神聖な階段
「文蔵さん、何でここに…?」
朝、地球連合で別れた文蔵である。その時、三人を見送りながら、仕事の予定があると言っていた。
「予定はもう、終わったの?」
コングはドアをくぐりながら文蔵に声を掛けた。
「今も働いておるぞ。」
その部屋には心地よい木の香りが満ちていた。
壁や天井のすべてが丸太で組まれた造りは、どことなく安心感が漂っている。
広いリビングの片隅に、鋳物製の薪ストーブ座っていた。
その薪ストーブを囲う様に、長いソファーや椅子が並んでいる。
全員で遅い昼食を終え、それぞれがゆったりと時間を過ごしていた。
文蔵はここを守る仕事だと言った。
管理人か何かの仕事だろう。年寄りにはいい働き口かも知れないとコングは思った。
「文蔵さん。あの子達、狙われてるのか?」
向かいのソファーで、姫がチルチルとミチルに絵本を読み聞かせしている。
「ああ、そう言うことになる。予定の変更もそのためじゃ」
文蔵はしわがれた声で答え、表情をわずかに曇らせた。
「しかし、何で狙われてんだ?」
「あの子らは知恵の鍵なのだ」
「知恵?」
「そう。古くからの叡智の元になっておる」
姫が絵本に合わせて、歌い出していた。ソプラノの透き通る声であった。
「何でそんなものあいつらが持ってんだ。」
「持っているのではない。二人が鍵そのものなのだ」
「何だか知らんが、その知恵を誰かが狙ってると…」
「いや、むしろその逆だ。知恵を葬り去ろうとしておる」
「待ってくれ、俺には訳がわからん」
文蔵はニッコリと頷き、コングに付いて来るように言った。
そしてスッと立ち上がると、壁際の階段を降り始めていた。
訳の解らないまま、コングは巨体を伸ばして文蔵の後に続いた。
次第に姫の歌声が遠ざかって行き、やがて足音だけとなっていた。
地下への階段は、緩やかな傾斜でどこまでも長く続いていた。
踏み込む度に、薄明かりの一段一段がミシミシと軋む。
先を行く文蔵に言葉は無く、コングはその背中に黙々と続いていた。
階段を降りきると、そこに向かい合わせになった二つのドアがあった。
立ち止まった文蔵がゆっくりと振り返り、コングを見上げて呟いた。
「コング、驚いても良いぞ」
『驚くのには慣れたよ』
コングは声に出さないで頷いた。
文蔵が一方のドアを開けると、異様な空間が眼の前に拡がった。
見上げるほどの、背の高い本棚が並んでいた。
その数が半端ではない。書斎と呼ばれる枠を遥かに超え、本格的な図書館の域であった。
「コング、これが知恵じゃ。ワシが守っておる」
文蔵のその言葉を聞いても、コングには口を開く余裕が無かった。
ただ、茫然と立ち尽くし、書物の海に呑み込まれていた。
文蔵が広い通路をふらりと歩き出した。そしてコングも左右に首を降りながら文蔵の後を歩き出していた。
そこにある書物は通常の【本】と呼ばれる物では無かった。
つまり、街の書店で販売されている現代の本では無い。
古い書物だ。それもちょっとやそっとの古さでは無い。間違いなく博物館に収まるレベルの代物である。
ある物は、ロール状に巻かれた紙が麻紐でくくりつけられている。
またある物は、紙の束その物に文字が書き込まれている。
さらに、それらとも全く違った書物もある。
一体、いつの年代か、コングには想像もつかないが、板状の土の固まりに文字が打ち込まれている。その文字すら、眼にしたことも無い物だった。
「文蔵さん。ひょっとしたら、こいつらは博物館行きぐらいの代物だろ?」
「確かに古いが、博物館には展示されんだろうな」
文蔵は振り返らずに答えた。
「かなり貴重なんだろ!?」
「ああ、間違いなく全人類の宝じゃな」
「そんな貴重な宝が何で博物館では展示されないんだ!?」
「奴らは、これが人目に触れると困るからな」
「…?」
コングは文蔵の言葉の意味を考え、立ち止まった。自然と文蔵もその場に足を止め、コングを振り返って言った。
「コング、良く聞け。ここにある書物には【真実】が記されておる。その真実は、お前達が信じておる常識とは別物なのだ。嘘や捏造では無い」
文蔵は今までに無く、真剣な表情で語っていた。
「真実が人目に触れると不味い奴がいるってことか…」
文蔵は黙って頷いた。
「じゃあ、その真実を隠すために、子供達を狙ったってことか!?」
「そう言う事だ。チルチルとミチルは、奴らには邪魔な存在なのだ。」
「そのニックネームは、俺が適当に付けただけだ。本当は何者なんだ!?」
「元々、名前など無い。そもそも、存在しておらんかった」
コングは押し黙って、文蔵の次の言葉を待った。
「コング、そなたが最初に地球連合を訪れた時、子供達を見かけたか?」
「いや、気が付かなかった…。まさか!?」
「勘がいいのぉ、その通りじゃ。お前が地球連合に来るまで、あの二人は存在しておらん」
……コングがパパだ!
頭の中の声がそう言って笑っていた。




