1話 最後の一本。
1話 最後の一本。
――あたしは頑張って生きた。精一杯生きた。だから、泣くな、砦。
「――ダメだ、逝くなぁぁあ! トコォ!!」
すがるように右手を天に伸ばしながら、砦才悟は飛び起きた。
数多の地獄と深淵を覗いてきた、その眼光鋭い瞳から、弱虫の涙があふれていた。
「……はぁ……はぁ……」
あまりにも胸が苦しくて、砦は奥歯をかみしめながら、
「くそったれが……夢なんか、見てんじゃねぇ」
世界を睨みつける。
――ここは、生まれ育った実家の自室。
決して高級品ではないが、ぬくぬくと温かいベッド。
窓から差し込む朝日。
本来ならば、何も恐れる事はない、守られた世界――
砦はベッドから起き上がり、机の上に置いてある袋に手を伸ばした。
「ついに、あと一つ……」
袋の中をのぞくと、そこには『銀色の鍵』が一本だけ入っている。
百本あった鍵も、残りはたった一本。
「やっと、ここまできた……ぁあ、長かったな……」
★
take99
――2015年。五月。快晴――
時空ヶ丘学園は、敷地面積が、ちょっとした香川県よりも広い幼小中高大一貫の超々マンモス学校。
砦がこの無駄にでかいだけの高校を選んだ理由はただ一つ。
『薬宮トコ(くすりのみや とこ)』に出会ったから。
出会ったといっても、その実は、
『ただ道ですれ違った』だけ。
ようは純粋な一目ぼれ。
(全国的有名人、時空ヶ丘のスーパー金持ち美少女シスターズ。小学生の時から、噂では耳にしていたが、中二の春、初めて本物に会った時、俺の心臓は撃ち抜かれた)
世紀の大富豪『紅院家』の超お嬢様で超美少女『紅院 美麗』と、
世界一位の製薬会社のご令嬢『薬宮 とこ(くすりのみや とこ)』。
(紅院は確かに圧倒的な美少女だ……が、俺はトコただ一人に全力で惹かれた)
登校途中で、
砦は、トコと初めて会った時の事を思い出していた。
(一目ぼれなんざ、所詮はただの勘違いだから、いつか醒めてしまうかもしれない……なんて事を思っていた時期もあったが、『200年』経った今、俺はハッキリと断言できる。俺は今でも……いや、初めて出会った時の何倍も、俺はトコを愛している)
この200年間――砦は、トコの事だけを想い続けてきた。
トコを守る。
そのためだけに、砦は、200年を駆け抜けてきた。
(必ず救う……絶対に死なせない)
ギリっと奥歯をかみしめる。
その一挙手一投足から滲み出る狂気。
真一文字に閉じられた口。
スっと伸びた背筋。
まるで、剣を極めた達人のような佇まい。
★
砦は、自分の教室に入ってすぐ、窓際の後ろに視線を向けた。
そこでは、とびっきり派手で華やかな『三人組』が井戸端会議をしていた。
「ミレー、珍しいなぁ。あんたが遅刻してへんとか、どんな奇跡?」
「トコ。私は生まれてこの方、遅刻なんてしたことないわ」
赤富士が施された京扇子で口元を隠し、尊大な態度でふんぞり返っている赤髪ロングの長身美少女『紅院美麗』。
そして、そんな紅院に辟易している金髪ツインテールの小柄な超美少女『薬宮トコ』。
紅院は、キリっとした釣り目が特徴的な、いわゆるキツネ顔のキツい美人。
『とんでもない小顔』で『完璧なモデル体形』と見た目は完璧だが、いかんせん、天上天下唯我独尊の『スーパー金持ちオーラ』が濃厚すぎるため、周囲の男で、彼女に近づこうとする者は皆無。
紅院よりも、さらに『面倒くさそうな美少女感』で包まれているのが薬宮トコだった。
身長は152センチと小柄で、顔つきも、いわゆる子犬顔で非常に愛らしいのだが、いつ如何なる時でも強めに放出されている『不機嫌オーラ』が、彼女の小動物的な愛らしさを完全に封殺している。
