探索者の夜
超難産でした。
「知らない天井だ……」
異世界に来たら言ってみたい台詞をつぶやき、直後ぶっと吹き出すように笑う。
ん~っと背を伸ばし、上半身を起こす。
窓から見える空はオレンジに染まり出していた。宿に来たときはまだ昼だったからかなり寝てしまっていたようだ。
よく考えると日本時間で夜だったときに異世界に飛ばされそのまま半日冒険させられたのだからほぼ徹夜状態だったのだ。眠たくなって当たり前だ。
「いろいろと考えないといけないこともあったんだけど……ま、寝不足で考え事してもまとまらないしな。結果オーライってことで!」
不幸慣れしているヒロシはポジティブシンキングに切り替えるのも得意だ。
うじうじと悩んでいたら自殺したくなる。
「またユキが機嫌損ねてるかもしれないなぁ。いや、案外あいつも寝てるかもしれないか。うん。きっとそうだ」
自分を納得させ、ヒロシはおもむろに袋からジェムを取り出す。
「宿に来たら即効で検証するつもりだったんだけど、今からやるか」
これで本当にスキルが手に入るのか?
どれくらい自分の力が反映されるのか?
検証しなくてはいけないことは多い。
ヒロシは脳内にいくつか欲しいスキルの候補、優先順位を明確に付けて行く。表計算ソフトがあれば細かく表にしたいくらいなのだが残念ながらここは異世界だ。
――魔法で表計算ソフト作れないかな?
理想の効率狩りや、ワークフローのリストを作ったりするのに便利だし、メモにも使える。学生の頃はまったく見向きもしていなかったソフトだが、社会人になった途端に手放せなくなるのだから立場の違いというのは需要を生み出すもの……って思考が脱線している。
さあ、いざ検証を。
と思ったところでヒロシはある重大なことに気がついた。
「これ、どうやって使うんだ?」
すごく初歩的なミスをした。
ついついゲームの感覚でいたため、メニューを開いてアイテムをクリックして「使用する」を押せばいいじゃん! とか思ってしまっていた。
ここは異世界だが、リアルだ。現実である。
メニューなんてない。
「マズったな。これ本当にどうやったら使えるんだ?」
ジェムを手のひらに乗せてつついたり転がしたりつまんだりしてみる。
反応なし。
「ランダムジェム使用!」
「アイテムを使用する!」
「解放!」
いろいろと試してみるがヒロシの羞恥心がマッハで寿命を削った以外に成果はない。
心の深く闇に隠された中二心が「呼んだ?」とばかりに顔を覗かせる。
――悪魔め! とく消えよ! 我にお前は必要ない!
うん。既に毒され始めている。
このままでオレは痛い人間になってしまう!? ヒロシは今まで感じたことのないような恐怖が胸にわきあがってくるのを感じた。
「と、遊んでないでさっさと正解探すか。まあ、もう選択肢はほぼないんだが」
ヒロシはジェムをぐっと握ってみる。
少し力を込めてやるとジェムはピシっと音を立てて崩れる、と同時に淡い光がぽわっと光った。
光はすぐに消えてしまい、それだけだ。
手を開いてみるとそこにはジェムは跡形もなく消えてしまっていた。
「ステータス!」
結果はどうだったのか。ステータスを確認する。
名前:ヒロシ・サトウ
種族:人間
称号:神獣使い
保有スキル:『超幸運』『神獣:ユキ』『空間魔法』
腕力:8
体力:16
器用:6
敏捷:18
魔力:14
精神:29
運 :99999
「ふ~ん、空間魔法になったか。ってことはチートくさいスキルはないのか……もしくは、ジェムじゃ手に入らないのかな?」
ステータスの内容を見てヒロシはにんまりと笑みを浮かべる。
ジェムを使用する際にヒロシが頭に浮かべたスキルの優先順位は以下のようになる。
1・よくある万能チート
あらゆる技術を即座に吸収し、達人級にまで成長する能力
2・生産チート
自身の考えるアイテムを思うがままに作ることができる能力
3・空間魔法・鑑定などの強力なスキル群
手に入ったのは空間魔法。つまり上記の二つは入手出来ないのか、手に入ることは出来るが条件がある。もしくは単純に運か。
