水の原形は失われた
チルチルとミチルの二人が服を脱ぎ始めている。
プールでずぶ濡れの服が、わずらわしい様だった。
「見て見て!」
ミチルが眼を丸くしてチルチルに教えた。
その指差す方向に特大の水槽があり、無数の魚が泳いでいる。
拡いリビングの壁の一つが、そのまま水槽となっていた。
「エルを無力化する方法は、間違い無くあります。しかし、容易ではありません」
ニコの言葉を、コングは静かに聴いていた。
チルチルとミチルが、その水槽の壁に張り付き、覗き込んでいる。
二人は、泳いでいでいる魚に心を奪われていた。
ニコは子供達の様子を伺い、水槽に向けて歩き出していた。
自然とコングもその動きに続いて水槽に向かった。
陽の光りがどこからか水槽内に射し込んでいた。岩があり、色とりどりのサンゴが腕を伸ばしている。多様な緑が溢れ、その光りに揺らいでいた。
まるで自然の一部を切り取ったような、美しい水槽であった。
「コングさん、何か気付きませんか?」
ニコは、チルチルとミチルに並んで膝を着き、コングを見上げていた。
『……!?』
コングは水族館の様な水槽を間近にしていた。
そこには大小様々な魚達が自由気ままに行き交っている。赤や、青、縞模様の姿もある。
『…ハッ!?』
様々な魚達…そう、様々過ぎる魚達であった!
色とりどりの熱帯魚が目の前を泳いでいた。
鯛やアジの魚影が見えた。そしてフナやコイが泳いでいる。
イワシの群れの側をナマズが横切っている。
そして赤い金魚の真下には伊勢エビがうずくまっていた。
「エルを無力化するには、この【ミズ】が必要なんです。ここに立ち寄ったのは、そのためです」
「こいつは、お前さんの発明か?」
「違います。勇気ある方が見つけ出しました。僕は更に原形に近付けただけです」
「…原形!?」
「ええ、【ミズ】本来の姿です」
「水に原形なんてあるのか?」
「はい、普段僕達が水と呼んでいるものは、ある状態に変質しています」
「成分が違うってんだろ」
「はい、それもあります。しかし、それとは別に、形も違っています」
「水に形なんてあんのか?」
「ええ、壊れている…と言うか、壊されいるのです」
「…壊されてる?」
「まったく意味が解んねえけど…」
「それでは、コングさんは普段、どこからか水を手に入れますか?」
「そりゃあ水道に決まってんだろ。蛇口ひねりゃいくらでも出てくる」
「蛇口ですね…。蛇の口と書きますけど、その水を飲んでいる…」
「……エッ!?」
「蛇口の水で食事を作ったり、身体を洗ったり…」
「冗談だろう! 水道までエルに支配されてるってのか!」
ニコは何も答えなかった。ただ無言で水槽の魚達を眺めていた。
チルチルが裸のまま部屋の中を走り出していた。ミチルもまた、裸で走り出した。いつの間にか、追い掛けっこが始まっていた。
「井戸なんてねぇし、ミネラルウォーターじゃ破産するしな…」
「井戸水は、水質検査で厳しく規制されて、毎年減っていますよね…」
「…。」
「ミネラルウォーターはどこかの工場でペットボトルに詰められている…」
「つまり、どれも信用出来ねぇって言いたいのか?」
ニコはゆっくりと立ち上がると、コングに向き直った。
「ニコ、この水槽の中は(聖なる水)なんて言わんだろうな?」
「ハハハッ! あり得ませんね。それでは造る意味が無い」
「どういうことだ?」
「コングさん、この水槽の魚達は、僕達よりも自由で健康に生きていますよ。仲良くね…」
「水槽の中の方が、外の俺達より自由なわけねぇだろ」
「中と外ですか?」
ニコが口を開けようとした時、呼び掛ける声があった。
……ニコ、その辺にしておけ。どうせアホなコングには解らん。
神虫のダミ声であった。ニコは、神虫のその声を聞き取り、口をつぐんだ。
『神虫、お前こそ解んのかよ』
いつもの様に、コングが神虫に悪態をついた。
……当たり前だ。アホのお前といっしょにするな。
『アホアホ言うな!』
……コング、ひとつだけ教えてやる。【聖なる水】はエルの手中にあるぞ。
『………!?』
……ニコ、奴がこの周辺を探し始めたぞ。やはり、正確な位置をつかみきって無いな。だが、それも時間の問題だろう。
「そうですね、子供達の服を乾かす間に準備を終えましょう」
そう言ってニコはコングを手招きした。
チルチルとミチルの服は、乾燥機に投げ入れた。次にコングはニコの指示で車にあれこれと積み込んだ。
ホッとした時、ドアチャイムが鳴った。
……思ったより、早かったな。
神虫が呟いた。




