第26項 未来の失敗という幻影。「過覚醒」に陥り頭が真っ白になる演者たちのパニック
第26項 未来の失敗という幻影。「過覚醒」に陥り頭が真っ白になる演者たちのパニック
「……おい、最初のシーン、俺、どこからだっけ?」
「え、何言ってんの、結城のあとでしょ!?」
星華芸術学園の出番まで、あと三十分。
控え室の空気は、張り詰めた糸が今にも切れそうなほど、限界まで膨れ上がっていた。
「わかんない、わかんないよ……! 頭が真っ白で……!」
「落ち着け! 深呼吸しろ!」
さっきまで、完璧なタイミングでセリフを掛け合い、スムーズな動きを見せていたはずの生徒たちの動きが、突然、ロボットのように不自然にギクシャクし始めていた。
極度のプレッシャーが引き起こす、『過覚醒』という状態だ。
脳のアーモンド形の器官である扁桃体が、生命の危機を感じて異常なアラートを発し続ける。
「もし、本番の暗転中に転んでしまったら?」
「もし、審査員の前で、一番の見せ場のセリフが飛んでしまったら?」
彼らの脳内は、目の前の現実ではなく、『まだ起きていない未来の失敗』という強烈な幻影に完全に支配されてしまっているのだ。
「やばい、手が震えて、止まらない……」
「私、衣装のホック、ちゃんと留めたよね……? 留まってない気がする……っ」
あの昼下がり、保健室で陽和に救済され、役との境界線を確立した神谷と、ピンク色の特効薬で声枯れとパニックを克服した結城だけは、なんとか自我を保ち、静かに目を閉じて呼吸を整えている。
しかし、他の多くの一、二年生のキャストたちは、次々と過覚醒のパニックに飲み込まれていった。
「どうしよう、どうしよう……っ」
一人から発せられた恐怖と焦燥の波紋が、伝染病のように、狭い控え室の中の演劇部全体へと、あっという間に広がっていく。
「ちょっと、あんたたち! しっかりしなさいよ!」
その光景を見て、ヒロイン候補である星野瑠璃の取り巻き、赤城と青山がヒステリックに怒鳴り散らした。
彼女たち自身も、プレッシャーで顔を青ざめさせているが、下級生に当たり散らすことで、なんとか自分を保とうとしているのだ。
「星華の代表として、恥を晒す気!? あんたたちが失敗したら、瑠璃さんの一年間が台無しになるのよ!」
「そうよ! 気合入れなさいよ、根性なし!」
しかし。
過覚醒状態でパニックを起こしている脳に対して、そんな理不尽な叱責やプレッシャーは、火に油を注ぐだけの全くの逆効果だ。
「ヒッ……!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
赤城と青山の怒声に怯えた生徒たちの呼吸は、さらに浅く、速く、過呼吸の一歩手前までヒューヒューと鳴り始めた。
「……っ」
これ以上、こんなパニック状態が続けば、彼らは確実に、本番で致命的なミス――セリフを飛ばすか、足をもつれさせてセットを壊す――を犯す。
それは、演出家である黒田でさえ気づいていない、演劇部全体を覆う破滅の予兆だった。
「……あーあ。これはマズいわね」
そんな、誰もが自我を失いかけている狂乱の控え室の片隅で。
陽和だけは、ワーク・ウェアのポケットに両手を突っ込み、困ったようにふにゃりと眉を下げていた。