運99999という破格の数値ですら届かないというのは考えにくい――というより、それを考慮に入れてしまうと際限がなくなってしまう――ので、恐らくは前者だろう。
普通に考えて上記の二つはあまりに強力すぎる。世界のバランスを崩しかねないものだ。それが低確率とは一般人が簡単に手にすることが出来るもので入手できると考える方がおかしい。
「さて、ジェムはもう一個あるから検証を続けるか。スキルの構成と優先順位を変えて……っと」
ジェムを砕く。光が収まるのを待ってステータスを開く。
名前:ヒロシ・サトウ
種族:人間
称号:神獣使い
保有スキル:『超幸運』『神獣:ユキ』『空間魔法』『神眼』
腕力:8
体力:16
器用:6
敏捷:18
魔力:14
精神:29
運 :99999
「おほっ!」
ヒロシはおもわず危険な声をもらす。
まさかの『神~』シリーズゲットだ。
となると、ユキが保有している他の『神~』シリーズも入手できる可能性がある? これは是非とも検証したいがジェムがない。残念だ。
しかし気になるのは――
「優先順位の一番に指定していたのは鑑定だった。しかし、鑑定は手に入らず指定していない神眼が手に入った。ということは、この神眼ってやつが鑑定スキルなのか?」
突然異世界に放り込まれ右も左も分からない状態で欲しいのはなにより情報だ。
それを効率的に入手できる鑑定系のスキルは喉から手が出るほどに欲しい。空間魔法を優先したのはもしものときに身を守る術を優先したからだ。
身の安全が保障されているなら鑑定の方が優先順位は上だった。
「検証してみるか」
ヒロシは自分が寝ていたベッドに視線を移す。
脳内で「鑑定!」「神眼!」「スキル発動!」などいろいろ叫んでみる。しかしなにも見えてこない。またもヒロシのピュアな心が抉られただけだ。
使い方が違うのか? とベッドに手を付いてみると、ふわっと視線の端に文字が浮かんできた。
『藁のベッド』
説明:箱のなかに干草を入れて作った簡易のベッド。長期使用により品質が劣化している。
品質:劣化
価値:二十ジェニー
「これは、とんでもないスキルだな……」
ヒロシが期待していたのは物の名前が分かる程度のものだった。
しかしこのスキルはアイテムの説明はおろか、品質やその価値まで教えてくれる。
「これと空間魔法があれば商売繁盛間違いなしだな。探索者やめて商人やるか?」
探索者としても情報が欲しいところなのでそれは自重するが。
しかし、これで金の目処は立ったと考えて問題ない。神眼で価値を見抜いてそれより安いものが売っていたら買い、適性価格で売るだけで儲かる。それに掘り出し物を発見することも出来るだろう。
運が高いヒロシならは掘り出し物に出会える確立は高い。
「しかし、今回のことでとんでもないことが分かった。具体的にこれって決めるんじゃなく〝こういうスキルが欲しい〟って曖昧な願いにした場合、それにもっとも合ったスキルが自動的に選択されて入手できるってことだ。これは便利だ!」
あるかどうか分からないスキルを検査するにも使えるし、スキル名が分からなくても効果さえ分かれば入手することが可能というわけだ。
「なんとしても数を揃えたいところだな。熟練度が必要ないパッシブのスキルの場合、いくらでも入手しておきたいし」
ステータス向上形や耐性系のスキルは持っていても損はない。
次はそちら系を入手したいところだ。
「空間魔法の検証もしたいけど、もしもを考えて部屋の中でやるわけにはいかないよなぁ」
ヒロシが読んだ異世界転移物の場合、魔法の練習をしようとして家の壁をぶち抜いたという話はよく見た。
空間魔法で壁をぶち抜くような事態が起きるとは…………十分に考えられるので自重しておくことにしよう。金を稼ぐ目処は立ったとはいえ、現時点で壁の修繕費を払えるほどの余裕はない。
「街の外は草原と丘だし練習には丁度いいか。ユキの散歩も兼ねて外に行ってみるか」
ヒロシはベッドから起き上がる。
