しい家。新しい町。新しい幼稚園。
そして……
お父さんと、お母さんのいない生活……
薫の心臓は、ドキドキを通り越して 痛み始めていた。
薫には理解できない感情が、波の様にザワザワと押し寄せて来て、
溢れ出しそうになっていた。
その時 咲希が言った
『さっき薫君の言ってた シンマチ 、やっぱり
この辺じゃなさそうよ。検索してみたけど……
どうして、シンマチに行きたいの?』
「明日、会いに行くって、美雨ちゃんと約束したから……」
『幼稚園のお友達?』
「……」薫は黙った。
咲希に何て説明したらいいのか、思いつかなかったから。
『もう少し落ち着いたら、ゆっくり探そう!ね?』
咲希は優しく薫に言った。
薫は、下を向いて『コクン』と頷いた。
『色々バタバタしててさ……明日、薫君のも
買いに行こうね』
咲希はそう言いながら、1組しかない布団を敷いた。
今夜は咲希姉ちゃんと寝るのだ。
『薫君、あったか〜い!』
咲希の言葉に、薫は「エヘヘ……」と照れ臭そうに笑った。
咲希姉ちゃんの布団は甘くて、良い匂いがした。
でも、ママとは違う匂い……
また心臓がチクチクと痛み始めた。
鼻の奥がツーンとした。
泣いちゃいけないと思った。
咲希姉ちゃんに、心配かけちゃいけないと思った。
薫は無理やり目を閉じた。
『美雨ちゃん、どうしてるかな……』
そう思いながら、眠りに落ちた。
***
春が来て、薫は小学生になった。
みんな、嬉しそうに お父さんやお母さんと、入学式にやって来る。
薫は、咲希姉ちゃんと一緒に校門をくぐった。
『美雨ちゃんも どこかで小学生になれたのかな?』
式の間、薫は そんな事を考えていた。
入学後、薫は授業中もボーーッとしがちで
咲希は度々担任から連絡を受けた。
2年生、3年生と学年が上がる毎に、
集中力の無さに拍車がかかり、
先生が気がつくと教室にいない事が続いた。
彼は決まって図書室に居た。
生き物の図鑑や、乗り物の図鑑を、せっせと模写していた。
咲希は薫に聞いた。
『薫君は一体何を目指してるの⁉︎』
怒っている様だった。
無理もない。
仕事でヘトヘトの上に、薫の世話、
おまけに学校からの呼び出し……
怒りたくもなるだろう。
薫は困った。
自分は空想が好きだ。
空想した事を、絵と話しで描きたいと思った。
でも、咲希姉ちゃんになんて説明したらいい?
咲希は、ランドセルから取り出した自由帳の絵を見て、
『あんた、絵上手ね…… イラストレーターとか目指してるの?』
と言った。
「いらすとれーたー??」
薫はキョトンとしていた。
『ま、夢中になれるものがあるって事は
良い事だよね! でも、勉強もしっかりね!』
咲希は、溜息混じりに 笑った。
咲希に迷惑をかけるまいと、薫は必死に授業を受けた。
そこそこの成績を取り、尚且つ 絵は描き続けた。
美雨と出会った時の事や、出来事を形にしてみた。
何となく、4コママンガの様なものが出来上がり、
溜まっていった。
ーーーー
薫が小学6年生の頃、咲希と結婚したいという相手が現れた。
咲希は迷った。
相手が、薫を全寮制の、中高一貫校へ入れるよう、
提案してきたからだ。
自分の結婚のために、薫を見捨てるような事、
咲希にはできないと思った。
それに、自分の中で燻っている義兄への想い……
迷う咲希の背中を押したのは、他でもない 薫だった。
小学校6年間……
決して短くはない期間を、一緒に過ごした2人。
薫には他に、恩返しの方法が見当たらなかった。
「咲希姉ちゃん、まだ若いし、綺麗だよ。幸せになってね」
薫は笑顔でそう言った。
『生意気言って……』咲希は泣きながら、薫を抱きしめた。
〈幸せになって……〉その言葉は、義兄からの
もののように思えた咲希だった。




