栄光で終わり
少し間が空きました。すみません
松竹ロビンスこのチームの名前を聞いたことがあるだろうか?
このチームの前身は大東京軍。1936年創設の老舗だった。そして1950年2リーグ制始めてのセ・覇者となる。それも98勝は今でもセリーグ記録である。(1955年に南海が98勝で抜いたのでプロ野球記録ではない)この年はエース真田の39勝、小鶴はシーズン51本の当時の日本記録を打ち立てた。がしかし、田村駒と言う経営者は相当の赤字。なので巨大戦力を放出。一気にチームレベルは下がった。その為に1951年4位に。リーグの代表者会議でシーズン勝率3割を切った球団には処罰を決めるという申し合わせがされていた。その裏には、球団数が奇数で日程が組みにくいことから、下位の球団を整理する意図が含まれていた。その年の松竹ロビンス34勝84敗2分で勝率.288で3割をきる。赤字もあり、近鉄に身売りと言われる。だが一旦は来季も相続と発表。しかし、1953年初頭大洋水産と合併で合意球団名を大洋松竹ロビンスに。その短い球団歴に幕を閉じた。
松竹は東映に対抗するだけで球団を持ったため、野球に対する情熱は全く無かったため、1954年を最後に完全に手を引き大洋ホエールズに戻った。
次回は短すぎる高橋ユニオンズ編です