いや、まじでホラーだけは堪忍してください!! 後編
「あほたれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
声が、聞こえた。
ああ。見事なドロップキックだ。
そうそう。これだよこれ。コンクリートに衝突するようなイメージ。
ズザ――――――――――――――――――――――っ。
どがんっ!
顔面を床に擦りつけたまま滑る滑る。
壁まで滑ってもう一回コンクリートに衝突するイメージ。
てか、モノホンのコンクリ。
「なっっっ……」
涼太はがばりと起き上る。
「にすんだ!! あほたれぇぇぇぇぇぇぇ!!」
背中を見事にドロップキックで蹴り飛ばしたやつに叫ぶ。
もちろん。武藤ではない。蝶野でもない。
「ハニーが超あほたれだよっ! 霊的物体に素手で挑むやつがあるかい! 常人なら五十回は死んでたぞ!!」
シャルがぷりぷり怒りながら涼太の鼻に指差しながら言う。
(おい。頑張れって言って、見物決め込んでたの誰すか?)
「まさかここまでの素人さんとは……悪霊はね。生を求めるんだよ? 生身の人間なんかが触れたら即、持ってかれちゃうよ?」
「持ってかれるって……」
「い・の・ち✩」
ぱちりとウインク。
かーわーいーいー。
「じゃなくて!! まじか!? 俺持ってかれちゃった!?」
「そりは大丈夫。大丈夫だけど……」
『ガォォォォォォォァアアアアオアオオオアアオォオォァア』
黒い獣は再び涼太に向かって突進してくる。
「まぁハニーは悪霊にとっては最高の獲物かも。無限命製造機みたいなもんだし。たまんないなーもうっ☆」
ペロリと舌舐めずりしながら涼太を見るシャルさん。
その感じ、悪魔にとっても、ってやつですね?
「最悪だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ドガァァァァァァァァァァァァァアアアアンンンン!!
ズザァァァァァァァァァ!!
「――あっぶね!」
黒い獣は涼太のいた所に飛びかかって突っ込んできた。
涼太は咄嗟に前方猛ダッシュあーんどスライディングにてなんとかこれを回避。
轟音は獣が地面に衝突した音だ。
「自爆という言葉を知らんのか!? あいつは!!」
何事も無かったかのように獣は起き上りまた雄叫びを上げている。
「ここでファイナルラッキーチャーンス✩」
シャルがくるりと体を回転させてからゲッツのポーズで涼太を指差す。
俺、こんなにボロボロなのに。シャル、君は楽しそうだね……。
「ハニーの選択肢は二つ! 一つ、今のあいつの自爆のおかげで結界が緩んだから今なら逃げられる。二つ、ボクと契約してあいつをぶっ飛ばす。ボクとしては契約して欲しいんだけど、ま、現実的なのはもちろん一番だね」
「もちろん一番! ――と、言いたいとこなんだが……」
涼太は黒い獣の方を見る。
「声が……聞こえるんだ」
「声?」
シャルがぱちくりと大きな瞳を瞬きさせる。
「何も聞こえないぞ? あいつの雄叫びくらいのもんだよぅ?」
実は、さきほどから声が聞こえるのだ。
自爆して結界が緩んだことと何か関係があるのかはわからない。
あいつ。
いや、あの子の声が。
――一番最初に建物の前で聞いた声。
建物に入る直前に聞いた声。
そして、さっきあの獣になる前、ローブを着たあの子が言った声。
音じゃない。
頭に直接響く。
あの子は涼太が建物に入る前からずっとこう叫び続けているのだ。
『助けて』と。
「なぁ、シャル。二番を選択した場合。ぶっ飛ばすんじゃなくて、核になってる子を救うことはできるか?」
涼太はゆっくりと立ち上がり、シャルに問う。目は、あの獣を凝視したまま。
シャルは涼太の方を見て優しく微笑む。
「ふぅむ。ま、ぶっちゃけできるよ✩ ハニー次第なとこもあるけども、ね」
「なら、不本意だが……するよ! 契約」
「イエス! その言葉を待ってたぜぃハニー!」
「で? どうすれば?」
シャルの手のひらにどこからともなく紙とペンが出現する。
「ここにサインと印鑑ちょうだい」
「サインはいいが印鑑なんて持ってないぞ?」
「じゃ、拇印でも可」
ちらっと獣の方を見る。
うわっ。黒い獣動き出したぞ!?
「あ、あいつこっち見たね。あ、向かってきたね。あ、けっこう速いね」
のんびりしたペースのシャルさん。
「冷静に分析してる場合か!? は、はは、はやく契約を!」
涼太は指示された場所に名前を殴り書き、親指で印を押す。
「こ、これでいいか? うわっ!?」
黒い獣はまた、涼太の目前まで迫ってきていた。
(ま、また捕えられ――)
涼太思わず目を閉じる。
――ん?
