第6話 知る
夢。
白い夢。
白一色の部屋。
壁に窓はなく、天井がガラス張り。
部屋の中央に机があり、その脇に置かれている椅子に人が一人座っている。
白い髪の少女。
近寄ると彼女がゆっくりと顔を上げる。
彼女は縋る様な眼差しを向けてくる。
彼女の唇がゆっくりと動く。
いつもの様に。
「わたしを殺して」
と。
「どうして・・・」
とっさに聞き返す。
聞き返せた。
その瞬間、彼女の目が見開かれ
少しだけ表情が曇り
夢が
終わった。
◆
ぼやけた意識が微睡の中から少しづつ覚醒していく。
体がひどく怠い。
真(まこと)はゆっくりと瞼を開き、いつも通りに目覚まし時計を確認しようと頭を巡らせ、見覚えのない場所に寝かされていることに気づいた。
はっきりしない頭で、無意識に辺りを見回す。
コンクリートむき出しの壁に天井。
窓には白いブラインドが下り日の光を遮っている。
寝かされていたのは簡易ベッドで身じろぎすると軋んで音が鳴った。
ベッドの横には飾り気のない衝立が置いてあり、向こう側にもベッドがあるようだ。
ゆっくりと体を起こす。
身体が重く、座っているだけでも疲れを感じる。
意識はだいぶはっきりしてきたが、靄がかかったようにスッキリしない。
ここはどこだろう?と、ぼんやりと考える。
何故ここで寝ていたのか。
部屋の端に扉が見え、なんとなく外を確認しようと立ち上がる。
と、そこでふらつき壁に手をつく。
ひどい疲労感を覚えるが、壁に手を着きつつ扉まで移動し、ドアノブに手を掛ける。
そこで「鍵がかかっていたらどうしよう」という考えが、ふと浮かぶ。
だが、ドアノブは抵抗なく回り、扉は開いた。
扉の先は階段の踊り場だった。
階段はコンクリートの壁に囲われており外は見えない。
蛍光灯が寒々しく明かりを灯している。
階段の作りから町によくある雑居ビルだろうと考える。
上下に階段が伸びていて、下の踊り場に小さな曇り硝子の付いた簡素な扉が見える。
とりあえず、下に降りようと二・三歩降りたところで、下の扉がゆっくりと開く。
一瞬身構える。
が、緊張はすぐに解けた。
「よう、起きたな。真」
依神 刹那(いがみ せつな)が顔を出した。
真は、そのまま下の部屋に通され、勧められるままソファに腰を下ろした。
正直まだ体が怠く躊躇はなかった。
部屋は事務所になっていた。
業務用デスクと書類棚。長机にパイプ椅子。それらがいくつか置かれ、本や紙の束、封筒等々が乱雑に積まれている。
他に来客用か木造りのガッシリとした長机にソファもある。
そのソファに真は座っていた。
「ほら、飲んでくれ」
「ありがとう」
真はガラスコップに入った麦茶を受け取りながら、依神に礼を言った。
口に入れると冷たい麦茶が喉を通り、胃に落ちる。
それを切っ掛けに喉の渇きを覚え、半分程を一気に流し込んだ。
一息ついたところを確認して、机を挟んで正面に座った依神が口を開く。
「いろいろ聞きたいことがあると思うんだが・・・何が聞きたい?」
真は一瞬何を聞かれているのか分からなかった。だが、昨日の事を思い出す。
あの狼男の事を。
闘う依神の事を。
死を意識した事を。
意識が急に覚醒した気がした。
背筋が寒く、動悸が激しくなるのを感じる。
昨日の出来事は事実だろう。
あんな日常と乖離した出来事が、確かな現実感をもって甦る。
依神を見ると、ただ静かに待っていた。
真が混乱しているであろう事は、予測していたのだろう。
だから、混乱が収まり、たしかな疑問が湧いてくるまで待っていてくれているのだ。
真は一度大きく息を吸ってから口を開いた。
「昨日の、あの狼男は本物・・・・・なんだよね?」
真には分かっていた。あれは「まがいもの」などではなく、
「ああ、本物だ。紛れもなくな」
そう、本物だ。
依神は続ける。
「あの狼男は人狼族って一族だ。人狼族は一般的に知られてる狼男と大差ない特徴を持ってる。月を見て狼に変身して凶暴になる。まあ、女もいるけどな」
「・・・・そんなのが本当にいるんだね」
「ああ。もっとも、数が少ない上に閉鎖的な種族だから、本来はほとんど人里に下りて来たりしないで、山奥に住んでるんだけどな」
「はあ、そうなんだ」
なんだか漫画だな、と真は思う。
だが、昨日体験したことを鑑みれば、依神の話している事が真実だと分かる。
ただ、だとすればなぜ自分が狙われたのか。
それとも、巻き込まれただけ?
いや、違う。
あの、男は言っていた。
しっかりと自分を見据えて「我らの邪魔はさせん」と。
そして、真っ直ぐに、その鋭い爪を向けてきた。
「どうして、僕が狙われるの?」
真は躊躇わずに聞いた。
聞かなければならなかった。
殺意を向けられたのだから。
だが、依神はすぐには答えず、少し目を伏せると自身の座っているソファーにたて掛けてあった袋に手を伸ばす。
袋は釣竿などを入れている竿袋に見える。
「その前に、少し別の話をさせてもらえるか?」
言いながら依神は袋の口を締めていた紐を解き、中身を取り出した。
真はそれを見た瞬間、昨日彼が手にしていた物だと理解する。
日本刀。
昨日と違い鞘に納まっているが同じものだろう。
だが、奇妙な見た目だと、真は思う。
依神は、その刀を二人の間にある机に置いた。
その刀には札が貼り付けてあった。
何枚も。
柄の部分には巻き付ける様に何枚も。
木造りの鞘にも幾つも。
何かを封じる様に。
札には何事か文字が書かれているが、真には読めない。
「この刀は妖刀でな。妖怪のもつ妖力っていう力を喰う刀だ。名を『妖喰』。んで、こいつをきちんとした刀として扱うためには、使い手にも妖力が必要になる」
依神はここで一旦言葉を切った。
真に言葉の意味を意味を理解させるように。
そして続ける。
「俺は人間じゃあない」
一瞬あっけにとられる。だが、昨日の戦いを思い返せば、むしろその方が納得できた。
自身を超える体躯を持った相手と互角の力を発揮し、路面やガードレールに叩き付けられても生きている。
ましてや、今目の前にいる彼には昨日負った傷の後遺症が見られない。
普通の人間とは、ちょっと思えなかった。
だが、次に彼が発した言葉には、さすがに驚かざるおえなかった。
「そして、真。お前も、もうただの人間じゃあない」