終わる世界 中編Ⅱ
「――がはっ!!」
アリスは、どっと、血の塊を吐き出す。
床に散らばるは百の兵器。その全てを使用した奥義は勇者の得物を破壊するだけに留まった。
「化物……め!」
壁に叩きつけられたアリスはよろよろと立ち上がると愛銃を構える。
「ひぃひいひひひひひひひひ! 勇者の剣を折るとはやるじゃないかぁ! しかし、残念。勇者様はアンデッドなのでした! ひゃっははははははははは!!」
吾雅彦の狂った笑い声に応えるように、勇者はゆっくりとアリスに近づいて行く。
アリスは最後の力で数発、弾丸を放つ。
頭、心臓、足、手、腹。全て、命中。
それでも、勇者の歩みは止まらない。
空いた穴も、既に無い。
「勇者と違ってお前は頭をふっ飛ばせばそれで終わり。残念だよ。おとなしく人形でいればよかったのにねぇ」
勇者はアリスの目前で立ち止まる。
そして、高く高く、その拳を振り上げる。
「私は……私は諦めない!!」
彼が諦めなかったのだ! 命を賭けて私を導いてくれた彼が! なのに私が諦められるものかっ! 最後の一秒まで、私はっ!!
「はいはい。熱いねぇ。ほんと。もうそういうの飽きちゃった。勇者よ。殺せ」
言葉とともに、勇者の拳がアリスに向かって無慈悲に振り下ろされる――。
◇
「――ぐす! ひっく! うぇぇ! お兄ちゃん……」
柚葉は、涼太の腹部に顔を埋めたまま、泣く。
「くっそ! 不死とは卑怯な……おい! 悪魔っ子! 悪魔ならなんとかせよ!」
イルミが忌々しげにシャルを見る。
「無茶言わないでよぅ。悪魔には無殺生ルールがあるよぅ。魔王様こそなんとかしなよぅ」
悪魔はふるふると首を振る。
「ぐっ! 我も魔力さえ回復すればだな……」
「無理しなさんなって。涼太に勝てなかったんならあいつにも勝てねぇさ。反則超えてチートだよこりゃ。お手上げだ」
ホークは床にどっかと腰を下ろすと、煙草に火をつける。
「うう。ひっく。お兄ちゃん。ひっく。このままじゃ、お姉ちゃんが……」
――ぽん。
「ぐす……?」
柚葉の頭に優しく手が置かれる。
救世主に救われてからずっと、頭を撫でてくれた、あの優しい手の感触。
「え!? おに……ひゃっ!?」
柚葉はがばりと起き上る。さっきまで横たわっていたはずの涼太が、いない。
かわりに、一陣の風が吹き抜ける。
「ひゃわ!?」
「ぬあ!?」
悪魔と魔王が突風によろける。
「おわ!?」
ホークの火をつけようとした煙草が風に舞う。
◇
――ガッ!!
アリスは諦めなかった。最後の一秒まで。だから、目も閉じなかった。だから、見える。
闇に堕ちた勇者の拳を止める青年の姿が。
それはまるで。
勇者のようで。
救世主のようで。
正義のヒーローのようで。
「アリスの邪魔をする奴は俺が許さん」
拳を一発。青年は勇者の懐に叩きこむ。それだけで勇者は亜音速にてふっ飛び、壁に叩きつけられる。
「あ……ああ……!!」
涙で前がよく見えない。なんだってこんな時に。今すぐにでも、見たい顔がそこにあるというのに。
アリスは涙をぐしぐしと乱暴に袖で拭う。
広がった視界には、見慣れたはずなのに、とても懐かしい、笑顔があった。
「なぜなら俺はアリスの部下一号だからなっ!」
「り、涼太っ!!」
ぽん。と涼太はアリスの肩に手を置く。
「言ったろ? お前の意思じゃないと死なないってさ」
涼太は信じていた。
「ば、バカっ!! 遅すぎるのだお前はっ!!」
アリスはぷいと顔を真っ赤にして背ける。
アリスも信じていた。
「どいつもこいつもぉ。ほんとありえないことばっかりしてくれちゃって。ま、どうやって生き返ったかは知らないけどさぁ。私の勇者はあんなくらいじゃ
「しばらく動けないと思うけど?」
言われ、吾雅彦は勇者が飛んで行った方を見る。たかが亜音速で壁に叩きつけられただけの勇者は、ぴくぴくと痙攣したまま、起き上ろうとしない。
「な、ななな、なにを……!?」
吾雅彦が驚愕といった表情のまま、動けないでいる勇者を見て目を見張る。
ありえない。不死超遊戯コピーを宿す異世界の勇者がたかが人間の拳一発で?
