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☆AM11:38 / ビストロ・ミケ

 マンション、ハイム・ノタバリコから徒歩三分、ビストロ・ミケ。二階建ての広い建物。チョコレート色のおしゃれな看板と、おっきなメニューボードがめじるしです。

 オープンは10時半。クローズは7時。お客さんはそれなりに居たけど、今日は平日だから、のんびりしてるのは近所のおばあちゃんぐらいだった。大体はテイクアウトでお昼を買って、仕事や学校に戻ってく。

 ドンと置かれた、店の看板より大きなメニューボードの前で、あたしたちは立ち止まる。先客の男子高校生が居たけど、ちょうど決めたみたいで、こっちをチラッと見たらすぐに店の中に入ってしまった。

 エビとブロッコリーのクリーム煮、ロコモコ、ベーコンアスパラ、青椒肉絲(ちんじゃおろーすー)、春野菜プレート、ハーブチキントマト仕立て、クロックムッシュ、ブリオッシュ、キムチ入りお好み焼き、……ミルヒライス?

「新メニュー多くない? ミルヒライスって、なに?」

「知らない。何食べよっかな」

 シェフのかわいい字は読みやすいけど、知らない料理の名前もいっぱいある。新メニューのボードだけじゃなく、期間限定のほうも負けてないっぽい。

 期間限定は……サーモンとクリームチーズの玄米パンサンド、沙良好きそう。あたしはサクラと抹茶のロールケーキ、食べてみたい。あと、ミモザソーダとか、貼ってある写真がきれいなんだけど――オレンジ?

 サクラソーダはサクラ味だろうけど、ミモザってなんだろ。

 どうしよーってなって沙良を見たら、沙良もまだ悩んでた。めずらしい。いつもはもっとパッと決めちゃうのに。

 んー、と悩んで、ちょっととがった唇がかわいい。悩みながら、綺麗な革靴の足をすらっと出して、お店の中に入ってく。見惚れてたあたしが慌てて追いかける。

 窓際のテーブルに鞄を置くと、すぐにバイトの人が水を持ってきてくれた。前来た時より分厚くなってるメニューを置いて、期間限定メニューを説明する。

「あの、ミルヒライス? って何ですか?」

 おいしそうな説明が終わったとこで聞く。頭の中は期間限定メニューでいっぱいだったけど、忘れてなかった。

「お米を牛乳で炊いたプティングです。シナモンを振ってあたたかくして食べます。甘いんで、おやつにもいいですよ」

「へぇー」

「私、玄米パンサンドの期間限定と、ミモザソーダで」

 丁寧な説明に感心して水を飲んだとこで、沙良が言った。急だったから水が気管に入るとこだった。さっきまで悩んでたのに。

 慌ててあたしもメニューを捲る。焦るけど、バイトの人は慣れた感じで待ってる。ここはメニューが多すぎるから、あたし以外の客もかなり悩む。あたしだけじゃないから。

 デザートは決まったけど、どうしよ。んー……クリーム系が良いな。パスタ。写真見たらなんかすごいお腹が減った。

「えっとじゃあ、カルボナーラ少なめに、アイスティー、デザートにサクラと抹茶のロールケーキ、で」

「かしこまりました。すぐに飲み物お持ちしますね」

 よし、噛まずに言えた。これでゆっくりできる。

 沙良がなんか優雅に水を飲んでるのを眺めながら頬杖をつく。

「やっぱ限定メニューだと思ったんだー。昔から好きだもんね、クリームチーズ」

 ね? って言うと、沙良がにこっとした。コップについた口紅をティッシュで拭いて、顔にかかっていた髪を耳にかける。

「私も百合はロールケーキ食べると思ってた」

 うれしそうに言われるとうれしくて照れる。

 あたしたちは通じ合ってるし、つながってる。ずっと一緒だから、好き嫌いとか大体わかる。昔のことはあんまり言えないし、わかんないこともたまにあるけど……それを見つけるのはうれしいから、今すぐ全部わかっちゃいたいとは思わない。

