第13項 消え去った痛みと戻ってきた声。絶望の淵から結城を救い上げた、魔法のような一杯
第13項 消え去った痛みと戻ってきた声。絶望の淵から結城を救い上げた、魔法のような一杯
「あ、あの……これ……」
結城は、手の中に押し付けられた保温ボトルを呆然と見つめたまま、その場に立ち尽くしていた。
「今日、すごく乾燥してますね。さっきお茶を淹れすぎちゃって……よかったら、喉の乾燥対策にどうぞ」
陽和は、ふわりと柔らかく笑い、振り向くこともなく廊下の角を曲がって消えていった。
結城の手の中にあるボトルは、熱くもなく、かといって冷たくもなく、ただ人肌のような不思議な温もりを帯びている。
結城は、陽和の後ろ姿が見えなくなった廊下で、顔をしかめてボトルを握り直した。
(なんだよこれ。裏方専攻のあいつ、なんで俺に……)
「裏方の淹れた怪しいお茶なんて飲めるかよ」と、一瞬はゴミ箱に捨てようかとも思った。
しかし、結城の喉は、今も鋭いガラス片で引っ掻かれているように焼け付くように痛み、唾液すら満足に飲み込めない状態だ。
そして何より、ボトルの蓋の隙間から微かに漏れ出す、カモミールの甘さと蜂蜜の香りが、結城の強張った神経を強烈に誘惑していた。
結城は周囲を素早く見回し、誰もいないことを確認すると、誘惑に抗えずにボトルの蓋を開けた。
「……なんだこれ、ピンク色……?」
中に入っていたのは、夜明けの空のような、鮮やかで不思議なピンク色の液体だった。
結城は、恐る恐るその液体を口に含んだ。
「――っ!?」
その瞬間、結城は驚きのあまり目を見開いた。
体温と全く同じ、三十六・五度に調整された液体は、炎症を起こして過敏になっている喉を通過する際、何の引っかかりも、熱さも冷たさも感じさせなかった。
まるで、最初から自分の体液の一部であったかのように、スッと抵抗なく粘膜の奥へと吸い込まれていく。
そして、液体の正体――マロウブルーから溶け出した豊富な粘液質と純粋蜂蜜が、荒れ狂っていた声帯と咽頭を、分厚く、そして極めて優しくコーティングし始めた。
カモミールの鎮静成分がダイレクトに患部に浸透し、針で刺されるような痛みが、文字通り「スーッ」と波が引くように消え去っていく生々しい感覚。
「あ……」
同時に、微量にブレンドされたペパーミントの清涼感が鼻腔を抜け、極度のプレッシャーでパニックになりかけ、浅く肩で息をしていた結城の呼吸が、自然と深く、長く、腹の底まで届くようになる。
酸素が肺の奥底まで行き渡り、強張っていた肩の力が、憑き物が落ちたように抜け落ちた。
結城は、恐る恐る、声帯を震わせてみる。
「……あ、あー。……俺のセリフは、ここで……」
朝の、あの絶望的な掠れと鋭い痛みが、嘘のようだった。
滑らかで、芯のある、艶やかな声が廊下に響く。
声帯が、完璧に、いや、普段よりもさらに良い状態で機能している。
「嘘だろ……治った……声が、出る……っ」
結城は、手の中のボトルを両手で強く握りしめた。
準主役というプレッシャーと、声が出なくなるかもしれないという絶望の淵から、名前もよく知らない裏方の少女が手渡した、たった一杯のピンク色のお茶が、自分を掬い上げてくれたのだ。
「……ありがとう。本当に、ありがとう……」
結城は、廊下の隅で壁に手をつき、安堵のあまりポロポロと大粒の涙をこぼした。
彼には、陽和がどれほどの狂気的な計算と知識を持ってこのお茶をブレンドし、温度を調整し、そして自分のプライドを守るために「乾燥対策」と嘘をついてくれたのか、知る由もない。
ただ、この一杯の温もりが、間違いなく自分の『舞台での命』を救ってくれたことだけは、骨の髄まで理解していた。