厩舎でふてくされているだろう相棒を思い浮かべ、また串焼きでも買って機嫌取りでもしようと部屋を出た。
一階へ下りると酒場にちらほらと客が来ていた。
料理と酒が並んだテーブルを囲み探索者らしき集団が楽しそうに談笑している。
「おや、兄さんも夕食かい?」
ヒロシに気付いた女将がジョッキを乗せたお盆を持ちながら話しかけてくる。
ちょっと早いんじゃないかとも思うが、日本でも夏ごろならこれくらい明るくても七時八時ってこともあったのだし別段珍しくもないかと思いなおす。
「いえ、従魔の様子でも見てこようと思いまして」
「あのでっかい狼かい? そういえばさっきうちのバカ息子が『ユキちゃんがふてくされてる!』ってわめいてたけど」
「急いで見てきます!」
ヒロシは飛び出すようにして宿を出る。
まっすぐ厩舎へ向かうと、そこにはだだっこのように藁を撒き散らかしその上をごろごろと転がるユキの姿があった。
それを見たヒロシは「あっちゃ~」と頭を抱える。
「あっ! サトウ様。ユキちゃんをなんとかしてください!」
「あ、うん。なんかごめんな」
ユキに呼びかけると「とても不機嫌です!」と態度で示してくる。
ジロっとした目でこっちを見たまま尻尾をぺたんぺたんと地面に叩きつけている。
ちょっと放っておいただけでこれってユキはいくらなんでも構ってちゃんすぎやしないだろうか? 神になる前は犬だったという話だったが飼い主はどういう躾をしていたんだろうか?
「なんかやけに機嫌悪いな」
「さっきまでサトウ様を呼ぶように何度か鳴いていたんですよ。それでサトウ様が来ないと分かると急にすね始めてしまいまして」
「あぁ~…………そりゃオレが悪いな」
用があったら呼べと言っておきながら呼んでも来ないとくれば自分だって怒るだろう。
寝てしまって聞こえなかったんだと言い訳することは出来るが、それをすると余計にユキの機嫌が悪くなりそうな気がする。
相手を怒らせてしまったときは素直に謝ってしまうのが一番てっとり早い。下手に言い訳を重ねると相手を怒らせるだけだからだ。
「すまん、ユキ。オレが悪かった」
「わふ~」
「いや、聞こえてて無視したわけじゃないぞ? その、疲れてたせいで眠っちゃっててな。聞こえなかったんだよ」
「わふ?」
「ああ、大丈夫。体調が悪いわけじゃないから」
「わふっ。わふ~」
「分かった分かった。ちゃんと散歩連れて行ってやるからそれで勘弁してくれ」
「わふぅ」
「串焼きもつけろ? 仕方ないな。それで手を打とう」
「わふっ!」
機嫌が直ったのか、ユキはぺろぺろとこっちの顔を舐めてくる。
犬だけあって怒りの持続力が低い。本当にチョロい。こいつこんなことで大丈夫なんだろうかとちょっと不安になる。
「ふわ~、サトウ様はユキちゃんがなに言っているのか分かるんですね。従魔使いの方はやっぱりすごいですね」
「え? あ……そういえばなに言ってるのかなんとなく分かったな。これってユキを使役してるからか?」
「わふ?」
「え? 分からない? そうか、これも要検証だな」
「わふ~」
「めっちゃ他人事だな。お前もちょっとは考えろよ」
「わふ!?」
「あははっ、お二人は本当に仲が良いんですね。よかったら今日はこのままここで食事をされませんか? テーブルも椅子もここに持ってきますよ?」
「そんなこと出来るのか?」
「はい。たまにお客さんが多い日だと中に入りきらないときがあってそういうときは外にテーブルを置いたりしてるんですよ。従魔は中に入れられないですけど、外なら一緒に食べれますし」
「それは嬉しいけど、迷惑じゃないか?」
「そんなことないですっ。むしろお外で食べてもらうことになって申し訳ないといいますか」
「それならこっちも気にしないさ。テーブル出すのは手伝うよ」
「はい、ありがとうございます」
にぱ~っとひまわりような笑みを浮かべるディア。
これで女の子だったらこの店の客足は倍に増えていたんじゃないだろうか? いや、むしろこの子目当てにショタ好きのお姉さま方がやってくる可能性もあるしこれはこれでアリなのか?