 でも沙良のことじゃなくて、分かんないことは直接訊く。

「……ね、ミモザってなに」

「花だよ。知らないの?」

 頼んだから知ってるよね、と、こそっと言うと即答された。花なんだ。

「見たことないもん。じゃ、サクラと同じで花のソーダ?」

「え、公園にあるよ。黄色いの。あれミモザ。……でもソーダはミカンの炭酸じゃないかな。カクテルにあるの。オレンジジュースとシャンパンで作るやつ」

「へー、なんで知ってんの、お酒とか。誰かとどっか行った? バーとか」

 でもミケはオールノンアルコールだから、シャンパンじゃないよね。多分沙良の予想どおりだと思う、とか考えてたら、ちょうど来た。

 やっぱきれいだなー。オシャレな細長いグラスにオレンジのソーダが入って、茶色いストローがささってる。なんかレトロ。

 お待たせいたしました、ってテーブルに置かれると、炭酸の音とオレンジの匂いがした。自分のアイスティーを飲んだら消えちゃったけど。

「この前観たドラマに出てきた」

 ソーダを受け取ってから沙良が言った。ミモザってカクテルが、だろう。言ってから一口飲む。窓の外からの光の具合がちょうどよくて、うん、それこそドラマみたい。

「あー。おいしい?」

「一口いる? おいしいよ」

「いる。ありがとー」

 ストローを拭いてグラスをこっちに寄せてくれる。

 ソーダはさわやかな、すっきりした甘さだった。もしかしたらレモンも入れてあるのかも、っていうちょっと酸っぱい感じでおいしい。ミケはごはんはもちろん、飲み物もケーキもハズレがない。おいしい、って笑うとまた沙良も笑った。

 まず玄米サンドが運ばれて、少し遅れてカルボナーラが来る。五分ぐらい、あたしはアイスティーを飲みながら、食べる沙良を見てればよかった。

 小さい口が綺麗にパンを齧るのとか、口の端と爪の上にクリームチーズがちょっとついてるのとか、うん、って頷いて「おいしい」って繰り返すのとか。沙良は体の負担にならないようにゆっくり食べるから、あんまり減らないうちにあたしのパスタが来た。

 ちょっと重いフォークを持ってベーコンを食べる。あいかわらず絶妙なしょっぱさ加減。さすがシェフ。ソースがおいしくてどんどん食べちゃう。巻くのが下手で口にソースが付きまくるのは失敗だな、と思った。折角借りた色が落ちる。塗りなおさないと。

「どっか行きたい場所あるの?」

 二つあったサンドの一つを食べきって沙良が聞いた。またソーダを飲むのを見ながら、口の中のカルボナーラを飲みこんで首を振る。

「んーん、千年に着けば、どこでもいい。何か見たいのある? 映画でもいいよ」

 あたしが千年にこだわってる理由を、沙良は気づいてないだろうけど、聞いてこない。あたしに付き合う気で出てきたから。だから聞き返されて、ちょっと悩んだみたい。

 ゆるーく、下を見るように首を傾げて、あたしの真似のように首を振った。

「今おもしろそうなのやってないから映画はいい。カチューシャ欲しいの。この前も見たんだけど、一人じゃなんか選べなくて」

「いいよ、買ってあげる!」

「お金は自分で出すって」

 それからあたしたちは二人一緒じゃないときのこと――学校でのこと、見たテレビや雑誌のことを、あれこれ話す。ランチがおいしくて、会話が楽しい。沙良がかわいくて楽しそうでうれしい。

 あたしが笑うと沙良が笑って、沙良が笑うとあたしも笑う。あたしたちはどこから見ても幸せな女の子。こんなに幸せなことってない。かわいい服を着ておいしい物を食べてきゃあきゃあ笑いあって、かわいい物とおいしい物の話をする。女の子らしい幸せ。

「百合ちゃん」

 男の低い声が耳に入ってきて、最後の一口を口に入れたところで固まった。目の前では沙良が一口齧ったパンを持ってやっぱり固まってた。フォークを口から出して横を見ると、スーツの姿。

