高原の月は語る。真実の扉
「襲われた?」
コングの脳裏に、文蔵の奥さんの顔が浮かんでいた。
「婆さんなら大丈夫だ。ああ見えて【勘】が鋭くてな。心配には及ばん」
文蔵が落ち着いた口調で答えた。
「そうか…。で、被害はどうなんだ?」
「アパートも地球連合もひどい有り様だ。巻き添えになった痛ましい犠牲者まで出ておる」
「誰か亡くなったのか?」
「それを聞いてどうする?」
文蔵が意外な質問を切り返し、コングが一瞬、固まった。
「今、ワシがそれを教えても、そなたには何も出来んぞ。奴の思う壺じゃ」
「文蔵さん、その奴ってのは、やっぱり【エル】のことか?」
「間違いない。エルが動いておる」
「教えてくれ。エルってのはただの着ぐるみの化け物じゃねぇのか?」
「違う。着ぐるみを着ておったのは一般人じゃ。
だが、それらは奴が物質化する時に利用されておる」
「着ぐるみを使って実体化するのか!?」
「お前も一度、眼にしたはずだ。奴は自分に似せて形を造っておる」
「キャラクターを人間に造らせたって訳か…」
得体の知れないエルの力に、コングは唖然とした。
「それだけではない。エルのキャラクターが出ているテレビ番組その物が、奴の手中にある」
「エッ!? テレビ放送がエルの支配下にある…?」
コングには想像もつかない世界が身近に潜んでいる様だった。
「それって、テレビ局の人間がエルに脅されているのか?」
「いや、表面的には脅されておらん。それどころか、人々はコントロールされている自覚すら無い。」
「知らないうちに操られていると…?」
「その通り。奴は冷酷なだけでなく、狡猾な相手じゃ。そなたも先程、罠に引き込まれてしまうところであったが、気付いておらんだろう?」
「…エッ?」
驚くコングを見据えて、文蔵は続けた。
「そなたは事件を知って、悲惨な現場の状況を想像した。そして、さらに鮮明に思い浮かべるため、ワシに問いかけた」
「そこに罠があると…?」
「奴は喰っておるのだ、人の感情をな…」
その言葉の後、文蔵は視線を窓の外に向けていた。
コングは、何か知ってはならないことを聞いた気分になり会話が途切れた。
あの時、エルの眼には感情が無かった。冷たい無機質な瞳孔であった。
コングはそれを思い起こして黙り込んでいた。
「はい、お待たせ〜」
姫が二人のテーブルに夕食を運んでくれていた。
なぜかコングは、フワッと辺りが明るくなった様に感じ、安堵に包まれていた。
目の前で、姫がトレーからスープ皿や小鉢を並べながら話しかけた。
「コングはおっきいから、いっぱいあるよ」
そこに、はじけるほどの笑顔があった。
「ありがと」
コングが礼をすると、姫は文蔵に視線を移した。
「文蔵さん、なんだか張り切ってるねぇ」
姫の顔を見て、文蔵は笑い出した。しわくちゃな顔が幸せそうに笑い声を上げていた。
「せっかくの食事じゃ、冷めんうちに喰え」
文蔵がテーブルの料理を指差し、自分はコーヒーに手を伸ばしていた。
「コング、今日は少し珍しい満月なの。あとで外を散歩するといいよ」
姫からの提案であった。それに合わせて文蔵が呟いた。
「話しの続きは、またにしよう。明日から忙しくなるぞ」
コングは月を見ていた。高原の風が心地良く吹き抜けている。
その緩やかな風に乗って、緑の香りがコングの内側に拡がっていた。
『確かに綺麗な満月だな。けど、こんなに月ってデカかったかな…?』
闇に沈んだ山の稜線を、満月の明かりが浮かび上がらせている。
静かな夜空がコングの頭上に拡がっていた。
彼の場合、普段の生活の中で夜空を見上げることは滅多に無い。
月を鑑賞し、その美しさに惹かれることは、さらに無縁であった。
夜空にポッカリと浮かぶ丸い月。風が時折草木をかき分け、さわさわと音を運んで行く。
平和な夜であった。
……お前でも月を観るのか?
神虫のダミ声であった。
『ああ、起きたのか?』
コングは頭の中で呟いていた。
……なんだ、素っ気ないな。
神虫は幾分気落ちしたのか、小声で言った。
庭の芝生にどっかりと腰を降ろし、神虫に問いかけた。
『なぁ神虫、やっぱり頭で知ることは意味が無いのかなぁ…』
……なんだ、しおらしいな。言ってみろ。
『文蔵さんと話した時、いくつか気になること言われてな…』
……文蔵がなんて言ったんだ?
『エルの罠とか、コントロール。それに奴が感情を喰うとか…』
……文蔵がそんなことお前にしゃべったのか?
『ああ、そんなこと言ってた。なんとなくは解るけどなぁ…』
そう言い終えるとコングは寝転がり、空を見上げた。
山の星は近い。そして輝きは力強く、視界のほとんどすべてを埋め尽くした。
……そうか、それで姫が起こしたんだな…。
『お前、姫に起こされたのか?』
……今さっきな。姫がお前と遊んでやれって…。
『姫が? じゃ、教えてくれよ』
コングは星空を眺めたまま、神虫に申し出ていた。
……しょうがない、教えてやるか。じゃ、とりあえず身体を起こせ。
神虫に言われるまま、コングは上体を起こした。
……コング、今お前の眼には何が映ってる?
『山と月かな?』
……それじゃ、お前が見てる月はどんな形をしている?
『真ん丸の満月だな』
……もっと詳しく教えろ。
『詳しくも何も無いだろ。満月だから丸だ、円盤みたいにまるい月だ』
……それじゃ、満月じゃ無い時はどんな形だ?
『ま、三日月だったり、半月だったり、いろいろだろ』
……ところでコング、お前はどこから月を見ている?
『なぁ神虫、聞いてんのは俺の方だろ?』
……いいから答えろ。そこはどこだ?
『バスで連れて来られたから、はっきりとは解らん。とりあえず山ん中だ』
……それじゃ、もうひとつ聞く。宇宙はどこだ?
『なんだかつまんねぇ質問ばっかだな』
……だから、宇宙はどこだ?
『結局、意味が解んねぇぞ』
……コング、宇宙はどこだ?
『あっちも、こっちもだ』
コングは神虫に答え、夜空に指先を泳がせていた。
……そろそろ眠くなった。俺は寝る。あとは月に教えてもらえ……ZZZ
「ジンチュウー!ざけんな!!」
コングは声を張り上げていた。




