ありがとう、ルーシー。オレに会いに来てくれて。
言われてみれば、記憶があった。
おそらく、何かのクエストで一度立ち寄ったきりだ。
「姫様はここの所ずっと塞ぎ込んでしまって。無聊を託っておいでですわ。何か楽しいお話をお願い致します」
メイドが慌ただしくその場を去る。
城内に華美な装飾は見当たらない。ひたすら合理性を追求した石造りの廊下を進む。
「用件が済み次第直ちに去られよ」
オレの左右に近衛兵が付いた。
その部屋に入ると、少しほっとした。
頭上にきらびやかな金の燭台が据え付けられておりたくさんの蝋燭が部屋を照らしている。真っ赤なカーペットは激辛唐辛子ラーメンのように壮麗で、調度品は可愛らしく、暖炉にはバチバチ爆ぜる薪がくべられており、オレは外套を脱いだ。
瑪瑙と青玉で飾られた足首の細い机に退屈そうに頬杖を突いて、ルーシーは物憂げに床を眺めていた。胸が躍った。ルーシーの何もかもが鮮明に蘇った。でも、DOF内であることがただ猛烈に寂しかった。
そしてようやく気付いた。あのとき着ていたのはただの、華やかで玲瓏なドレスだったんだ。
現実でルーシーに会ったとき。ダンボール箱の中にいたから余りにも場違いでウエディングドレスに見えた。しかしこんな絢爛な部屋の中だとまったく似つかわしい。
「多忙を極めるわたくしに、一体何の用なのです」
ルーシーはオレに一瞥をくれると、疎ましそうにため息をついた。
なるほど、これでは人が寄りつかないのも頷ける。
でもオレは変人だ。
だから、過去のオレはルーシーに興味を持ったのだろう。
「工芸品の神業で変装してるから解らないかもしれないけど、オレだよ。カガミだよ」
「さあ? どなたかしら」
ルーシーの瞳に、光が閉じ込められている。
まあ。
予想はしていた。
ルーシーは初期化されてしまったのだ。そうして、バックアップしていたデータをインストールして何事もなかったかのように今こうして澄ましているのだ。
何を話してもルーシーは冷淡だった。視線すら合わせない。オレは注文を聞いてもらえず一切を無視され続ける客だった。それでもしつこくルーシーにぶらさがっていたが近衛兵に退出するよう促され、やむなく退がった。
「カガミ。冗談よ」
って。ルーシーが言い出さないかいつまでも期待していたがルーシーは結露した水滴がしたたる窓をただぼんやりと眺めていた。
「また、来るね」
城を出、無骨な石畳の下り坂を進む。壁には無数の傷が刻まれていた。床には岩が転がった痕が見られる。この城は幾度も侵略を受けている。
「カガミ。結婚して?」
胸に空いたばかりの隙間に、すかさず手を挿し入れようとする。
城門に、さっき目に焼き付けたばかりのドレスを着た、少女が寄りかかっていた。
オレはマイクをオンにして。
「お前さあ、変装がバレるってリスクがないわけじゃないんだからさ、よほどのことがない限りは街に出てくるな。ただでさえお前の武器はうるさいのに」
「カガミはここに来たの、よほどのことなの?」
「もちろんだ」
辺境にある宗教都市セボルガ。
城下町とはとても思えない。人通りは少なく、着ている物も粗末で、街並みには彩りがない。国土は山がちで平地が少なく、土壌の質は悪くロクな物が育たない。海に面してはいるが冬には氷に閉ざされてしまう。
NPCだって、食べられなければ痩せていく。貧困はセボルガの軍備にも影を落とす。
体が冷えてきたのだろう。皮下脂肪弁慶が外套を着込む。
チサトはオレの左腕にしがみついた。チサトはずるい。オレは「神業が解ける前にセボルガを出るぞ」と言って逃げるように走り出した。ゲートで街を出る。
アジト近くのゲートで、フリーランスが待っていた。チサトを認めると槍頭を下げる。
「オレはやっぱりルーシーじゃなきゃダメなんだよ」
「むーりーだーねー。お姫様じゃない」
「某の姫様はチサト様ですぞ」
とフリーランスが横槍を入れる。いやまあ確かにお前は槍だけど。
「オレがルーシーに見合う男になればいい」
「やっぱり無理だね。咎人だもん」
それもこれもおまえのせいなんだけどな。と言いたかったが、胸の中に押し殺す。
「お前さあ、突然どうしてこうなったんだ?」
「だってさ、カガミが家を出てったら、お兄だって思えなくなったんだもん」
なるほど、ね。
チサトは自由だ。うらやましいぐらいに。
でも。ひょっとして。
オレは、「兄と妹で恋人になってはいけない」という常識に、倫理観に、固定観念に、縛られているのか?