などと、バカなことを真面目に考察しながらヒロシはテーブルを外へと運び出す。
女将さんに料理を注文し、ドリンクだけ先にもらって外のテーブルにつく。
木のジョッキになみなみと注がれたエールをちびりと飲みこむ。
「うおっ、冷えてる!?」
ファンタジーの定番としててっきり飲み物はぬるいものだと思っていたのだが、しっかりと冷えたエールが疲れた体に染み渡っていく。
「あれ? サトウ様はコールドエールをご存知なかったんですか? 北方で取れるアイスバーリィっていう大麦を使って作ったもので作ってから一年くらいはずっと冷たいままなんですよ。サトウ様は髪が黒いですから北方の人だと思っていたんですが」
「あ、え~っと、な。オレの住んでたところだとエールってのは冷たいもんだったんだが、こっちのエールはぬるいって聞いていたからさ。それで驚いたんだよ」
「なるほど、そうでしたか」
ヒロシは内心ダクダクと冷や汗をかく。
ファンタジーってきっとこういうもの。という思い込みのせいで思わぬミスをやらかした。こういう世間知らずによるミスを減らすために鑑定スキルを取ったというのに、使わなければ宝の持ち腐れだ。
これからは口にするものや、手にするものは全部しっかりと鑑定することにしよう。
エールをちびちび楽しんでいると、女将がどっさりと料理を持ってきた。
肉、野菜、パンをこれでもかとどっさり載せたプレートに、味の濃そうなスープ。そして、ここにラスボスでも住んでるんじゃね? と思わせるほどに巨大な肉の塊。
これを全部食ったら明日には間違いなくメタボだ。
「ディアくん。これ量多くない?」
「え、そうですか? 他の探索者の方はこれくらぺろっといかれるんですが」
「マジかよ」
肉体労働者はかなり食うと聞くが、さすがにこの量は無謀ではないだろうか?
いや、食えそうにない分はユキにあげればいいのだ。とりあえず残さないようにだけはしよう。
ヒロシは一つ一つ鑑定をかけながら口に運んでいく。
味はすこし濃いが悪くない。香辛料の類も普通に使われているようだ。
――香辛料貿易で稼ごうと思ってたんだが、アテが外れたな。
料理をつまみ、隣で尻尾を振りながら肉にかじりついているユキを撫でる。ふわふわとした毛が気持ちいい。
さて、今後の活動について考えよう。
まずは手に入れた空間魔法と神眼を使いこなす。
スキルを入手したので〝使える〟ことは分かっているが、〝使いこなす〟ことはまったく別だ。なにが出来てなにが出来ないのを把握しておくだけでも随分違う。
次にダンジョンだ。可能な限り情報を集めてからが望ましいが、ユキという安全マージンがあるので多少の無理は可能だ。ダンジョンに入ることで金策やステータス向上、ランダムジェムの入手などが出来るのか検証したい。
最後にこの世界のことを調べる。どういった国があるのか? 人以外の種族がいるのか? 戦争は? 種族間の対立は? 魔王や勇者などがいるのか? 転移者は他にいるのか?
そういった諸々を調べる必要がある。
ヒロシはチートを使ってこの世界で無双したり、ハーレムを築いたりなんてするつもりはまったく……いや、あまりない。
面白おかしく生きたいとは思うが英雄願望なんてものは欠片もない。
(静かで豊かな生活。これがベストだな)
せっかく異世界に来たのだ。
この世界を楽しみたい。
そして、面倒ごとには巻き込まれたくない。
別に特別なことをしたいわけじゃない。幸せに生きたいだけだ。それは日本では叶わなかったものだから。
「うむ? 外にテーブルがあるということは今日は混んでおるのか?」
思索に耽っているとえらく野太い声が聞こえてきてヒロシは思わず視線を上げた。
「うわっ、ザ○ギエフ!?」
「ザ○ギエフ? 我輩の名はラファエル。人違いではないかね?」
視線の先にいたのは某有名格闘ゲームに登場する投げキャラの元祖ともいうべきロシアンレスラーそっくりの大男だった。
仕立ての良いシックな装いをしているのだが、クマが裸足で逃げ出しそうな強面に、限界まで膨らんだ筋肉がそれを全て台無しにしている。
ぶっちゃけ似合っていない。