捕えられた感触は、ない?
「へへん」
楽しそうな声が後ろで聞こえたので涼太は目を開ける。
「おわ!?」
目前には何もない。
目下、床が遠い。
涼太はシャルに抱えられ、空中を浮いていた。
「契約者を簡単に失ってたまるかってんだよぅ」
シャルは涼太を床に降ろすと、ぶつぶつと何か呪文のような言葉を呟きだす。
一しきり、言葉を紡ぎ出すと高らかに叫ぶ。ちなみに呪文の中にお腹減ったとかラーメン食べたいとか雑念も入っていた気がするがとりあえずスルーしておく。
「デビルチェーンジっっ!! 否、デッビール!!」
何で言い直したのさ! いらなかったよ!!
シャルの体が眩く輝きだす。
みるみるうちにシャルの体は変形し――
「ジャンっ✩」
ある物へと変化を遂げた。
「こ、これは……」
目前に出現したものに涼太は絶句する。
「悪、魔、霊、全てを断ち、穿ち、滅する究極の魔剣……」
「こ、これが……」
あいつを倒し、あの子を救うことのできる武器――
「デビルカッターなのさっ!」
涼太の目前にはどでかいカッターナイフが浮遊している。
チキチキと刃を出し入れする音。
折れても使えると言わんばかりに刃に入ったミシン目。
無駄のないフォルム。
(これは、これはっ……!!)
「ただの黒いカッターじゃん!?」
「ハニー。ノリつっこみとは……腕を上げたね」
カッターから涙が流れる。
「やめて! その状態で涙流されてもなんか液体が漏れてるようにしか見えないから! って、こんなんであれ倒せるのかよ!?」
「もう! 見た目で判断なんて悪い子だよ! とにもかくにもあの子を救うには悪霊を引っぺがす必要があるんだから。カッターなんてまさに専門分野じゃん✩」
「図工じゃないんだよ? シャルさん?」
『グゥゥゥゥゥォォオオオオオォオォォォォォォォオオオオォォォオオオ』
黒い獣は体勢を立て直し、なおも涼太に向かって来る。
「信じるからなっ!」
涼太はどでかいカッターを抱えるように手に取り、獣を迎え撃つ。
どでかいくせにそれほど重さは無く、両手に収まるように馴染む。
――ドクン。
「こ、これは?」
カッターに触れた瞬間、何かが変わった気がする。
「契約によりハニーはボク……悪魔を武器として扱う権利、力を得た。そして今のその目は契約の付属効果ってやつかにゃ✩」
見える。見えるぞ。
仕組みが。流れが。綻びが。
「見える。私にも見える。これがニュータイプの力……」
「赤い彗星!? 違うよ! 魔眼だよ、ま・が・んっ!! 契約効果として私の目とハニーの目がリンクしてる証拠なのさ✩」
黒い獣は内部、真中に位置する子を中心に数千の悪霊が繋ぎ合わさってできている。
全ての仕組みが見える以上、一体一体を分離させる方法すら今の涼太の目には見えているが。そんなことをしていたのでは時間がかかり過ぎる。
……なら。
「便利だな! コンビニくらいっ!!」
涼太は獣に向かって走る。走る。走る。
今の目には見える。
あの子と全ての亡者を繋ぐ鎖の……原初が!
「そこだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっっ!!」
涼太はカッターを一か所目掛けて振り下ろす。
ちょうど獣の下腹部あたり。
ギャリギャリギャリギャリギャギャギャギャギャッッ――!!
『オオオオオアオアオアオアオオオオォォォオァァァァァッッ!!』
「ぬぅぅぅぅぅぅぅああっ!! け、けっこう硬いな!!」
鎖とカッターの間で火花のようなものが飛び散る。
だが、あと一歩! 鎖に亀裂が生じている。このまま――
ベキン。
鈍い音ともにカッターの刃が砕かれる。
「くっそ! あと一歩だってのに!?」
だめか!! だめなのか!?
「あほたれハニー! ハニーが今持ってるのは何?」
(……俺が持ってるもの? それは――)
――カッターナイフ!!
涼太はカッターの中心部に取り付けられた取っ手を思いっきり押し出す。
チキチキというカラクリのような音とともに、新しい刃が産声を上げる。
「らあああああああああああああああああああああああっっ!!」
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ――ベキィンッッ!!
『オオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?』
鎖が砕かれた瞬間、綱を離されたように、数千の悪霊が四方八方に飛び散っていく。
小さな子が、霊と言う鎖から解放され、涼太の腕に落ちてくる。
(怪我は……なさそうだ。だが)
「おいおい! こりゃちょっとまずいんじゃ……!?」
霊から解放された子を抱き抱えながら、涼太は立ち尽くしていた。まるで台風の直撃地にいるかのような感覚。
飛び散った無数の霊は部屋中を嵐の如く駆け廻る。
結界とやらがまだ効力を発揮しているのか、外に出ることができない霊群はそこらかしこを駆け廻り、弾け、衝突し、破壊する。建物が軋み、地鳴り、尋常では無く揺れる!