オレはラーメンを食べ物だと考えている。
飲み物じゃない。
恋人じゃない。
オレはチサトを妹だと考えている。
飲み物じゃない。
恋人じゃない。
「きっとね。チサトは突然変異なんだよ。お兄を好きになっちゃうの」
そうか。だとしたら、チサトも淘汰されるのかもしれない。
チサトにどんな言葉をかけてやるべきか、わからない。モニターが点滅して、顔を上げる。
『花蝶姫からボイスチャットの要請が来ています』
拒否を押す。今、音声認識を使うわけにはいかないのでキーボードを叩いた。
皮下脂肪弁慶「今、他の人とボイチャ中なんだ」
花蝶姫「わかりましたわ。カガミ様、あの、お一人で寂しいかと思いましてそちらに行こうとしたのですが、無理でしたわ(>o<)」
現実は、日常を取り戻しつつあった。オレはひまわりサロンに潜る。
「必然全体にバランス調整の修正があったみたい」
「失踪してたルーシーが戻ったんだって」
「バグが直ってる」
「良アプデだな」
「前がひどすぎただけだよ」
オレも書き込んでみようか。
花 鏡「今なら、きゅうり夫人の《質量欠損》も弱体化してるかも」
返信がついた。
「だな。次に幼卒DQNが動いたら、臆せず挑もう」
きゅうり夫人の慌てる顔が、見たい。
「これからどうするの?」
「悪の秘密結社、新メンバー募集でもしようか」
「いいね! 花蝶姫討伐も手伝ってくれそう」
「それは一人で勝手にやれ。あとは、ねぐらをもっといいところにしたいな。最終目標は城かな」
ルーシーは変わった。ルーシーは人工知能だ。ルーシーは以前と比べてより人間らしくなった。ただし、それはルーシーだけじゃない。さっきのメイドも、近衛兵も。
DOFのNPCはアップデートを経るごとに進化している。
もう一度、ルーシーが感情を持ってしまったら、オレはどうすればいいのだろう。またルーシーは、オレの元に来てくれるのだろうか。
いや、ルーシーは女王になる身。そうそう勝手なことはできないだろう。
その時になったら、オレがルーシーを支えたい。
あのとき。
オレが物語の主人公だったら、ルーシーを見事に助けてみせたのだろう。
結局、オレはそうではなかった。なかったし、オレのために劇的な展開や感動的な結末が手ぐすね引いてお出迎えしてくれるわけではないのだ。
だからもう、淡々と生きていく。オレにまっとうな恋ができるとも思えない。
そんなオレも、やはり必要なのだろう。必要だから存在するのだ。みんながみんな前向きでも困るのだ。一歩控える、オレみたいな存在も必要なのだ。
でもねルーシー。君はオレを沸騰させてしまった。君をずっと追いかけるよ? 覚悟しておいて欲しい。
とりあえず、ヘッドマウントディスプレイを外した。
二人と卦魂達がいなくなった部屋は、がらんとしてやけに広く感じる。いや、チサトが実家に強制送還されたのが寂しいとかそういうのはないんだけど。
DOFからこっちにやってきたものは全て、消え去っていた。
玄関の扉を叩く音がする。誰だろう。重い腰を上げる。
寂しかった。もう、世界は傾いていない。
オレは、魔法使いになる旅に出よう。




