運命は突然に動き出す。その向かう方向はどこだ?
コングは変わり果てた部屋を見ていた。自分の眼にも、まともな状況には映らない。
その光景は、紛れもなく建物の解体現場である。
それを解体したのはブルドーザーではない。
ブルドーザーと呼んでも差し支えないが、一応は人の形をしている。
その人の形をしたブルドーザーが、バスタオルで身体を拭っていた。
『やっぱり、マズイよな…』
冷静になるということは、視野が拡がり、まわりがハッキリ見える。
見たくなくても隅々まで見えてしまう。そして大抵の場合、後悔する。
【我を忘れる行為】という表現は、実に的を得ている。
いっそのこと、ず〜と我を忘れて、徹底的に忘れて、記憶喪失になってしまいたくなる。
『こんなの直るわけないよなぁ…』
穴だらけの天井からは、屋根裏が覗いていた。
ハエは静かにしている。休戦のつもりか、ただ単に疲れたのか、妙に静かである。
それは、今のコングにとって都合が良かった。
ハエの追い出しをあきらめた訳ではないが、打つ手がない。
とりあえず今は我慢するしか方法がないのだ。
これ以上暴れると解体工事が完了してしまう。
戦略の練り直しが必要であった。
コングはガラクタの中から適当な服を探し、身に付け始めていた。
「派手にやってくれたのぉ」
コングの背後からの声であった。振り返ったそこに老人が立っていた。
大家であった。
「こ、こんにちは」
焦りで声がひっくり返っていた。
大家は【文蔵】と呼ばれている。コングは何度かそれを聞いていた。
真っ白になった長い髪を後ろで一つに束ねている。
当たるわけのないインチキ占い師みたいな風貌である。
「笹原君、ワシの貸した部屋はここで合っとるかね?」
文蔵の声には、ひとかけらの非難も含まれていない。
そればかりか、さほど驚きもせずにふざけて来た。
「すいません…。気がついたら、壊れて…」
コングは必死で小さくなって、頭を下げた。
その、縮んで頭を下げたコングよりも、文蔵の顔は更に低い位置にあった。
老人であることを差し引いても、小柄である。
その身体には、やはり小さな頭が乗っている。
そしてその表情は不思議と穏やかであった。
見方によっては楽しんでいるようにも取れる。
「あんたの好みも在るかも知れんが、模様替えは手加減をしてくれんか?」
そう言って、文蔵は一人で笑った。
老人ではあるが、取り方によっては、なんともかわいい笑顔である。
「はあ、すいません…」
コングは返す言葉がない。許してくださいとお願いする前に許されているようなものである。
「必ずちゃんと弁償します。今はお金がないけど、代わりに何でもします。」
それは絶対に言ってはいけない言葉だった。
自分の運命を他人に預けてはいけない。
どうしても必要に迫られた場合、相手を選らばなくてはならない。
「何でもするのか?」
「はい、何でもします」
「何でもかんでもね?」
そう言った瞬間、文蔵は老人からイタズラ小僧の眼になっていた。
キラキラした少年の瞳ではない。悪巧みを思いついたハナタレ小僧の眼ん玉だ。
「ワシは何を指示してもいいのかね?」
その眼の奥が妙にウキウキ輝いている。
「はぁ、はい、とりあえず…」
コングは嫌な予感に包まれた。こんな眼をして話しかける奴に、ろくなのはいない。
なんだか、えらく危険な空気が漂っている。
「断ってくれてもいいぞ」
コングは思い直して断ろうとした。
次の瞬間、耳の中のハエが身震いした。そして、条件反射で頭を左右に振っていた。
「ほう。本当にいいのか?嫌なら嫌で、ワシはかまわんぞ」
コングはその文蔵の誤解を訂正しようと口を開いた。
『やっぱ…』
またしても、ハエが羽根を振った。コングも頭を振っていた。
「そうか、そうか♪ また明日来る…」
『ゲッ!何で?』
文蔵はスキップで去っていった。
『マズイでしょ!ヤバいでしょ!』
もちろん、マズイことである。しかも、うんと、う〜んとヤバい。
たまに変な年寄りがいる。
まわりをとんちんかんな言動で引っ掻き回すお茶目な老人だ。
しかし、眼が悪ガキの老人は【お茶目】では済まない。経験を積んで【クソガキ】に進化している。
加えて、約束をした後でスキップするところが更に怪しい。
きっと、自分だけの幸せが舞い込んでいるのだ。
見ている者は、まるでウキウキしない。なぜだか不安な気分にさせられる。
その先に待ち受けているのは、とんでもない災難しか考えられない。
コングは約束したことを後悔していた。
『…何で?…』