「あ、いやすまない。知っている人に似ていたものだから」
「ふむ、そうであるか。世界には自分に似た者が三人はいると言われておるからな」
お前みたいなのが三人もいたらこの世は地獄だ! というツッコミをヒロシはエールで無理やり飲み込んだ。
「あ、ラフェエル様! いつこちらに?」
「うむ、さっき来たところである。ところで中は混んでおるのかね?」
さっき頼んだユキへの追加の肉を持ってきたディアが、筋肉マッチョに気付いて笑顔で挨拶を交わす。
「いえ、そちらの方は従魔と共に食事をしたいとのことでしたので、外でご用意をさせて頂いた次第で。中はまだ空いていますよ」
「ほう! なんと見事な従魔だ。これほど立派な毛並みは見たことが無い」
マッチョ氏が絶賛したからか、ユキが誇らしげに鼻を鳴らす。
「そうであるか。ふむ……そうだな。そこの御仁、一つ提案があるのだが」
「オレにですか? はあ、とりあえずなんでしょう?」
「我輩は出会いというものをとても大切に考えておってな。お主、見たところこの街の者ではあるまい? 良ければ今宵は我輩と相席をお願いしたい」
「話でもしながら飯でも食おうってことですか?」
「その通りである」
大仰に頷く大男。
あまり目立ちたくないという気持ちと、情報収集のためにも知り合いは増やしておきたいという気持ちがせめぎ合う。
――ユキのことでもう既にかなり目立ってるし気にする必要もないか。
「ん~……オレはいいですけど、ユキはどうする?」
「わふ~」
毛並みを褒められたからだろう。ユキは上機嫌に賛同する。
「ユキもいいらしいです」
「感謝する! 礼と言ってはなんだが代金はすべて我輩が持とう」
「ありがとうございます、ラファエルさん。遅れましたが、オレはヒロシ=サトウ。それでこっちのがユキです」
「わふ」
「うむ、ご丁寧にかたじけない。我輩はラファエルである」
がしっと力強く握手を交わす。
ラファエルの握力は見た目通り強い。ぎりぎりと締め付けられたヒロシが悲鳴を上げた。
「あいたたっ。すごい握力ですね。ラファエルさんは騎士とか探索者なんですか?」
「ラファエルで構わぬよ。あと敬語もいらぬ。我輩は固い口調が苦手でな。探索者かという問いについては肯定だ。自慢ではないがこの街で我輩は結構名の知れた探索者なのである」
そう言ってラファエルはガバっと上半身の服を脱ぎ捨てポージングを決める。パンパンに膨らんだ筋肉がピクピクと震える様は並大抵のグロ画像よりもヒロシのSAN値を削ってくる。
「それじゃあお言葉に甘えて――って、なんで脱いだし!」
「男たる者、決めポーズは必要である!」
「だからって脱ぐ必要ねえだろ!」
「我輩とて常識はある。下までは脱いでおらぬ」
「下半身まで脱いだら変態だ! つか、今の時点でも十分変態だよ!」
ヒロシは相席を認めたことを急激に後悔しはじめていた。
見た目はアレだが、中身はまともそうかと思ったんだが残念なことにこの大男は見た目と中身が一致しているらしい。
「うむうむ、我輩の頼みを聞き言葉を改めてくれるとは。ヒロシ殿はよい御仁であるな」
「オレは今、自分の選択を全力で後悔してるよ。つか、おっさん。服早く着ろ。筋肉ピクピクさせるな、殺すぞ」
「この時期は風が気持ちよいのでな。とくに乳首を撫でる風は快感で」
「おっさんの性癖なんて知りたくねえわ! 頼むから服着てくれませんかねえ!? オレの心がどんどんささくれ立っていきそうなんだわ」
「心配してくれずともこの程度は風邪など引きはせんよ」
「お前の心配なんてしないっての。ウイルスの方が嫌がりそうだわ」
「なんだかよく分からぬが、褒めてくれているのであるな」
「ディア君エールおかわり! もう酔わないとやってられそうにないわ」
「我輩にもエールを。あとは適当に料理を見繕ってくれるかね?」
「はい、かしこまりました。少々お待ちくださいね」
ディア君は笑顔でぱたぱたとお盆を抱えて去っていく。
生まれてくる性別を間違えているのではないかと思うほどに愛嬌がある仕草だ。
ディアが宿の中に消えていくのを見て、ヒロシははぁと盛大にため息をつく。