ありえないありえないありえないありえないありえないありえない……!!
「ま、仕方無いんじゃないかな。体の電気信号、バラバラにしてやったから」
そう言う。涼太の体からばちりと火花が散る。
「電気信号……!?」
『そうです』
答えたのは涼太ではなく、涼太の背後に突然現れた、宙に浮く少女。
着ている服は着物だが、姿はアリスによく似ている。
「そうか! 貴様がああああああああああああああ!」
吠えながら、吾雅彦はばりばりと髪を掻きむしり、宙に浮く少女をみて目を剥く。
「何をこそこそと研究室に足を運んでいたのかと思っていたが……ふん! そのような研究に時間を費やしていたとはな」
『ええ。あなたの研究は知っていましたから。それを止めるための研究に、残りの命を全て』
少女の体に度々ノイズがはしる。
アリスは、茫然とその少女の後ろ姿を見つめていた。
「……お母さん?」
目を見開いたまま、呟く。
『……』
少女はその問いに振り向かず。
『いいえ。あなたの母は死にました。ここにいるのは、ただの人工知能です』
「嘘だっ!! だって
『あなたの両親は死んだのです!! 娘を娘と見ずに、呼ばずに、そんなどうしようもない両親は!!』
少女は叫ぶ。自分に言い聞かすように。強く。強く。
「どうしようもなくないよ」
アリスはその小さな背中に語りかけるように。
「今、娘として見て、呼んでくれているでしょう?」
『――っ!!』
それでも、母と呼ばれた少女は振り向かなかったが、震えるように、ただただノイズがはしっていた。
涼太は邪神と吾雅彦を睨みつけたまま、ばぢばぢりと体中から火花を散らせている。
「ふん! 気に入らん! 不死超遊戯レプリカに何か細工したな?」
『魂の再生回数の上限を一回増やすことと、シークレットコードをいくつか』
「ひゃは! ひゃははははっはっはははははは! くだらん! くだらんぞ! 何を組み込んだかは知らないが、邪神に敵うとでも!?」
『もちろん』
そう言って。電子の少女は瞳を閉じ、呟く。
『シークレットコード・Ω(オメガ)展開、プログラム『オワルセカイ』発動』
言葉とともに、涼太の体中に光を放つ幾何学模様が浮かび上がる。体から散る火花は激しさを増し、ついには涼太の体を包み込むように放電し始める。
「こ、ここ、これはっ!?」
人の領域を超えた吾雅彦には、見るだけで事の重大さが理解できたのだろうか。
狂った笑顔はもう影も形も無く。ただただ、涼太の姿に目を見張り、何筋も額から冷や汗が流れ落ちる。
『これが、私の最後の、罪。……涼太さん、本当に……いいのですか?』
「もちろんだ」
「いいわけないだろうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
叫び、吠えたのは吾雅彦。
「涼太君ん! やめたまえ! 君は、今何をしようとしているのかわかっているのかぁ!? 今、君を取り巻いている電気のようなものは君の魂そのものだ! 死ぬどころか輪廻転生のサイクルから外されるのだぞぉ!?」
「不死超遊戯レプリカ。その砕けない魂と己を弾として撃ち込む最終プログラム『オワルセカイ』。一回限りの技だが、貫けないものは、この世に存在しない」
冷静に平坦な口調で、涼太は答える。
「ぐ、くくくくくっ……!!」
吾雅彦はぎりぎりと歯を食いしばる。噛みしめる唇からは血が流れる。
「り、涼太!? 今の話……」
アリスは涼太に触れようとする。
「触るなっ!!」
「――っ!?」
びくりと竦んだアリスは、おずおずと手を戻す。
「……ごめんな。今の俺に触れたら、アリスが死んでしまう」
アリスは俯き、ぶるぶると肩を震わせる。
