幼卒DQN 後編
至誠の剣痕の奥。深紅の僧衣を着込んだ男女が質量をどこかに置いてきたのか、沸騰するお湯にたゆたう麺の如くゆらゆらと宙に浮いていた。誰も彼も名前は赤い。手には一様に紫の液体にぬめる可変円月刀を捧げ持ち、それは輕硬銀という希少な金属で製造されたピンを中心に右へ左へカタカタ折れ曲がり、ただいまより開かれるお祭りの勝利を祈願する。
少数だが、黒衣の男女も見えた。おそらく、混沌と束縛の神の信徒だ。彼らは重力を操る神業を行う。動きを封じる《重力増加》、重力を他の対象に向ける《引力》、逆に重力を無視し何ものからも自由な存在になる《解放》、重力により空間を曲げ姿を消し物理的干渉を受けにくくする《歪み《ディストート》》。
弱体化、強化の恩恵を得た幼卒DQNは白牛のエンブレムを輝かせ、苛烈に暴れ回った。しかし討伐隊は海千山千の戦いを越えた強者達。力でねじ伏せていく。
中でもオレンジ色のスカートが目を惹く翡翠葛先生の弱体化、《おつとめ品》は際立っていた。エプロンのポケットからシールを取り出しては幼卒DQNの皆さんに投げつける。『表示価格の二百円引き』『レジにて半額にいたします』『値下げ後価格三十円』。いずれも賞味期限の日付入り。本日までしか食べられない。こんなものを貼り付けられてはいくら鉄の心を持つ幼卒DQNのプライドもしおしお。闘志が激減し能力が使えなくなったところを討伐軍が綺麗に刈り取っていく。
「今日もお足元の悪い中、大勢のお運び、いい迷惑です。今宵も正義のヒーローごっこ、虚栄のパーティー、偽善のつるぎ。明日の会社や学校でまったくやる気がなくなるぐらい心に傷を負ってお帰りください」
声の方を見る。きゅうり夫人先生だ。これは警告なのだろうか。それとも脅し? つまり撤退して欲しい? もしくはただ願望を自己顕示欲旺盛な悪役宜しくつい、垂れ流しているのだろうか。
戦闘には参加せず、後ろでにやにやしている。カリウムぐらいしか栄養がないくせに偉そうだ。なんだろう。何か心に引っかかる。
『僕に攻撃しないで』という名の男が手を上げると幼卒DQNの皆様が一斉に退いた。
今にも討伐隊が幼卒DQNを呑み込みそうに見えたが、動きが止まる。口々に「動けなくなった」と報告が上がる。大規模な《重力増加》を食らったらしい。
しばし、奇妙な沈黙が起こった。飛び道具すら放たれない。幼卒DQNは高台へ上がった。
「上空、迎撃準備!」
翡翠葛の華奢な背中が大きく見える。唐突に辺りが暗くなった。見上げると太陽を長細い雲が隠す。何か光るものが、いくつも空から落ちてくる。ああ。なんてこった!
「オマケもついてきやがった」こんなときにはあれだ。Oh my God!とかJesus!なんて常套句を叫ばにゃならんかも。
《隕石雨》。強大な《重力増加》に手を引かれ宇宙より呼び寄せた天体。慌てて隕石に向けて目もくらむばかりの必然と神業が飛んだ。しかし打ち漏らしは多く、光と煙を帯びて轟音と共に地面に激突し、あるいは空で爆発した。煙が立ち上り、後方支援に当たっていた討伐隊に壊滅的な打撃を与えた。そこに再び幼卒DQNが襲いかかる。
ぱっと視界に飛び込んだのは空に噴き上がる血液だった。頸動脈から頭から腕から足から止めどなく八方に飛び出て、やがて『明日結婚します』は倒れた。
『傾国のホモ』をダブルクリックすると、《血祭り《ブラッドフラッド》》という切り札を使ったらしい。
「ふむふむ。こんな強い人達がいるんだ」
うむ。これで少しはチサトも自重してくれると助かるのだが。
きゅうり夫人先生の声はかしましい戦場にあって朗々と響いた。
「E=mc^2を御存知でしょうか。アインシュタインによって見出された質量とエネルギーの等価性を表した式です。質量は莫大なエネルギーを内包していることが御理解頂けるでしょう」
《隕石雨》のおかげで受けたダメージで人々がうめく。戦闘不能になってもメッセージを打って討伐隊を応援する。可変円月刀は《防御》しても折れ曲がって武器の持ち手を襲い、口々に回復を要求するが後方支援できる者はもう誰もいない。
「戦友よ。短い間だったけど楽しかった」
幼卒DQNの一員『例のプール』がつぶやいた。それに応えるように、翡翠葛がばたり、倒れた。
お勉強の内容はまるで頭に入らないのに、どうしたことかDOFのこととなるとすぐに憶えてしまう。これは破壊と終焉の神が与える神業、伝説級カード《突然の告別》。おそらく、闘志が最高潮になり、使えるようになったのだろう。敵味方問わず、切り札が飛び交う。
