雪の朝
「しかし冷えるわね……」
昨夜から降り止まない雪の中で、叔母の 萩原 咲希が言った。
薫は、その言葉に返事もしないで空を見上げ、
視界に映る 全ての雪が、円の形になって 自分の顔に
落ちるのを、ただ ぼんやりと見ていた。
雪の冷たさを感じながら……
あの日も、こんな風に雪が降っていた。
***
1週間前、前日からの大雪のため、幼稚園が休みになった
薫は、両親と共に出掛ける仕度をしていた。
薫の父親は、会社へ行くために日頃バスを利用している
のだが、この日は大幅にダイヤが乱れ、やむを得ず、
自家用車で会社へ向かう事にしたのだ。
ところが、会社は都心部にあり、社員用の駐車場は確保
されていないため、薫の母親が送迎を買って出たのだ。
決して雪が珍しいわけではないが、ここまで大雪の中
しかも運転となると、やはり緊張する。
両親の口数が、ひどく減って行き、
子供の薫にも その緊迫感が伝わってくる。
赤信号で、薫たちの乗った車が停車した。
「ああ、緊張しすぎて肩凝っちゃう!」
母が笑った。
「僕も、ずっと手の中が汗でベチョべチョだよ」
そう言って 父も笑った。
それを見て、薫も少し安心して笑った。
その時だった。
背後から、スリップした大型トラックが
3人を乗せた車に襲いかかったのだ。
トラックに押し出される格好で、ガードレールに衝突
した車は、前が原型をとどめない程潰れていた。
薫も、強く頭をぶつけ重症を負ったが、すぐに
両親に向かって声をかけた。
「パパ……パパ……」
助手席の父親は返事をしない。
運転席の母親が
「うーん……」と唸った。
生きてる!
薫は、往来の少ない道に助けを求めて 、どうにか這い出した。
「助けて……誰か……お願い……」
冷たい雪道にうつ伏せのまま、必死に助けを呼んだが、
誰にも届かない。
薄れていく意識の中で、トラックから 中年の男が
ヨロヨロと逃げていくのが見えた。
「おじさん、助けて……」
薫の声は届くことのないまま、意識を失った。
その後、たまたま通りかかった人の通報で救急車が手配
され、3人は病院に運ばれた。
知らせを聞いて病院に駆けつけた咲希に、意識を取り戻した
薫が聞いた。
「パパとママは?」
咲希は俯いて首を横に振った。
「そんなはずない!ママ、まだ生きてた!僕、おじさんに
助けてって言ったんだ
トラックから降りて来たおじさんに……」
咲希は言った。
『薫君、相手の人見たの?』
「相手って?」
『この事故の犯人よ』
「犯人?」
『事故を起こして、逃げ出して、その後近くの林で
見つかったって。その おじさん、死んでたって……』
薫は無意識にシーツを握りしめていた。
許せない! 許せない! 許せない! 許せない……
あのおじさんは、僕のパパとママを殺して逃げたんだ。
あのおじさんのせいで、僕は1人ぼっちだ……
薫の目から、止めどなく涙が溢れた。
薫にはまだ「死」というものが何なのか、よく分からなかった。
ただ分かるのは、大切な人がいなくなってしまった事。
しかも他の誰かのせいで奪われてしまった事。
「僕も一緒に死ねばよかった……」
咲希は泣きながら、薫を抱きしめた。
***
まだ6才の薫を今後どうするか、誰が引き取るか、
親戚が寄り集まって話をしていた。
『しかるべき施設へ』という事で、意見がまとまりかけた時、
咲希が声をあげた。
「私が、薫君を育てます!」
薫の母親の妹にあたる咲希は、まだ27才。
しかも、独身だ。周りは大反対した。
ところが咲希はガンとして受け入れなかった。
咲希は姉の夫、つまり義兄に、秘かに想いを寄せていたのだ。
義兄にそっくりな薫を自分の手で育てる事は、咲希自身にも
支えになると、そう思えた。
「いいよね、薫君」
咲希の言葉に、薫は黙って頷いていた。
葬儀や、今まで薫達が住んでいた家の片付けなどを済ませ、
咲希の家へ向かうため雪の中、バスを待っていた。
『しかし、バス遅いわね……
ま、この雪だし仕方ないか……』
咲希は1人でブツブツ呟いていた。
一瞬、吹雪で周りが真っ白になり、何も見えなくなった。
が、薫の耳には確かに、バスのエンジン音が聞こえた。
程なくして、バスがやって来た。
薫は迷わず、そのバスに乗った。
扉が閉まって気が付いた。
『咲希姉ちゃんがいない!』
バスの中には乗客が1人もいない。
薫は怖くてたまらなくなった。
『大切な人が、またいなくなってしまった』
自分はどこに連れて行かれてしまうんだろう……
半べそをかきながら、バスに揺られていると、
静かにバスが停車した。
「どうぞ……」
運転手に促されるまま、薫はバスを降りた。