――そんな紅院とトコの会話を、すぐ隣で聞いていた、二人の数少ない友人である『黒木 学美』がボソっと、
「美麗さん。どの口が言っているのですか。あなた、中学の時、『紅院が遅刻しない日はヤリがホールインワンする』とまで言われていたほどのクソ遅刻魔じゃないですか」
黒木は、紅院とトコには劣るものの、非常に整った顔立ちをしているクールビューティー。黒髪のポニーテールで、黒ブチのメガネをかけている、利発的な美少女。学力全国トップクラスの才女であり、かつ、世界的に有名な超巨大病院を経営している理事長兼超名医の一人娘という事もあって、その近づき難さは、ある意味でトコ達以上の美少女。
そんな黒木の発言を受けた紅院は、ドンと尊大に胸を張り、
「学美、よく聞きなさい。この世は金が全てよ。皆勤賞だって金で買える。そう! それがこの世界の真理なの!」
深紅のパッツン前髪を指でなぞりながら高らかに宣言する彼女の顔を横目に、
トコは、呆れ顔で、ぽりぽりと頬をかきながら、
「ほんまに金の力を使ぉて、遅刻回数をゼロにして皆勤賞もらうアホは、この世であんたくらいやと思うで」
トコの、柔らかな金に輝くツインテールがヘニャリと垂れた。
「卒業式にも思いっきり遅刻してきたくせに、ちゃっかり皆勤賞もらっとる姿を見た時は、普通に爆笑してもうたわ」
「卒業式だっていうのに、みんな、笑っていましたよね。教師全員が浮かべていた『もう好きにしてくれ』って感じの苦笑いは今でも鮮明に覚えています」
呆れ顔の二人に対し、紅院は、さらにフンスとふんぞり返って、
雅な扇子を無意味にバサっと翻しながら、
「ふっ、世界が私に嫉妬する。賛美の声は聞き飽きたわ」
「誰も褒めてへん」
トコの、くっきりとしたアーモンド形の双眸が、呆れに圧されて、半眼へと歪む。
その鮮やかなブルーの瞳に射す影を見つめながら、紅院は、
「はぁ? この紅院美麗という絶世にして完璧な美少女を誰も褒めない? ははっ、ありえないわね。トコ、よく聞きなさい。私を前にした者は、脊髄反射的に跪いてしまうものなの。そして、この世界一の完璧な美を称えてしまうものなのよ」
「世界一の美て……あんた、中学の時のガチ美少女ランキングであたしに勝った事ないやん」
「ロリコン大国日本のバカ男なんて眼中にないから、どうでもいいわ。ウルトラスタイリッシュゴッデスの私ではなく、小柄のトコに票が集まってしまうのは、ただのお国柄。『アフリカでは太っているのが美の象徴』みたいなものよ。良かったわね、ロリ体型で」
「誰がロリ体型やねん。あたしの身長は、全体平均より3センチ低いだけや」
「ふふん。私は平均より十五センチも上なのよ? つまり、トコとの差は十八センチ。これは、決して抗えない決定的な差と言わざるをえないわね。さあ、死んで詫びなさい」
「死ななアカン理由も、詫びなアカン理由も、何一つとして分からへん。あんた、どういうルールの世界で生きとんの?」
「紅院美麗は究極の女神。それがこの世界のルールよ」
「あかん、こいつ発狂しとる」
「どうして、こんなになるまで放っておいたのですか、トコさん」
黒木の、深い夜を切り取ったような漆黒のポニテがシュンとうなだれた。悲哀に濡れた両眼は、やや釣り気味で、長いまつ毛に埋まってしまいそうな、気品を感じさせる奥二重。
「あたしはパーフェクトな美少女やけど、神ではないっちゅうこっちゃ」
「いいお薬ありませんか? トコさんの会社がその気になれば――」
「マナミ、諦めぇ! ミレーはもうアカン……捨てていこう」
「そ、そんな……」
およよ、と両手で顔を隠す黒木の肩に、
ポンと手を置いた紅院が、フンスと胸を張って、
「学美。何がそんなに悲しいのか知らないけれど、とりあえず涙をふきなさい。大丈夫。ここには、私がいる。私の美しさの前では、どんな苦しみも悲しみも裸足で逃げ出すわ」
