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海の底から見た星は  作者: 木冬
第一章 落ちた星
9/18

07

 一瞬の浮遊感の後、目を開けばそこは見覚えのある薔薇園だった。

前回とは異なり、今宵は何故か真っ赤な花弁がひらひらと風に舞い、毒々しいほどに甘ったるい花の香りが充満している。

薄曇りの空も相まって、辺りはまるで赤い雨が降っているかのようだ。


「さて、と。エルが現れたら私が行く。お前はその辺りに隠れてたら良いよ」


 周囲の異様な光景を気にした様子もなく、カーラが軽く伸びをした。

いつの間にか、その手元には彼の背丈ほどの槍が握られている。


「……これ、気になる?」


 カーラは口元に薄く笑みを引くと、見せつけるように軽く槍を振って見せた。

三角錐状の穂先のついたその槍には目立った装飾もなく、実用性に特化した代物のように見える。


「ああ……何の手品だそりゃ。どこに隠し持ってやがった」


「隠し持ってなんかないよ、取り出しただけ。ここはエルの作った世界だけど、同時に私の夢でもあり、お前の夢でもある。それなら少しくらい融通利かせられるはずでしょ? ……まぁ、大したことはできないけどね」


「はぁ? なんちゅう無茶苦茶な……」


「バーカ。神なんて名乗るものが人間に干渉してきてる時点でそもそも無茶苦茶なんだよ。私たちは、人の常識が通用しない化け物の腹の中に飼われてるようなものなんだ。……さ、そろそろ始めるよ。足手纏いは大人しく隠れてて」