「……だ」
アリスは小さな、小さな声で呟く。
「えっ?」
「嫌だっ!!」
叫び、涼太の前に両手を広げ、立ちはだかる。
「お、おい!? アリ
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
両目から大粒の涙を、こぼす。
「なんで死ぬ? せっかく生き返ったのに! 涼太が死ぬなんて許さない!」
「いや。ほら。アリスさん。このままでは世界が
「世界など知ったことかっ!! 涼太が死ななければ救われない世界なんて滅びろ!!」
アリスはぶんぶんと首を横に振る。
その姿に、涼太は口元を緩める。
「……嬉しいけど、さ」
すっ、と涼太を包んでいた光が消える。
「――っ!!」
そのまま、涼太はアリスを抱きしめる。強く。強く。
「許してくれ。アリス。俺は、アリスにも、皆にも、世界にも、生きていてほしいんだ」
「ううう……ううううううっ……!!」
アリスは涼太の胸に顔を埋めて泣く。今まで殺していた感情というものが溢れて溢れて……止らないと言わんばかりに。
どうして?
どうして彼が死ななければならないの?
世界が終ってしまうから?
そのような運命を背負っているから?
それしか方法が無いから?
死ぬしか、ないの?
それなのに、それなのに彼は――
――どうして笑ってくれるの?
「……優しすぎるよ。涼太……」
アリスもまた、強く涼太を抱きしめる。
「そうかな?」
そうだとしたら、その優しさをくれたのも、アリスなんだ。
涼太は優しく、アリスを体から離す。
「KⅡ。頼む」
『……了解』
それが宙に浮く少女の名なのだろう、少女はぶつぶつとパソコン用語の羅列のような言葉を一しきり吐き出す。そして。
『シークレットコード・α(アルファ)発動。プログラム『セツナノタビビト』実行』
青い光の円がアリスを包むように、足元に出現する。
「ありがとう。アリスに出会えて、本当に良かった」
涼太は微笑む。そこには恨みも無念も一切無く、ただ、心からの笑顔。
「涼――!!」
アリスが伸ばした手は、涼太に触れること叶わず、光の円の収束とともにアリスは忽然と姿を消した。
次に光の円が出現したのは。柚葉。
「柚葉ちゃん。友達いっぱい作りなよ! それが人生最強の武器になるから」
「お兄ちゃ――!!」
柚葉もまた空間から姿を消す。
「イルミ。ホークさん。異世界にまで助けに来てくれるなんて。ほんと。最高の友達だ! ありがとな!」
「ま、待て! 勝手に死ぬつもりか! 馬鹿者!! 我はまだリョータに恩を返せては――!!」
「自己紹介したばっかじゃねぇか! これで終わりなんてゆるさね――!!」
イルミ。ホーク。順に姿を消す。
「く、神代おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
息も絶え絶え、力の限り十文字が叫ぶ。
「十文字。お前ならなれるさ。俺の変わりなんかじゃなく。お前が、主人公さ」
「そんなものに……俺は……ならないっ! お前が……お前がいなくては――!!」
光が、収束する。十文字が消える。
「シャル。……あれ? シャルは?」
シャルの姿が見えないと思った矢先、涼太は頬に柔らかい感触を感じる。
シャルが涼太の頬に口付けた。
「のわっ!? しゃ、しゃしゃしゃしゃしゃ……シャルっ!?」
涼太は顔を真っ赤にし、頭からどかんと煙が上がる。
「ふふ☆ やっぱダーリンが一番格好良いや☆ ……バイバイ」
シャルは、悲しそうに、ひらひらと手を振る。
足元には青い光の円。
「シャル。ありがとな」
収束とともにシャルも姿を消す。
――ブゥゥゥゥゥゥンンン。
青い光の円が出現する音。
