第10項 極度のプレッシャーが引き起こす喉の炎症。俳優科・結城を襲う「声が出ない」という恐怖
第10項 極度のプレッシャーが引き起こす喉の炎症。俳優科・結城を襲う「声が出ない」という恐怖
(だから俺がここで――違う、もっと間を置いてからだ!)
結城は、旧校舎の壁に向かって台本を握り締め、早口でセリフを反芻していた。
しかし、頭の中は「地区大会で失敗したらどうしよう」「俺の演技で、演劇部の足を引っ張ってはいけない」という、強迫観念とも呼べる焦燥感で完全に埋め尽くされている。
準主役という、重すぎるプレッシャー。
星華芸術学園において、地区大会での敗退は「演劇部員としての死」に等しい。
ここで結果を出さなければ、俺の高校生活は終わる。
(……痛っ、)
結城は、また無意識に小さく咳払いをした。
今朝起きた時から、喉の奥に細かいガラス片が引っかかっているような、鋭い痛みを感じていたのだ。
秋特有の乾燥した空気と、連日の深夜に及ぶ自主練での喉の酷使。
そして何より、プレッシャーとストレスによる極度の睡眠不足が、結城の免疫力を著しく低下させ、急性咽頭炎の初期症状を引き起こしていた。
(まずい……このままじゃ、今日の通し稽古で絶対に声が飛ぶ)
演劇において、「声が出ない」ということは、文字通り『舞台上での死』を意味する。
マイクを使わない高校演劇では、生声の反響だけで、巨大なホールの最後列までセリフの感情を届ける必要があるからだ。
もし、本番の静寂の中で声が掠れたら。
一番見せ場の長台詞で、声が裏返ってしまったら。
その想像だけで、結城の背筋は凍りつき、手足がガタガタと震え出した。
「おい結城、お前顔色悪いぞ。大丈夫か?」
通りかかった同じ俳優科の先輩が、怪訝な顔で声をかけてきた。
「っ……いえ! 大丈夫です、ちょっと気合い入れ直してただけなんで!」
結城は、無理やり引き攣った笑顔を作り、喉の痛みを押し殺して張りのある声で答えた。
(言えるわけがない。「喉が痛くて声が出ません」なんて)
実力至上主義の星華芸術学園において、「本番前に体調管理ができていない」ことは、それだけでプロ失格の烙印を押されることを意味する。
もし喉の不調を申告すれば、最悪の場合、即座に代役を立てられ、自分の出番は永遠に失われるかもしれない。
結城は、誰にも喉の痛みを相談できず、ポケットに忍ばせていた市販の安いのど飴を口に放り込み、ガリッと噛み砕いた。
強烈なミントの香料で、無理やり痛みを誤魔化そうとする。
しかし、それが逆効果だった。
(あ、ダメだ……っ)
のど飴の刺激が、炎症を起こしかけている喉の粘膜を直接焼くように刺激したのだ。
結城は、さらにセリフを呟こうとして息を吸い込む。
「っ……あ……」
空気が乾燥した廊下では、息を吸い込むだけで喉が焼け付くように痛み、ヒューッという情けない音が漏れた。
(声が、出ない……)
結城の呼吸はさらに浅くなり、過呼吸の一歩手前のようなパニック状態に陥りかける。
誰も助けてくれない。
このままでは、通し稽古の第一声すら発することができない。
(どうしよう、どうしよう、俺、降ろされる……っ!)
結城が壁に手をつき、絶望に顔を歪めた、その時だった。
「乾燥してますね。どうぞ」
ポン、と。
結城の肩を軽く叩く手と、鈴が転がるような、凪いだ声が耳元に落ちた。




