第11項 青の魔法と未病の哲学。マロウブルーとカモミールが織りなす、喉を救う究極のブレンド
第11項 青の魔法と未病の哲学。マロウブルーとカモミールが織りなす、喉を救う究極のブレンド
「乾燥してますね。どうぞ」
肩を叩かれた結城が、ヒューというかすれた息を漏らして振り返る。
そこには、大量の衣装と小道具のリストを抱えていたはずの、ワーク・ウェア姿の少女――日向陽和が立っていた。
彼女の目は結城を真っ直ぐに捉えており、その手には、湯気一つ立っていない保温ボトルが握られていた。
実は陽和は、結城とすれ違った直後、抱えていた荷物を保健室の机に放り投げ、一切の迷いなく再び給湯室へと踵を返していたのだ。
(あの歩き方と呼吸……。このままじゃ、彼は今日の通し稽古で喉を完全に潰して、本番に間に合わない)
陽和の行動原理は、東洋医学、いわゆる漢方における『未病』の考え方に完全に基づいている。
病気になってから(役者が倒れてから)手当をするのは、ただの医者や救急箱の役目だ。
倒れる一歩手前で原因を絶ち、完璧なコンディションに引き戻すことこそが、彼女の『プロの裏方』としての矜持であった。
陽和は給湯室に戻るなり、ずらりと並んだガラス瓶の中から、迷わず一つの瓶を取り出していた。
中に入っているのは、鮮やかな青色をした乾燥花――『マロウブルー(ウスベニアオイ)』。
マロウブルーは、お湯を注ぐと花から豊富な粘液質が溶け出す。
それが、乾燥と酷使で荒れ果てた喉の粘膜を物理的に優しくコーティングし、痛みを鎮める特効薬となるハーブだ。
陽和は、先ほど淹れたばかりのカモミールとペパーミントのベースに、そのマロウブルーを惜しげもなく投入する。
極度のプレッシャーによる神経の強張りを解きほぐす『ジャーマンカモミール』。
気道を広げて、パニックになりかけた浅い呼吸を深くさせるための『ペパーミント』をごく微量。
そこへ、喉の炎症を直接抑える『マロウブルー』。
ガラスのティーポットに熱湯を注ぐと、ポットの中は一瞬にして、深い夜明け前のような、神秘的で美しいブルーに染まった。
陽和は、手早くレモンの果汁をほんの一滴だけ絞る。
すると、ブルーだった液体が、酸性のレモンと化学反応を起こし、一瞬にして鮮やかな夜明けのピンク色へと魔法のように変化したのだ。
(よし。これなら、見た目でもリラックス効果を与えられる)
そして仕上げに、殺菌作用と保湿力の高い、非加熱の純粋蜂蜜をたっぷりと溶かし込む。
この蜂蜜の粘度が、マロウブルーの薬効成分を喉に長く留まらせる、完璧な『飲むのど飴』を完成させる。
すべては、結城とすれ違ってから、わずか数十秒の間の出来事だった。
そして今、陽和は結城の目の前に立って、その『飲む劇薬』が入った保温ボトルのキャップ(小さなコップ)を差し出している。
「これ、なん、で……」
結城は、声にならない声で陽和の手の中にあるピンク色の液体を見つめた。
自分が喉を痛めていることなど、誰にも言っていない。
それなのに、目の前の裏方の少女は、まるで心の中を透視したかのように、自分に「特効薬」を差し出している。
「あの、これ……」
「乾燥してますね。どうぞ」
陽和は、結城の喉の不調を指摘することはしなかった。
「喉が痛いんでしょ?」などと指摘すれば、彼のプライドを傷つけ、余計にパニックにさせてしまうと分かっていたからだ。
ただ、「乾燥している気候だから、予防のためにどうぞ」という、誰も傷つけない、完璧な逃げ道を用意して、そのピンク色の一杯を微笑みながら手渡したのだった。