「このままじゃ建物が持たない!!」
「――霊よ。在るべき処へ」
涼太の真上、突如、空中に巨大な穴が出現する。真っ暗な、光をも吸い込みそうな、深淵なる暗黒。
居場所を失った霊群は吸い込まれるようにどんどん穴に入って行き――
――最後の一匹が入ったところで音も無く穴は消え去ってしまった。
「……君がやってくれたのか?」
しばらく呆けていた涼太は気付いたように腕の中にいるその子に問いかける。
「……ありがとう」
それだけ言ってその子は電池が切れた玩具のように眠ってしまった。
いつのまにか元の姿になったシャルが、すやすやと眠るその子を覗きこむ。
「あの穴は冥府に繋がってたみたいだねぇ。あれがこの子の力……」
おかっぱ頭の小さな女の子。真白な頭髪と白い肌が神秘的要素を倍増させている。まるでフランス人形だと涼太は思った。
「これにて一件落着……かな?」
涼太はシャルに微笑みかける。
「そうみたいだね。ボクからも言うよ。ありがとう」
その何の曇りも無い笑顔にやっと安心する一方、なんだか気恥しくって、涼太は「べ、べつにシャルためなんかじゃないんだからっ」とツンデレっぽく言うことしかできず。
(なんでもっと格好いいセリフが出ないかね、俺。――はぁ)
まあ……腕の中で安らかに眠る少女の顔に免じて、ま、いいや、で済まそうと思う。
◇
「――で、不本意にも契約してしまった私の代償とはこれいかに?」
建物を出た頃にはもう夜も明けようかという時間になっていた。
少女をおぶりながらの帰り道、ふわふわと浮遊しながらついてくるシャルに涼太は問いかける。
「え? ああ。契約代償ね。……えへへへへへへへへへへへへへへ」
涼太に邪悪な笑みと視線を向けるシャル。舌舐めずりもプラス。
こ、怖ぇ! ひぐらしが鳴くくらい怖ぇよ!!
「あはは✩ 冗談だよ。仮契約にしといてあげてるから代償とかは今のところはお気になさらず!」
「おお! そんな期間を設けているとは! ありがたやありがたやー」
「代償は無いけど……代金はあるからねー」
「――はい?」
振り返ってシャルの顔を見る。
にこりと微笑むシャル。
「だ、代金?」
「そ。もう請求書は本社に送ってあるからねー✩」
請求書? 本社?
え? えー? まーさーかー?
「……おい。涼太」
背後から聞き覚えのあるドスのきいた声。
涼太はびくりと身震いしてからぎちぎちと機械のように振り返る。
「そのおぶっている女は誰だ? この請求書は何だ? お前は何をしてきたのだ?」
片手に請求書らしき紙をひらひらとなびかせるゴスロリ少女。
と、同時に片手で銃口をこちらに向けているゴスロリ少女。
ひくひくと顔を引きつらせて今にもブチ切れそうなゴスロ――
「こ、ここ、これは、この子は仕事したっていう証明というかなんというか! で、請求書の件は俺も今知ったっていうか! 仕事のために仕方なかったていうか!」
「遺言はそれでいいんだな?」
ジャキン。
「あばばばばばばば!? シャ、シャルさん! この殺人鬼に何か言ってやって――」
振り向いてもただただ景色が広がっているだけだった。
影も形も無い。
「ほう。シャル、とな。まだ女の名前が出てくるんだな?」
ジャキン。
「な、なぜ銃口が二つに!? べ、弁解の余地をっ!!」
「――ん……?」
おぶっていた少女を起こしてしまったらしい。
可愛らしいあくびをする。
「あ、き、君! あいつに俺はちゃんと仕事をしたと言ってやって――」
「救世主様っ!! ありがと! お兄ちゃんって呼んでもいいかな? えへへ」
少女は最高に可愛い笑顔で涼太をぎゅっと後ろから抱き締める。
かーわーいーいー。
――じゃなくて!
「お、お兄ちゃん……?」
わなわなと震えだすゴスロリ少女。
ジャキィン!
「ま、待てっ! アリス! それはアサルトライフルと言ってデザートイーグルとは比べ物にならん殺傷能力を――」
と言いつつ、涼太はこれから起こるであろうこと、いやできれば起こらないでほしいこと、いや願わくば――に備え少女を背中から降ろす。
(俺、律儀)
ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダ……!!
「あああああああああああああ世は無常なりぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ……!!」
朝日をバックにしこたま穴を開けられる。
(朝の冷たい風が身に……穴に染みる、ぜ……)
シャル! 次会ったら……殺――ダダダダダダダダ――され……る――