「ほら、邪魔者は去ったぞ。ふざけた態度はやめてちゃんと話しようや」
ヒロシの言葉を受けて、ラファエルは居住まいを正すと真剣な顔つきを見せる。
「やはり気付いていたのかね」
「あんたがふざけ始めたときにな。こっちの反応をチラチラ窺っていただろう。それに途中からユキが警戒していたからな」
「わふっ」
気付いたのは本当に偶然だ。
ディアと親しそうにしていたので安心していたのだが、ふざけ始めた辺りで急にこの男の〝らしさ〟が消えたように感じたのだ。
「これは参ったのである。言い訳になってしまうだろうが我輩は決してお主たちと敵対するために来たわけではないのだ」
「だろうな。大方、この街の領主かギルドからの依頼でオレに接触に来たんじゃないのか?」
「なんと! そこまで読んだのであるか」
「この街に来てから分かったことだが、ユキは目立つ。にも、関わらず門はあっさり通ることが出来たしギルドの登録も簡単だった。衛兵たちのユキに対する警戒を考えればこれは異常だろ? だったら考えられるのはオレが泳がされているか、なにかあっても対処するだけの自信があるかだ。どうも後者だったみたいだが」
「これは失礼した。改めて名乗ろう。我輩の名はラファエル=フォン=タラント。タラントの領主であり、探索者パーティ『レッドサイクロン』のリーダーである」
ラファエルは高貴な身分を感じさせる仕草で一礼する。
場所が場所なら嘆息する仕草だったのだが、いかんせん上半身裸のマッチョがやると違和感しかない。
「領主自らがご出陣とはえらく高く評価されもんだ。それとも、オレみたいな若造相手に傷一つ負う恐れもないってことか?」
「そのような意図はない。むしろ、最大限の評価をしたからこそ我輩が来たのだ。我輩はこう見えても王国最強の魔術師として名を馳せておるのでな」
「――はい? おっさん、今魔術師っていったか?」
「そうだが?」
「いやいや、どう見てもおっさん戦士系だろ。それが魔術師ってその筋肉全部無駄か!」
「我輩のスタイルは身体強化魔法を纏い、格闘術を主体におく近接魔法戦である。我輩の魔力は高いが、魔法の細かい操作が苦手でな。魔法を飛び道具として使うには適さぬのだ」
「あぁ……なるほど。魔闘術ね。そういわれるとすごく納得するわ」
「まとうじゅつ?」
「オレの国で伝わる魔法と格闘技を合わせた流派のことだ。無詠唱や詠唱の短い魔法を主体において接近戦で戦うんだよ」
「ふむ、我輩のスタイルとよく似ておるな。では、次からは我輩も魔闘術と名乗ることにしよう」
うむうむと頷くラファエル。
見るからにパワーがありそうな肉体をさらに魔法によって強化し、接近戦では魔法すら飛んでくるとなるとかなりの脅威だろう。見た感じタフネスに主体をおいていそうだが、筋肉ダルマほど速いというのはフィクションでは常識だ。
この大男がスピード主体でないとは言い切れない。
「それでおっさんはなんのために来たんだ? 雰囲気からして一戦やらかそうって風には見えないが」
「お主を見極めに来たのよ。それほど強大な従魔を使役する男が悪となればこの街が受ける被害はとんでもないものになる。領主としてそれは看過できぬのでな。部下からの報告を聞くなり飛び出してきた次第よ」
「偉いさんが部下の仕事取ってやるなよ。こういうのは部下の仕事だぞ」
「万が一になってはいかんのでな。だが、杞憂だったようだ。お主からは悪意というものを感じぬ。先ほどの話ぶりから察するにお主にとっても目立つのは想定外だったのではないか?」
「その通り。オレは、その遠いところから来たんでこっちの常識に疎くてな。ユキがここまで注目を浴びるとは思っていなかったんだ」
日本であればユキの存在は異常にしか映らないだろう。であればヒロシもそれなりに対策を講じただろう。
しかしここはファンタジーの特色が強い異世界だ。ユキくらいの大きさの犬がいてもさして問題にはならないだろうと勝手に思い込んでいたのだ。これはゲームなどでテイムした大型モンスターを街中で連れ歩いても問題なかったことが無意識に原因になっている。
