奴が乗り込んできた!
一台の扇風機がその部屋でうなり続けている。
暑さを追いやろうと、シャックリに似た動きでもがいていた。
昼はとっくに過ぎていた。
今日は風が吹いていない。全開にされた窓は、気休めでしかなかった。
壁にはずいぶん旧式のエアコンが取り付けられていたが、2年も前からその役目を終えている。
散らかり放題のアパートの一室であった。
まるで、ゴミ箱の中で埋もれるように男が爆睡している。
ゴミと同化し、区別がつかないレベルである。
下手をするとゴミよりもゴミらしい。いや、きれい好きの眼には、ゴミそのものかもしれないし、潔癖症の者にとっては、むしろゴミの方が美しいだろう。
その男は美しくない。それはゴミの中に埋もれているからではなく、造形の話である。
見た目が美しくないからと言って、それは絶対的な評価ではない。
土地や風土、時代によってずいぶん左右されるので、心配はいらない。
彼の場合だって「美しい」と評価されるチャンスはある。
現代の日本とか、世界に求めるから難しくなってしまうだけなのだ。
きっと時代をうんとう〜んとさかのぼれば 「最も美しいクロマニヨン」なんて呼ばれてモテモテかもしれない…。
ただ、それを確認するためのタイムマシンがないだけである。
今のところ、 イケメンと言う言葉は、動物園の猿の名前よりも彼には関係がないだけである。
クロマニヨン以外の人に、じっとその顔をのぞき込むことは、あまり オススメ出来ない。
カブトムシの裏側をながめていた方が、よほど幸せな気分になれる。
加えて、男は無責任なぐらい大柄である。
常識外れと言い方を変えた方が適切かもしれない。
その規格は、人類の単位 ギリギリである。
玄関先に転がった「靴」は、もはや 素直な心では靴には見えない。
丸まった犬のようであり、何か訳のわからないオブジェである。 靴の形を真似た靴ではない何かである。
開け放たれた窓から、一匹のハエが舞い込んだ。
ブーンと羽音を撒き散らし、部屋の中を旋回した。
その時、ハエはついに、パラダイスを発見したのだ。
長年、夢にまで見た新天地を発見したのだ!
眼下に拡がる香しい汚物の山々…。
残飯という名のあふれる食料の数々…。
裏返しのままカピカピに輝く靴下♪
充分にダシ汁を吸い込んだ割りばし♪
染みだか、模様だかわからなくなった黄ばんだシーツ♪
ハエの気持ちになって考えてみて欲しい。この瞬間、ハエは幸せを噛みしめているはずである。
男は眠りをむさぼっていた。舞い込んだハエのことなんか、まったく気づいていなかった。
最初にハエが停まったのは、男の枕元であった。
前足をスリスリして、男の横顔をながめた。
汗がシタタっていた。ゴツゴツの顔から汗が吹き出ていた。
スポーツ選手の爽やかな汗ではない。
どちらかといえば、粘着質な質の良くない部類の汁である。
その汁はハエにとって、スポーツドリンクに映っていた。
偶然にもハエは長旅で喉が渇ききっていた。ヒョイと飛んで、男の鼻先に着陸した。
トイレのスッポンに似た口で、男の鼻先の汗を吸い込んだ。
「うまい♪」
きっとハエはそう思った。なぜならわずかに表情が緩んでいる。
その時、男は寝返りをうった。うにゃむにゃと訳のわからない言葉の最後は、小さくなった。
間一髪の間合いで、ハエは飛びのいていた。
なぜだか、ハエはアスリートに似ている。
その俊敏性も似ているが、最もアスリートと似通っているのは「あきらめない心」である。
ハエはふたたび男の鼻先にしがみついた。
「ったく、もうー!!」
男はハエを追い払うと、上体を面倒くさそうに起こした。
髪は見事までにボサボサである。もつれた髪の固まりが、好き勝手な方向に伸びていた。
寝起きだからという訳ではない。この男はもともと髪の手入れなどに興味がない。
それどころか服装にもまったく関心を示さない。この男にとって、ファッション情報などは、インチキな呪文を聴くより退屈なのだ。
暑さのせいか、部屋の中では今日も丸裸である。
その裸の体つきは、ある意味 見る者に少なからず感動を与える。
全身が筋肉の固まりである。それは太い骨格の上に直接 分厚い鎧をまとっているような遠慮のない筋肉である。
シェイプアップされた、ボディービルのそれではない。
最も近いのは間違いなくゴリラである。それもその辺をうろついている並みのゴリラではない。
超特大のボスゴリラだ。ゴリラがビビる無差別級のゴリラなのだ。
そんな見た目が物騒なゴリラの毛をむしりとると彼が現れる。
もちろん、そんな男にも人間界の名はある。
【笹原正太】
残念なことに、見た目と名前がまったく噛みあっていない。当然、正太なんて呼ぶ変わり者など、どこを探してもいない。
通常、彼はこう呼ばれる。
【コング】
当然の結果である。人は自分の見た目に責任を負わなくてはならない。
名前の頭に「キング」が乗ってないだけ人に感謝しなければならない。
本当のところ、実の家族ですら名前を呼ぶことはめったにない。
母親ですら、当たり前のように「コング」と呼んでいる。悲しい生い立ちである。
しかし、理解して欲しい。
彼を目の前にして「正太ちゃん」なんて呼んでいるのを近所の人に見られた場合、ややこしい病院に連れていかれるかも知れない。
実は、コングは まだ成人して間もない。
だが、その風貌は、思いやりの気持ちで見ても30歳では収まらない。
いや、適当な年齢が当てはまらない。
牛の年齢が解らないのと同じである。
実に気の毒な話だ。
そんなコングの頭の上で、ハエが飛び回っていた。