第5話 オオカミオトコ
狼男。
ウェアウルフ。
ライカンスロープ。
ルー・ガルー。
それは昔話やお時話、あるいは伝説に登場する存在。
普段は人の姿をしているが、満月の夜に姿を変事「狼」となる。
「狼」となった、その者は凶暴な血に飢えた獣となり、人を襲う。
◆
真と依神、二人の前に「狼男」が佇む。
2メートルを優に超える巨躯。
裂けた服をボロの様に纏い二足で立つ。
その男を前に、依神は舌打ちしつつも動揺なく構える。
切っ先を相手へ。
対して男は先程までの格闘家のような構えではなく、両手を広げ腰を落とす。
その両手足には鋭い爪が見える。
「真、立てるか?」
真を背に守りつつ、依神は声をかける。
「できれば逃げてくれ。さすがに、あれが相手じゃ余裕がない」
真は何とか立ち上がるが、膝が笑っている。まともに歩けるか分からない。
「い、依神・・・君は?」
「少しでも時間を稼ぐさ。どれぐらいやれるかは、分かんねぇけどな」
真はどうして自分が狙われるのか分からなかった。
狼男に狙われる理由なんて、想像もつかない。
ただ、これだけは分かる。あの男は自分の命を狙っていて、その命を絶つことに躊躇いはないだろう。だから、逃げなければ。逃げなければ殺されるのだ。
殺されるのは・・・・嫌だ!!
真が意を決した瞬間、狼男が動く。
滑るように低く低く。
先程よりも倍以上も早く一気に二人との距離を詰め、振るわれる巨腕の一撃。
狙いは依神。単純な横殴りの一撃。だが、速い。
辛うじて刀で受ける。
爪が当たるかどうかのギリギリの位置。
人の身でありながら吹き飛ばされず耐える。
「フッ!!」
依神は息を吐きつつ、刀を跳ね上げる。
狼男の腕が弾かれるが、間髪入れず反対の爪がすくい上げる様に襲い掛かる。
依神は全身のバネを利用し、振り上げた刀を振り下ろす。
刃と爪がぶつかり合う。
だが、体勢が悪い。
依神は踏ん張る事が出来ず、体が刀ごと持ち上げられ宙に浮く。
その隙を見逃さず、狼男の蹴りが空いている脇腹を襲う。
避ける事も出来ず、依神は身体をくの字に折り、鈍い音を鳴らしながら吹っ飛び、真横のガードレールに突っ込んだ。
轟音と共にガードレールは大きくひしゃげ、支柱が路面から抜ける。
だが、間を置かず依神は起き上がり、狼男に斬りかかった。
一閃!二閃!
狼男は余裕をもって躱す。
明らかに先程より太刀筋が鈍い。
次の依神の一刀を、狼男は左の爪で受けつつ、右腕を振るう。
その手に向かって、依神は左拳を打ち込んだ。
互いに組み合う様に形になり、力を込める。
依神の拳は、狼男の巨大な掌に収まっているが、手首や手の甲に鋭い爪が突き刺さり血を流す。
だが、依神は押し負けていない。
狼男の巨躯を相手に拮抗した状態で押し止めている。
「真!!行けえ!!」
依神が叫ぶ。
僅かに向けた顔は血に濡れていた。
真は声を受けて動く。
ここから離れる。
遠くへ。
少しでも。
だが、身体は思うように動いてはくれない。
しかし、一歩・二歩と後退り、彼らに背を向けて動き出す。
「逃がさん!!」
狼男は組んでいた手にかかる力を、一瞬だけ抜く。
拮抗していた力が無くなった事で、依神が体勢を崩すし、それを見逃さず、狼男は膝を跳ね上げる。
依神の胸元へ膝が直撃し、鈍い音が鳴り、くぐもった声が漏れる。
身体が浮き、間髪入れず狼男は未だ掴んだままの右手を支点に、路面に叩き付ける。
鈍い音が響く。
思わず振り向いた真の目に横たわる依神と、こちらを見据える狼男が映る。
狼男と、目が、合う。
殺されると確信する。
次の瞬間、狼男が地を蹴った。
一足跳びで真との距離を詰めると、最短の抜き手を放つ。
鋭い爪が真っ直ぐに真の身体を狙う。
速い。
避ける術はない。
反射的に目を瞑る。
だが、予想していた痛みや衝撃は襲ってこない。
ゆっくりと目を開ける。
無意識に体を守るように上げていた腕の隙間から、爪が見える。
そして、それに纏わりつくように黒い霧のようなものが宙を漂っている。
「ぐぅ・・・!!」
狼男のくぐもった声。
よく見れば、黒い霧は狼男の手首辺りまでを包み込み、その巨腕の進行を妨げている。
爪は辛うじて真に届かない位置で止まっていた。
真は崩れる様にその場にへたり込む。
黒い霧。
それが何なのか真には分からなかったが、それは狼男を遮るように徐々にその面積を広げている。
狼男の手を捕らえている部分は影が濃くなり、少しづつ纏まってきているようにも見える。
狼男は腕を引き抜くべく力を入れる。
全身の筋肉が盛り上がり、両足を踏ん張る。
だが、黒い霧は纏わり付くように腕に絡まり、すぐには抜けない。
少しづつ、徐々にだが引き抜かれてゆく。
その時、真の目前、狼男の背後に人影が立つ。
依神がゆらりと。
その瞳が紅に輝いている。
瞬間白刃が煌めく。
無音の一刀。
狼男は気づき、避けようと身体を反らすが、片腕が固定され躱しきれない。
その腕を刃が捉える。
強靭な筋肉を纏った巨腕をあっさりと両断し鮮血が飛ぶ。
依神はさらに返す刃で体を狙うが、狼男は血を撒き散らしながら大きく跳び退さる。
追撃を掛けようと依神が視界を巡らせた時には、狼男はもう一度大きく跳び線路へ。
さらに、もう一度跳び闇に紛れ姿を消した。
線路の上を乗客を乗せた電車が通過し、狼男の気配も消えてしまった。
残された二人には、いつもの町の気配が戻りつつあるのが感じられた。
「はぁ~」
溜息一つ。
あっさりと退いた事を若干訝しがりながらも、依神は体の緊張を解く。
血に濡れた顔を袖で拭いながら、真に向き直った。
「・・・何とか生き残ったな」
「・・・・」
依神が声を掛ける。
その表情も声色も、すでにいつもの調子に戻っていた。
そして、彼の瞳は夜の空と同じ色だ。
黒い霧は、いつの間にか消えてなくなり、斬り落とされた毛に包まれた腕だけが残された。
途端に真は強い疲労感を覚える。
「真?」
依神の声に返事もできず、真はその場で崩れる様に横になり、そのまま意識を失った。