「この街では従魔を使役するものは少ない。従魔を連れているというだけでも目立つのに、その白い狼は纏う気配といい気品といい並の従魔とは一線を画している。目立たぬ方がおかしかろう」
「だよな~。完全に失敗だった。とはいえ、ユキと離れる選択肢はないし結果は変わらなかっただろうけど」
「わふ?」
心配そうな顔でこっちを見上げてくるユキに安心するように頭を撫でてやる。
ユキの存在はヒロシにとって非常に助けになっている。いきなり異世界に放り込まれたにも関わらずヒロシが平然としてられるのは、異世界転移の妄想を繰り返していたからだけでなくパートナーとなるユキがいてくれるからというのが大きい。
アニマルセラピーに代表されるように動物が人間に与えてくれる安心感や癒しはかなり大きい。
ヒロシだけでこの異世界に送られていたらもっと緊張を強いられ今頃疲労困憊していただろう。
だからこそ、ユキに「自分のせいで」などと思わせたくなかった。
「ユキのせいじゃないさ。むしろ想定してなかったオレの責任だ。ユキは気にしなくていいからな」
「わふ~」
嬉しそうに鼻をこすりつけてくるユキを優しくあやす。
その微笑ましい主従関係を見ていたラファエルは笑みを浮かべて顎をさする。
「どうやら本当に杞憂だったようである。正直、ここに来るまで我輩は死を覚悟していたのだがな」
巨大な白い狼と報告を受けたとき、真っ先に浮かんだのは森の大精霊だ。
かの存在は時に巨大な白い狼の姿を取って人の前に姿を現し、気に入ったものには力と加護を与えると言われている。
その加護を受けた者がこの街にやってきたのかと危惧したのだが――
(例えこの者が本当に加護を受けたものであったとしても問題はあるまい。悪を成すような人物には見えんのである)
ラファエルは領主という人の上に立つ人間であるため、人を見抜く目には自信も経験もある。その自分の目が、ヒロシ=サトウとユキが悪ではないと判断している。
(ただヒロシ殿は頭が回りすぎる。従魔の件を除いたとしてもなにかしらの厄介ごとに巻き込まれる可能性はあるな)
タラントの街は発展しているが故に問題も多い。
光が強ければ、陰もまた強く映るようにタラントの街という巨大な利益のるつぼに群がる害虫は無数にいる。力と智謀と善性を併せもつ存在など、そういった輩からすれば厄介極まりない存在だろう。
「ご注文の品をお持ちしました~。お待たせしてすいません」
両手にお盆を乗せてディアが愛嬌のある笑顔を浮かべてやってきた。
テーブルに並べられた料理からは食欲を誘う香りが溢れ、キンキンに冷えたエールがそれを増進させている。
「料理も来たことだし面倒な話はこれくらいにして飯にしよう。おっさんもそれでいいだろ?」
「うむ。問題ないのである。では、我輩たちの出会いを祝して――」
「「乾杯!」」
ジョッキをぶつけ合わせ、冷えたエールを一気にかきこむ。
疲れた脳と体に、冷えたビールこそが最大のご褒美。日本のサラリーマンだったヒロシは冗談ぬきにそう思う。
(綱渡りみたいな商談の後は特にな……)
ラファエルとの対談はなんとか無難に乗り過ごすことが出来た。平然とした顔をしていたが内心冷や汗が止まらなかった。
問題が起きるのが早すぎたこと。領主自ら乗り込んできたこと。こっちの準備がなに一つ整っていなかったこと。
不安要素は挙げればキリがない。
最悪の場合、一流の戦士と一戦交えた上で拘束され牢屋にぶち込まれてしまう未来もあったのだ。こちらを見極めにきた人物が彼のような色眼鏡で人を見ない好漢だった幸運に感謝せざるを得ない。
(これも幸運の力によるものなのかな?)
一期一会も時の運。
なら、その運が限界突破している自分の人の出会いするら意のままに出来るのだろうか? さすがにそれは高望みだと思うが。
(もう疲れた。考えるのは明日にしよう。今日は酒飲んで騒いで寝ればいい)
ヒロシはエールと共にわずらわしい感情を飲み込んだ。
日が傾くに連れてタラントの街は賑わいを増していく。思わぬ出会いに感謝しつつ、ヒロシはラファエルと交流を深めるべくおおいに異世界の酒を楽しんだ。
夏バテ気味です。
次回更新は少し遅れるかもしれません。