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第34項 結果よりも大切なもの。誰も怪我せず、役者が安全に魔法を信じきれたという裏方の最高の勲章

第34項 結果よりも大切なもの。誰も怪我せず、役者が安全に魔法を信じきれたという裏方の最高の勲章


チク、チク、と。

静かな保健室に、布を縫う小さな音だけが響いている。


ほつれた糸を直し終えた陽和は、アイロンのスイッチを入れ、仕上がった衣装のシワを丁寧に、シューッと音を立てて伸ばしていった。


(……昨日の結城くんたち、本当にかっこよかったな)


温かいアイロンの蒸気とともに、昨日の地区大会――薄暗い舞台袖から食い入るように見つめていた光景が、陽和の脳裏に鮮やかに蘇ってくる。


『いいか陽和。裏方にとっての最高の舞台っていうのはな』


ふと、幼い頃に祖父・日向源蔵から叩き込まれた教えが、耳の奥で懐かしく響いた。


『観客が、「裏方なんて存在しなかった」と完全に錯覚する舞台のことだ』


照明が切り替わるコンマ一秒のタイミング。

音響のフェードアウトの美しさ。

そして、役者の歩幅の乱れまで計算し尽くされた、ミリ単位の小道具の配置。


それらすべての歯車が、一秒の狂いもなく完璧に噛み合った時、舞台上には作り物ではない、『役者』という生き物だけが存在する、圧倒的にリアルな世界が立ち上がる。


昨日の星華芸術学園の六十分間は、まさにその『最高の舞台』だった。


(あんなに手が震えて、顔を真っ青にしてたのに)


陽和は、本番直前の控え室を思い出す。

極度のプレッシャーによる過覚醒でパニックを起こし、過呼吸一歩手前になっていた結城や下級生たち。


『もし本番で失敗したら』という未来の幻影に囚われていた彼らは、グラウンディングで足の裏から地球と繋がり、七十度に調整された緑茶のテアニンを口に含んだ瞬間、確かに『今、ここ』へと帰還した。


そして本番では、その直前のパニックが嘘だったかのように、堂々と、そして生命力に満ち溢れた圧倒的な演技を見せてくれたのだ。


「私が彼らを落ち着かせたのに」

「私が仕込みの十分間を完璧に指示したから、一位で勝てたのに」


普通の高校生であれば、当然そう主張したくなるだろう。

自分の手柄を声高にアピールし、少しでもスポットライトの当たる場所へ近づきたいと願うはずだ。

先ほど東雲が呆れていたのも、陽和のその『承認欲求の異常なまでの欠如』に対してだった。


しかし、陽和の心の中には、そもそも「自分の手柄を誇示したい」という発想の引き出し自体が、ぽっかりと存在していない。


(みんなが、無事でよかった。……誰一人怪我をしないで、最後まで魔法を信じきってくれた)


陽和にとって、結果や順位は二の次だ。

自分が裏から密かに組み上げた、ミリ単位の安全な空間(結界)。

その絶対的な安心感の中で、仲間たちが誰よりもしっかりと深い呼吸をし、まばゆい光を浴びて輝いていた。


その奇跡のような姿を、一番近くの特等席――舞台袖の真っ暗なパンチカーペットの上から、誰にも邪魔されずに見守ることができた。


その事実だけが、陽和の胸を温かく満たす『最高の勲章』なのだ。


「……よし、綺麗になった」


陽和は、シワ一つなく仕上がった衣装をハンガーに掛け、その襟元を我が子を労わるように優しく撫でた。


「お疲れ様。また次の舞台も、みんなを守ってあげてね」


誰にも聞かれることのない独り言を呟きながら、陽和は愛おしそうに、ふにゃりと微笑む。


スポットライトの当たらない日陰の場所で、承認欲求も名誉も求めず、ただ純粋な無自覚の愛だけで演劇部を支え続ける少女。

彼女の胸の中は、どんな金色のトロフィーよりも美しく、優しい光で満たされていた。

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