「な、何を考えているのだ!? 馬鹿か君はっ!?」
吾雅彦の足元に、光の円が出現した。
「あんたも。こんな邪神が無ければ、こうならなかったはずなんだ。さすがに転送先は皆と違うとこにしてあるけど」
「愚かな!! 例え邪神が無くなっても、私は……!!」
「それでも。死んで良い命なんて。一つも無いから」
「――っ――!!」
吾雅彦は何かを叫ぶような仕草だったが、光の収束とともに姿を消す。
「……よし」
この空間に残った者。
涼太。
勇者。
邪神。
そして。
「あら。私は送っていただけないのかしら?」
今まで見物を決め込んでいた、メイド娘。
「やはり。自分を殺した者は憎い?」
クスクスと笑う。
「いやさ。あんたには見ていて欲しくてさ。俺が運命に抗うところ」
「……?」
「俺を殺したのも、警告したのも、天使の仕事、だったんだろ?」
「――っ!?」
メイド娘は目を丸くして息を飲んだ後、大げさに溜息一つしてから、ゆっくりと口を開く。
「……なんや。気付いとったんかい」
娘の背中に、二枚の純白の翼が出現する。
「いつからや?」
その問いに、涼太は指を顎に当てて。
「んー。ぶっちゃけると最初っから違和感はあった。俺、実は夢ってけっこう細部まで覚えてるほうなんだよ。俺を刀で刺した女と夢の女が、眼鏡と髪型と服装変えただけじゃんって……確実にそうだと思ったのはアリスの家で……だけどさ」
「ははっ! しょっぱなからかい。あーあ。一つくらいびっくりさせたろ思てたのに。負けや負け。あんたにはほんま、敵わへんわぁ」
両手を上げて降参のポーズ。
「せや。うちはあんたを殺した。正直、仕事は仕事でもやらんでいい仕事やったんや。天使や言うて、威張って、変なプライド持って、偽善行為もええとこや。よく考えんうちに勝手にあんたに手え下して、あんたは生き返ってしもた。だからうちはもうあんたに手を出せへんくなってしもたんや。天使の天罰限定ルール。後は警告するんが精一杯やった。あんたをこの状況にした責任は、全部うちのせいや。恨んでくれて……かまわへん」
天使の瞳が俯く。
「……ごめん」
それに対し、涼太ははっきりと首を横に振る。
「謝る必要なんてない。俺は、あなたにも感謝している」
「……え?」
天使が不思議そうに、涼太を見つめる。
「あなたが殺してくれたから、俺は生き返ることができた。あなたがいなかったら、きっと俺は死んでいたままだった」
涼太は笑う。
「だから、ありがとう」
「……アホ。お人好しが過ぎるわ……」
天使の目に涙が溜まっていたように見えたが、そっぽをむかれたのでわからなくなっててしまった。まあ。きっと、気のせいだろう。
「うちにはもうなにもできん。好きにし」
「おう」
はっきり頷いてから、邪神を見る。
邪神は、蠢き、低く唸っている。ただ、それだけ。
「お前も、ほんとは悪くないんだ。世界を滅ぼせる魔神器ってだけで。使用されなければ、こうなることもなかった」
強く、強く、拳を握る。
また、火花が、散り出す。
「……さあてっと!」
火花は無数に散り、体はまた放電状態と化す。
「世界とタイマン、始めますかっ!!」
そう。
これが俺の人生。
つい最近始まった、俺の生。
最高の仲間。最高の出会い。最高の命。
グランドフィナーレは世界とタイマン。
これ以上の人生が他にあるか?
他の誰が何と言おうと、あるはずがない。
だから、恨む必要なんてこれっぽっちもあるわけない。
あるのは、最高の感謝だけ。
そしてこれが最後の命。最後の生。
人生最後で、最高の終わり舞台。
ああ。もちろん。
タイマンなら世界だろうが運命だろうが。
絶対負けねぇ――!!