「やあ、調子はどう? 来週の診療についてメールしようと思ってたんだけど、ちょうど会えたね」

 眼鏡に、よくいう清潔感のある髪型。割とかっこいい顔はドラマに出てきそう。だけどあたしは好きじゃない。

 ……昔はちょっと、好きだったけど。四十過ぎたしただのオッサンよ。

「こんにちは先生。調子はいいよ。要件なに?」

「愛想がないな、かわいくないよ」

 口の中の物を飲みこんであいさつして早口で急かすと笑って言う。指先で口を指す。あっと気づいてソースの付いた口を拭いた。ムカつく。せっかく楽しくしてたのに!

「センセはあたしにそーゆー興味ないんでしょ。いいから何よ」

 意識したら声がめちゃくちゃ不機嫌になった。多分顔も。もーやだ、分かっててやるんだから、ほんと最悪。早く沙良と二人きりになりたい。

「学校から貰ってきてほしい書類があるんだ。そうすれば一回で済むから。青い封筒、って言えば先生たちは分かるよ」

「わかったー」

 ダイガクビョウインノセンセイは愛想だけあって、ニコニコして言う。青い封筒ね、青いフートー。わかったから。

 書類なんか郵送でもなんでもすればいいのに。毎回毎回黄色いのとか青いのとか、めんどくさい。こういうこともあるし。明日学校行くのもなんか面倒。

鹿勝(カガチ)さん、もういい? 今日は私たちデートなの」

「……ああ、悪いね、サリー。それじゃ来週」

 沙良が独り言みたいに言った。あたしのほうを見て、デートって強調する。

 先生は数秒黙ってから、なんかめっちゃいい笑顔になって手を振った。これは絶対、おかしくて笑ってるんだろうな。

 口ではなんとでも言うしレディな扱いするけど、知ってる。あたしたちには興味がなくて、女の子とは思ってないの。だから沙良のことだってサリーって言い続ける。他には誰も呼ばないのに。

 手を振った先生は「青い封筒ね」なんて念押しして、こっちから見えない奥のテーブルに歩いてく。何を頼んだのかは知らない。

 前を見たら、沙良までムスッとした顔してる。何を話したらいいか急に分かんなくなって黙ってたら、バイトの人がデザートのロールケーキを持ってきてくれる。いいタイミングだなって思った。

 緑の生地とピンクのクリームがきれい。ふわっと春らしい、いい匂いがして気持ちが上昇した。

「百合はかわいいよ」

 ちょっと今日のあたしたちっぽい?

 なんて考えてたら、沙良がぽつりと、また独り言みたいに言う。

 ドキッとする。一気に明るくなったみたい。心が一気に軽くなった。思わず噴き出してしまってから、まだパンを齧ってない沙良を見つめた。

「うん、知ってる。ありがと」

 真面目っぽく言ったら沙良も噴き出したのでまた笑った。

 沙良もかわいいよ。すごくかわいい。この世で一番、好きです。

 こんなとこで言ったら「はいはい」って言われそうだから、わざと今は言わないでおいた。後で、今日寝る前に言ってみよう。

「おいしい?」

「うん。甘すぎないって感じ。ほら」

 ゆっくり食べる沙良に、ケーキを一口ちょっとだけ、あーんと差し出す。

 サーモンを飲みこんでから口に入れて、唇についたクリームを舐めるとまたにこっとした。

「いい香り。……あ、酸っぱい」

 次にソーダを飲んで顔を顰める。ケーキとオレンジじゃそうなるよね。

 甘いケーキは、紅茶との相性はいい。アイスティーを飲むとすっきりする。

 沙良に合わせてゆっくりケーキを食べたら、クリームの部分が先になくなっちゃった。抹茶好きだからいいけど、もっとうまくやるべきだったなぁ。

 ご飯も飲み物もケーキも、全部食べきって。口を拭いて、二人で揃ってルージュを塗りなおした。

「行く?」

「うん。行こ。ごちそーさまでしたー」

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