 彼の言葉を合図にするかのように、まるで浮かび上がるかのようにエルが姿を現した。

こちらに背を向けており、植え込みの影から様子を窺うスヴェン達には気がついた様子はない。

ぼんやりと力なくその場に立ち尽くす様子は空と同じように薄暗く、どこか亡霊めいても見えた。


 音もなく、カーラが地面を蹴った。

その漆黒の髪に深紅の花弁を浴びながら、数歩の距離を一瞬で詰める。

気配に気付いたエルが僅かに身動いだが、彼が振り向くよりも早く、その背に槍が突き立てられた。

ぶわりと、黒い靄が血飛沫のように傷口から零れ出す。


 正確に標的の左胸を貫いたそれを引き抜くと、カーラは横に跳んで距離をとる。

人ならば即死は間違いない傷だが、その視線は未だ警戒の色を失ってはいない。

事実、染み出すように広がる黒い靄を纏い、エルは未だ揺らぐことさえせず立っていた。


「……ああ、誰かと思えば、アメリアの忘れ形見じゃないか。キミは相変わらず邪魔ばかりしてくれるね」


 緩慢な動作でエルが振り返る。

真紅のその瞳は静かに凪いでおり、一瞬前に致命傷を負ったようには到底見えはしない。

彼の手がそっと左胸に触れれば靄の流出も止まり、胸元にはぽかりと空いた穴だけが残される。


「まあいい。きみもデュランの血を引く子に代わりはないからね……さあおいで。好きなだけ遊んであげる」


「はっ……そうやって、私達を喰らって力にしようって? 守護神が聞いて呆れるね。悪魔とでも名乗り直したほうがいいんじゃない?」


「……今日はお喋りの気分なのかい? ぼくを『そういうもの』にしたのはキミたちだろうに……」


 先に動いたのは、エルの方だった。

女のように細い腕を、戦闘中とは思えぬほどゆったりとした動作で持ち上げ、そっとカーラへ手を伸ばす。

彼の纏う靄が収束し細身の剣となってその手に収まるまで、瞬きほどの時間もかかっていない。


 勝負は、一瞬で決した。

エルが軽く腕を振るや否や、どう見ても常識外れな軌道で飛んだ剣がカーラの胸元に突き刺さったからだ。

花弁に紛れるように真っ赤な血が溢れ出す。

貫いたのは左胸。先程の攻撃と、寸分違わず同じ位置だ。


 ゆらりとカーラの身体が傾ぐ。

咄嗟に槍を支えに踏みとどまったものの、口元と傷からは血が溢れ意識があるのも不思議なほどの有様となっている。

だが、苦痛に顔を歪めながらも彼は冷静なようだった。

思わず飛び出そうとしたスヴェンを睨み、口の動きだけで来るなと釘を刺す。


「っふふ……さあ、これで一回だ。キミの心はどこまで耐えられるかな」


 エルが楽しげに笑うと、霧散するように血濡れの剣が掻き消えた。

代わりに、目の前の獲物に見せつけるように新しい剣が具現化されていく。

二本三本と次々増えて行くそれは、エルの指先に指揮されるようにふわふわと宙に浮かんでいた。


「……化け物め」


 掠れた声で吐き捨てるカーラの腹に、返事の代わりに剣が突き立てられる。

その後は、一方的な蹂躙だった。

口を開こうとすれば一度、身動ぎをすればまた一度、エルは笑いながら致命傷を与えて行く。

弱った虫を嬲るようなそれは、カーラの言葉通り、守護神の名からはかけ離れた行為だった。


「ああ、もう終わりなのかな? 今日は随分と骨が無いね」


 やがて膝をつき動かなくなったカーラに、エルが揶揄混じりに声をかける。

その言葉に反応が無いことを確認すると、彼は赤と黒に染まった衣の裾を引き摺りながら標的との距離を詰めていく。


「つまらないな。もっと絶望して、許しを乞うてくれないと。キミたちが捧げた数多の命のように」


 エルの手がカーラの頬に伸びる。

言葉とは裏腹に、乱れた黒髪をかき上げるその手つきは丁寧で愛おしげですらあった。


「……まあ、いいや。夏の夜は短いからね。もう終わりに、っ!?」


 エルの言葉を遮るように、鈍い光が一閃する。

一瞬の後、どさりと音を立て白い衣に包まれた右腕が地面に転がった。

血濡れの顔に獰猛な笑みを浮かべ、カーラが剣を放り捨てる。

地面に転がった小ぶりなそれは、いつか見た儀礼用の宝剣だ。


 ぽかんとした表情のエルの肩口から溢れだす黒に飲まれ、カーラの姿が陽炎のように揺らぐ。

紫色の視線が一瞬だけスヴェンを捉えたような気がしたが、幻のように掻き消えた彼の表情からはなにも読み取ることはできなかった。






 異様な光景に呆然としていたスヴェンを正気に戻したのは、控えめに袖を引く小さな手だった。

振り向けば、見覚えのある少女が表情の無い面でこちらを見上げている。


「お前……」


「黙って。エルに見つかってしまう。……早く逃げないと」


 少女はか細い声とは裏腹に、しっかりとした口調で告げてくる。

袖口を引っ張る力こそ弱々しいが、その目は真剣そのものだ。

僅かに悩んで、スヴェンは少女に従うことに決めた。

警戒する気がないわけではないが、相手はあくまで幼子だ。

片腕を失ったとは言え明らかに様子のおかしい人外と対峙するより、彼女についていくほうが何十倍もマシだろう。


 木々や植え込みに隠れながら、少しずつエルと距離を取る。

物陰からこそりと様子を伺えば、彼は自らの腕だったものをふわりと宙に浮かせたところだった。

どこか無機質なそれは、エルが左手を一振りすると深紅の薔薇へと姿を変え、ぼろぼろと花首から崩れるように落ちていく。


「余り見ないほうがいい。魅入られたら、戻れなくなる。……あんなものに、あなたはあげない」


「おう……悪いな」


「……こっち。走って」


 神殿の入口までくると、少女はぱたぱたと駆け出した。

自身の腰ほどまでしかない小さな身体に合わせ、スヴェンも僅かに歩幅を広げる。

石造りの神殿の奥は現実のそれと同じく薄暗かったが、彼女は迷うそぶりも無く真っ直ぐに足を進めていく。


「おい嬢ちゃん。いったいどこに連れてく気だ?」


「秘密の場所。……太陽が顔を出すまでの間、そこで身を隠すの。エルにはわからないから、大人しくしていれば大丈夫」


「はぁ……まぁ、とりあえず信じるけどよ。アンタいったい何者だ?」


 スヴェンの問いに、少女はその人形のような面を横に振って足を早めた。

暗く入り組んだ通路に、大小二人分の足音だけが響く。

一度途切れた会話は蘇ることなく、どこか居心地の悪い沈黙が場を支配する。


 やがて、石造りの小さな部屋に辿りつくと、彼女はゆっくりとスヴェンに向き直った。

鮮血色の瞳は伏せられたまま、どこか物憂げに揺らいでいる。


「ここで、待ってて。きっとすぐ朝が来るから」


「あー……ありがとな。助かった。嬢ちゃんはこの後どうするんだ?」


「……どうもしないわ。ここで、お別れするだけ」


 少女は感情の乗らない声でそう言葉を紡ぐと、そのまま溶けるように姿を消した。



 後には一人。ただスヴェンだけが残されたのだった。

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