第18項 暴走する感情とフラッシュバック。稽古場から逃亡した彼が求めた、静寂なる避難所
第18項 暴走する感情とフラッシュバック。稽古場から逃亡した彼が求めた、静寂なる避難所
「だから俺は、奪うんだよ……! 俺からすべてを奪った、このクソみたいな世界を……っ!」
その日の午後、第一稽古場での通し稽古。
地区大会本番を目前に控えた空気が最も張り詰める中、神谷が主人公に対して長台詞で「この世の不条理」を叫び、復讐の刃を向ける、劇のクライマックスシーン。
神谷は、自分が発したそのセリフをきっかけに、完全に自分を見失った。
(奪う……そうだ、俺も……あの日……)
神谷が叫んだ瞬間、彼の脳内で、役が背負う凄惨なトラウマと、神谷自身の過去の嫌な記憶――信じていた友人に裏切られたときの、ドロドロとした怒りと悲しみが、ショートしたように結びついてしまったのだ。
『トリガー』が引かれた瞬間だった。
神谷の理性が、完全にコントロールを失う。
役の持つ強烈な殺意と、それに伴うどうしようもない悲しみが、津波のように神谷の自我を完全に飲み込んだ。
「――あぁぁぁああああっ!!」
台詞は、意味をなさない絶叫へと変わった。
神谷は手から小道具のナイフを取り落とし、そのまま舞台上に崩れ落ちる。
「違う、やめろ、俺じゃない! 許してくれ、頼むから!」
台本には全くない言葉を叫びながら、頭を力任せにかきむしり、過呼吸を起こしてガタガタと震え始めた。
彼の瞳孔は開き、目の前にいる主人公役の生徒ではなく、見えない過去の亡霊に怯えるように虚空を睨みつけている。
「おい、いいぞ神谷! 狂気が乗ってて最高だ! そのまま続けろ、芝居を止めるな!」
演出家の黒田は、興奮して手を叩き、見当違いな賞賛を送った。
彼は、神谷が完全にパニックを起こしていることなど露知らず、「リアルな演技を引き出した自分の指導力」に酔いしれていた。
しかし、周囲の生徒たちは違った。
「ヒッ……」
「神谷くん、ちょっと様子がおかしいよ……」
彼らは、神谷の異常な錯乱状態に完全にドン引きし、誰も彼に触れようとはしなかった。
実力至上主義のこの学園で、役に入り込みすぎて壊れてしまった人間に関わることは、自分の足を引っ張るリスクでしかないからだ。
「ハァッ……ハァッ……」
限界を迎えた神谷は、過呼吸で胸を激しく上下させながら、這うようにして立ち上がり、そのまま稽古場を飛び出した。
「おい神谷! どこへ行く!」
黒田の怒声が背中に浴びせられるが、神谷にはもう何も聞こえていない。
彼は、とにかく明るく騒がしい場所から逃げ出したかった。
足がもつれ、何度も転びそうになりながら、薄暗い旧校舎の廊下を這うように進む。
神谷が本能的に求めたのは、誰の視線もない、一切の感情を強要されない、完全なる『静寂』の空間だった。
「……あ……う……」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、神谷は薄暗い廊下の突き当たりにある、静かな部屋のドアにすがりついた。




