第4話 接触。必然の
真(まこと)は、その後、依神と柳の二人に礼を言って帰宅した。
そして、あの少女に声をかけようと心に決めて床に就いた。
意気込んでいたせいで、なかなか寝付けなかっが。
しかし、その日は最近にしては珍しく、夢を見る事はなかった。
翌日、クラスで依神に夢を見なかった事を話すと「まあ、そんな日もあるさ」と言われた。
確かに、以前は毎日見ていた訳ではない。
次の機会に、と考え直す。
しかし一瞬、依神が顔をしかめた事に、真は気づかなかった。
◆
その日の帰り、道の途中にあるいくつかの本屋に立ち寄り、少し遅くなった。
日は傾き薄暗くなってきている。
今日こそは少女に声をかけようと考えつつ道を歩く。
線路下に差し掛かり顔にかかっていた夕日が途切れ・・・・瞬間、辺りに人がいない事に気づく。
帰宅ラッシュ時にも関わらず、いやに静かだ。
遠くから車の音が聞こえてくるが、この時間に鳴き始める虫の声が聞こえない。小鳥の囀りさえも。
息を潜めるように。
靴音が聞こえる。
前方の線路下の暗がりから、等間隔で音が近づく。
懸架の影から男が一人現れる。
遠目でも解かる鍛えられた肉体。
短い髪は黒と白が混じり合い、厳つい顔に鋭い目。
目の前の真を静かに見据える。
男は真から20メートル程手前で立ち止まる。
真も自分で気づかぬうちに立ち止まっていた。
「こんな子供がか」
男はぼそりと呟く。
と、同時に全身を襲う圧迫感。
息ができないと錯覚する程の緊張が全身を支配する。
体がふらつき倒れそうになるのを堪える。
鞄を落とすが、そんな事に構ってはいられない。
なんとか、呼吸を整えようと浅く息を繰り返す。
「ほう、この程度の気当たりならば耐えるか。ならば、間違いとも言い切れんな」
男が一歩踏み出す。
(な、何が!?)
真は目の前の男が、自分に何かしただろう事は想像がついた。だが、頭が混乱していて思考がまとまらない。
とにかく呼吸を、と乱れた意識で集中する。
「我らの邪魔はさせん」
男は言うや否や、さらに一歩踏み出すと次なる一歩で20メートル近い距離を一気に詰める。
右腕を振り上げ目前にまで迫った姿が、真の目に映る。
鋼の様な腕は人の身体を容易に破壊できるであろう事は想像するまでもなかった。
体は動かない。
何もできない。
ギィンッ!!
耳障りな金属音が響いた瞬間、男は大きく後方に飛び退り着地する。
振り上げた拳は振り下ろされてはいない。
その直前で男は退いていた。
真は緊張が解け、その場でへたり込む。
金属音の正体はナイフだ。
真の正面。アスファルトの舗装にほぼ垂直に突き刺さっている。男がいた位置だ。
そのナイフの先に新たに人影が舞い降りる。
「何とか間に合ったか」
その人物は真に背を向け、肩ごしに語りかける。
黒っぽいコートに、右手には日本刀。ザンバラな黒髪には見覚えがあった。
「依・・・・神・・・君?」
絞り出すように声をかける真に、依神はいつもの調子で答える。
「悪いな、遅くなった。そいつの後を追ってたんだが、途中で巻かれちまってな。間に合って良かったぜ」
依神は背中を向けたまま、振り返ろうとはしない。
「貴様がここにいるという事は、我が同朋は死んだか」
「物騒な事を言うなよ。俺の仲間が足止めしてんのさ。もっとも、あんま駄々をこねる様なら、無事は保証しないけどな」
男は素手のまま構えを取る。
腰を落し片手を前に、もう片方を腰に据える。
合わせるように依神は右足を引き、刀を横に、空いた左手は前へ構える。
真は息を潜めるように事の成り行きを見守るしかなかった。
先に動いたのは依神だ。
男との距離を詰め、刀を振るう。
刀身が欠き消える程の速度で振られた一刀は、男が前へ踏込み依神の右腕を狙った一撃で防がれる。と、同時に男は空いた拳を正拳で打ち込む。
空気の爆ぜる様な一撃を、依神は後ろに跳びつつ左の掌で受ける。
飛び退きざま刀を振り下ろすが、男は半身だけ下がり躱す。さらに、依神が着地するよりも早く前へ。
未だ伸びきっている右手側から、胴を目掛け振り上げられる左脚。
依神は首の反動で体を傾いで直撃は避けるが、それでも蹴り飛ばされ地面を転がる。
だが、転がる中で身体を跳ね上げると、なんとか着地しつつ勢いを殺し立ち上がった。
「簡単にはいかねぇ、なっ!!」
気合の声と共に依神は再び男との距離を詰める。
今度は低い位置から、両手でもって胴を狙い放つ突き。
最小の動きで男は横に躱すが、依神は身体の勢いは殺さず、無理やり刀の軌道だけを変え横へ切り払う。
男は咄嗟に上げた腕で刀を受け、空いている依神の体を踏み込むように蹴り出し距離を取った。
体勢の崩れていた依神は倒れるが、すぐに起き上がり構えを取る。
男の腕から血が滴るが、傷は浅い。
完全に斬られるより速く跳び退いていた。
「出鱈目な剣だ」
「我流でね。師がいないんだ」
瞬く間に繰り返される攻防に、真は恐怖心を覚えながらも見入っていた。
辺りは暗くなり視界も悪くなってきている。
日が傾いてから、日が落ちるのは早い。
男はチラリと空を見上げてから「仕方がない」と、独り言を洩らす。
次の瞬間、男の体が膨れ上がり、服が弾ける。
全身の筋肉が盛り上がり、同時に体毛が全身を覆う。厳つかった男の顔は口が前に突き出し、鋭い牙が並ぶ。耳も頭の上部に移動しつつ毛で覆われていく。
獣の姿。
その顔はよく知るものだが、二足で立つその姿はおとぎ話に出てくる異様だ。
そういえば月が見える、と真は空を見上げる。
あまりの出来事に感覚が麻痺したのか、あまり動揺はない。
変化した男の姿。
それは、まさに「狼男」と呼ぶべきものだった。