第37項 怒声の裏に隠された肉体のSOS。残暑の疲労、喉の荒れ、承認欲求の渇きを看破するプロの観察眼
第37項 怒声の裏に隠された肉体のSOS。残暑の疲労、喉の荒れ、承認欲求の渇きを看破するプロの観察眼
「ちょっと、聞いてるの!? アンタのせいで段取りが狂ったじゃない!」
「そうよ! だいたいアンタ、少しは気を利かせられないわけ!?」
控え室に、赤城と青山の金切り声が響き渡る。
二人の怒りの矛先は、ただ静かに立っている私――陽和に向けられていた。
「大体ね、こっちはいちいち素人の面倒まで見てられないのよ!」
「ほんっと信じられない。ただでさえ時間がないってのに!」
ヒステリックな罵詈雑言が次々と飛んでくる。
だが、私の耳には、彼女たちの言葉の『内容』はほとんど入っていなかった。
(……うるさい、とか、怖い、とかじゃないな)
私の観察眼は、二人の『肉体と神経の状態』を瞬時にスキャンし始めていた。
まるでレントゲンを撮るかのように、彼女たちの身体の奥底へと視線を巡らせていく。
まずは、目の前で顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている赤城さん。
(……叫ぶたびに、声が少しかすれてる。喉が荒れてるんだ。それに、顔の血色が少し黄色くくすんでる)
よく見ると、彼女は怒鳴り声を上げるたびに、ピクッと顔をしかめていた。
唇の端が切れているのを、無意識に気にしているのだ。
(原因は、9月の残暑による胃腸の慢性的な疲労……。冷たい飲み物などで胃腸が弱り、胃の熱が上に昇って、唇の乾燥と口内炎、さらには喉の荒れを引き起こしている)
身体のSOSが、明確に顔に出ている。
「ねえ、聞いてるの!? ボーッとしてんじゃないわよ!」
隣で同調して叫ぶ青山さんに、私は静かに視線を移した。
(青山さんは……首の胸鎖乳突筋が異常に張っていて、呼吸が浅い)
さらに気になるのは、彼女の目元だった。
怒りをぶつけているように見えて、パチパチと瞬きの回数が過剰に多いのだ。
(……極度のストレスと焦燥感による、自律神経の乱れ。交感神経が過緊張を起こして、リラックスの仕方を忘れてしまっている状態だ)
二人の状態を完全に把握した瞬間、私の中でストンと腑に落ちるものがあった。
(ああ、そっか)
私は小さく息を吐き出す。
(この人たちは、私に怒っているんじゃないんだ)
自分自身の体の不調。
そして、「誰かに認められたい」という承認欲求の渇きと、いつ芽が出るか分からない未来への不安。
それらに押し潰されそうで、どうしていいか分からなくて、ただ感情が暴走しているだけ。
祖父が仕切っていた厳しい芝居の現場を、私は幼い頃から見て育った。
そこでは、大人であるプロの俳優でさえ、プレッシャーに負けて裏方に理不尽な八つ当たりをすることは珍しくなかったのだ。
『陽和。怒鳴り声にビビるな。あれは自分自身への苛立ちだ。裏を返せば、助けてくれっていうSOSなんだよ』
生前の祖父の言葉が、脳裏に蘇る。
そう。
彼女たちの八つ当たりは、『悪意』ではない。
「……ちょっと、さっきから黙って! 何か言い訳くらいしたらどうなの!?」
赤城さんが、苛立ちを隠せないまま私を睨みつける。
「本当よ! 自分が何したか分かってるの!?」
青山さんも、浅い呼吸を荒らげながら追従した。
私は、焦ることも怯えることもなく、ただ静かに二人を見つめ返した。
ただの『SOS(助けてというサイン)』。
それが分かれば、どう対処すべきかはおのずと見えてくる。
彼女たちに必要なのは、反論でも言い訳でもなく、受け止める器だ。
「……申し訳ありませんでした」
私はまず、ゆっくりと頭を下げた。
深く、けれど決して媚びるわけではなく。
「ですが、お二人とも」
顔を上げた私の声は、ひどく落ち着いていたと思う。
赤城さんと青山さんが、私の態度に一瞬だけあっけにとられたように目を丸くした。
「ずいぶんと、お疲れではないですか?」
私は、彼女たちの身体が発する悲鳴を、プロとして静かに受け止めることにした。