背後から遊撃隊数名がきゅうり夫人先生を襲おうとしたが、駆けだした途端、突如として発生した黒いものに行く手を阻まれた。《ブラックホール》だ。遊撃隊は慌てたように逃げだそうとするが、重力に引かれほとんど動けず引き摺られまいと足を踏ん張っている。辺りの木々やら小石やらが同心円状になってブラックホールの周りに輪をつくり、やがてそれらも呑み込まれた。周辺の空気まで薄くなっているのか、顔色が悪い。やがて吸い寄せられ、足が呑まれ、異様に足が長く伸びた。ぐにゃぐにゃと体が伸びたり縮んだりする。口を開けても、何もこちらには聞こえない。ブラックホールに全身が収まると、完全に姿が見えなくなった。
システム:童帝は、ブラックホールに呑まれ灰になりました。
ログにそんなメッセージが残された。しかし激しい戦場にあってはあっという間に他のメッセージに流されてしまう。
オレはきゅうり夫人先生をクリックした。何のカードも使っていない。そして戯言をいつまでも吐き出している。敵が、味方が、倒れるにつれて闘志も上昇する。目の前の敵と殴り合うのに精一杯で奥でふんぞり返るきゅうり夫人先生にちょっかいを出せる奴はいない。聴衆が多いため彼女の闘志は効果的に上昇し、やがて最高潮に達した。
「これから私の指先についている水滴を壊します」
音もなく、幼卒DQN全員が空中に浮き上がり、退いた。
こわす? 壊す? どうやって? 何のために? オレはマイクを入れて叫んだ。
「逃げろ! 何か来るぞ!」
しかしオレはただ遠巻きに観戦している一介の咎人に過ぎない。そもそも声が届いているのかどうか。諦めて、物陰に飛び込む。きゅうり夫人先生が何か言っているが、聞き取れない。
ノートパソコンのモニターが光った。何かが起きた。誰が。きっと、きゅうり夫人先生。耳が、頬が、四肢が、皮下脂肪弁慶の体中が火照って光る。辺りの雨水が蒸発して濛々《もうもう》と水蒸気が辺りを覆う。
「何これ?」チサトが呆然とつぶやく。
「大丈夫か?」
「うん」
「大丈夫」ルーシーは無感情に……いや、落ち着いていた。そう、そのようにオレは思いたいのだ。
オレも軽いやけどで済んだ。
「さて、どうするか」
物音は……風の音のみ。どうなったのだろう。好奇心に勝てず、立ち上がり、戦場を見に行く。
まだ戦闘は終わっていなかった。逃げ惑う討伐隊を背中から斬り殺すという簡単な作業が行われていた。それもか細い悲鳴と共に間もなく終了した。
「料金分は働いたからね。ボクはこの辺で撤退するよ。またよろでーす」
聞き覚えのある声だと思ったら双子葉瑠衣だ。追いかけてきた男をツタで捕縛して、どこかへ走り去る。
死屍累々。見渡す限り討伐隊の死体で埋め尽くされている。その向こうで、幼卒DQNが祭祀を再開している。
「逃げよう。用はない」
馬をつないでいたのはどこだっけ。
バリッ! ブババババババババリ!
どこかで聞いたことのある音だ。
ルーシーはいつの間にか戦場に近づいて、七色に輝くカードを使っていた。
切り札だ。《誅罰の雷霆》。
ルーシーが手を振り下ろすと、電光が雨粒を纏いきゅうり夫人先生を襲った。
な……?
「帰りましょう」
ルーシーは悠々と踵を返した。
そうだ、ルーシーは日向では見えないのだ。でも報復するために捜索されないとも限らない。《誅罰の雷霆》はきゅうり夫人先生の装備によって防がれほとんどダメージになっていないだろう。
!?
オレは、今の必然を、見たことがある。
でもそれがどこでだったのかは、夢の中の出来事だったみたいに、霞んで思い出せない。
「光属性を鍛えたら、切ーり札が手に入ったわ。カガミ、お礼を言わせてもらうわね」
「ああ……」
きゅうり夫人先生は、ゆっくりと目を瞑るとこちらに背を向けた。とにかく逃げ去ることにする。
「《終幕》だっけ? どうなるの?」
「わからん。でもこのままだと実行されるな」
「さっきのは何? 何かフランケンシュタイナーがどうとか……」
昔からそうだ。チサトはオレに訊けば何でも答えると思ってる。
「エネルギー=質量×光速の二乗。これがさっききゅうり夫人先生の言ってた式だ。例えば1立方ミリメートルの水の重さは0.01グラム。これをエネルギーに変換すると広島型原子爆弾の威力を優に超える。十倍以上にね」オレはログを丹念に調べた。きゅうり夫人の言葉も音声認識でログに書き込まれ、ご丁寧にDOFのシステムの手でルビまで振ってある。
「《質量欠損》ときゅうり夫人先生は言ってる。奴の必然は水の質量を何らかの方法で減少させ発生したエネルギーと放射線を放つものなのだろう」
「意味解んない」
楽奏が始まった。祭祀が再開したのだ。




