帰還
窓の外から小鳥のさえずりが聞こえている。
とっくに目覚めてはいた。それでも、瞼は半分ほどを開けたり閉じたりを繰り返し、横になっていた。
夢うつつで聞く鳥達の唄、それは新鮮なほど楽しげに聞こえる。
そして、適度なベッドの固さは心地よく、そこに陽射しの匂いを残している。
眠くも無く、疲れている訳でも無い。しかし今朝は、あわただしく起きる理由も又無かった。
廊下の向こうからバタバタと足音が駆けて来た。
そしてドアノブがガチャガチャと音を立て、勢い良くドアが開かれた。
「コングー! 朝だよぉ」
「起きて、起きて!」
チルチルとミチルの二人が、まどろみの朝をひっくり返した。
チルチルはコングのベッドに駆け寄ると、そのまま腹の上に飛び込んだ。
「ウッ!」
そして、ミチルの小さな手が横顔をピチャピチャといじる。
寝返りで逃げても容赦することは無く、後頭部のペタペタ攻撃は続く。
二人を狸寝入りでやり過ごすことはできない。コングが起きていることは承知している。
「解った、解った。起きりゃいいんだろ」
コングの山の朝が始まっていた。
ログハウスは山に囲まれた高原にポツンと建つ一軒家であった。
建物の裏側は遠くの山へ、なだらかに伸びている。
その広大な傾斜に目立つ大木は見当らない。
敷き詰めた芝生に似た緑と、天然の花畑がコントラストを描いていた。
そして建物のすぐ脇で、浅いせせらぎがキラキラと光を反射させている。
その小さな川の向こう岸で馬が喉を潤していた。眼に鮮やかな白い馬であった。
「お馬さ〜ん!」
チルチルは白馬に気付くと同時に駆け出していた。やがて、いくらも走らないうちに、群生する花々に差し掛かった。
駆けながら、フワリと足が地を離れた!
そして咲き乱れる花の上を嬉々として駆けた。ただの一本も傷つけることもなく、花の上を駆け抜け、向こう岸にたどり着いていた…。
『しょうがねぇな』
コングは白馬に話し掛けるチルチルを見て、小さくため息をついた。
コングの腕の中でミチルが馬を指差し、興奮気味に騒いでいた。
「コング、お馬さん! お馬さん!」
早くチルチルといっしょに馬の側に行きたいのだろう。コングはそう思いながら天然の花畑を回り込み出した。
しかし、ミチルにはそれが待ちきれなかった。
不意にコングの腕の中でミチルが軽くなった。そして次の瞬間、腕を離れて、浮かんでいた。
「エッ!?」
コングは白馬に向けてフワフワと飛ぶミチルを見送った。
「なぁ婆さんよ、そやつはワインの飲み過ぎだとは思わんか?」
文蔵が妻の千恵に問いかけていた。
ログハウスのデッキに椅子とテーブルがあった。その位置からコング達の様子を眺めていた。
「あら、そうかね? 好きなんだからいいわね、マイケルさん」
「ハハハッ、それでは最後のお代わりにしておく。文蔵は最近、うるさくなった」
マイケルと呼ばれた老人が笑って言った。
髭ヅラに丸メガネの西洋人である。
その老人は、少しばかり古ぼけたスーツを着こんでいた。山を考慮した服装ではない。しかし、それが彼の普段着であった。
そんなマイケルは髭の隙間へ平然とワインを運んでいた。
「ニコ、すまんがお代わりを頼む」
マイケルは空いたグラスを手に、テラスからキッチンの方に声を掛けた。
しばらくして、一人の青年がキッチンから歩み寄っていた。
「先生、飲み過ぎです。これで終わりですよ」
ニコと呼ばれた若者が小さなワインボトルを三人のテーブルに持って来ていた。
マイケルと同じように、西洋人の風貌をしている。
「細かいことを気にするな、インテリ君」
マイケルがふざけるように、確かにニコの外見は凛々しくインテリ学生そのものであった。
服装の方は、無地の白っぽいシャツと折り目の付いたスラックス姿である。
そこに清潔な印象はあるが、簡素を通り越して素っ気ない。
「文蔵さん、僕もコングさんといっしょに戻ればいいんですか?」
「ああ、そうじゃ。あやつはアホで救いようがない。面倒を掛けるが、頼んだぞ」
「面倒だなんて、とんでもありません。喜んでお手伝いさせていただきます」
ニコが答え、コング達を振り返った。
チルチルとミチルがフワフワと飛ぶ下で、コングは川の中で暴れていた。
「ふざんなガキ共! さっさと降りて来い!」
コングが川に足元を捕られ、ひっくり返った。そして立ち上がると、濡れたシャツを丸めて投げつけている。
『やっぱり、面倒かも知れない…。』