「……へこたれへんやっちゃなぁ……」
「まあ、美麗さんは、人の話なんて、大人しいセミの鳴き声ぐらいにしか思っていない人ですから、仕方ありません」
「ほんま、ミレーくらいやで。イカレ方で『コレ』に匹敵すんの」
そこで、トコは、背後に視線を向けた。
彼女達の背後、掃除ロッカーの前では、ガッツリと布団を敷き、キッチリとアイマスクを装着し、枕元に加湿器まで置いて、スヤスヤと眠っている美少女がいた。
「……『ソレ』と比べられると、流石にショックなのだけれど」
「はははっ! 流石のミレーも、『ツミカ』と同列扱いはイヤなんやな」
「私は調子に乗っているだけ。ガチ中のガチの『罪華』と一緒にされたら堪らないわ」
「……調子こいとる自覚はあったんやな……」
「罪華さん、そろそろ始業ベルがなりますよぉ。起きてくださぁい」
「ほっとけ、ほっとけ。またオバセン(担任・小場先生)にシバかれたらええねん」
スヤスヤと眠っている彼女『茶柱 罪華』は、祖父が総理経験者で父親が現総務大臣という、紛う事なき華麗なる超名家に生まれたスーパーお嬢様。
――だというのに、ノリがいいだけの紅院美麗とは違い、本格的にラリっている事でその名を轟かせているサイコパス系美少女。
エアリーウェーブで軽やかに仕上がっている鎖骨ミディの緑髪。
今は隠れているが、非常にパッチリとした、愛され垂れ目で、
ホンワカした顔つきの、見た目だけはユルフワ天使系美少女。
ただ、性格に、大いなる問題を抱えているため、『男子から敬遠されている女生徒ランキング』で常にぶっちぎりのトップを獲得している変態美少女。
――紅院。薬宮。黒木。茶柱。そして、数ヶ月前に『殺されてしまった』もう一人。
五人合わせて時空ヶ丘のK5と呼ばれている、『圧倒的な美貌』と『やんごとなきバックボーン』を誇る少女達(K5の表向きな意味は、華麗なる五人。本当の意味はキ○ガイ5)。
――そんな彼女たちの様子を、深い慈愛に溢れた目で見つめている砦。
体感時間での200年前、『彼女達と出会ったばかり』だった『take0(一度もタイムリープしていない世界線)』の頃は、
彼女達の、溢れ出る天上人オーラに、ただただ圧倒されるばかりで、
『無邪気な嫉妬』や『無意味な劣等感』を含んだ視線を送る事しか出来なかった、
――が、今となっては、
(もう何も心配しなくていい。安心しろ……俺が、全ての絶望を殺してやる)
その感情は、もはや、『恐怖に震えている我が子』を必死で守らんとしている無償の父性愛。
(さて……行くか)
砦は、最初の一歩を踏み出す。
――彼女達の元へと歩み寄り、
「……薬宮、話がある。悪いが、ついて来てくれないか?」
その、『異常』と言わざるを得ない奇行に、クラス全体がザワっとした。
紅院達が『溜まり場』にしている窓際一番奥のスペースは、
クラスメイト達にとって、絶対的な不可侵領域。
いわゆる神域・聖域であり、『決して近づくべからず』は、
このクラスにおける、成文化されていないだけの、厳格な暗黙の了解。
その重い不文律を破った男に、クラスメイト全員の視線が集まる。
どこにでもいそうな中肉中背の黒髪短髪。
飛びぬけて優れた資質を持つわけでも、
誰もが平伏すバックボーンがある訳でもない。
どこからどう見てもモブでしかない一般男子。
//度を越した達人の雰囲気は、同じ領域に立たなければ掴めない。
人という枠から大きく逸脱してしまった砦才悟という超人の、
研ぎ澄まされた静寂のオーラに気づけるような者など、ここにはいない//
ゆえに、だから、砦の耳に、凡夫共の『お門違いな声』が届く。
『おいおい、やめとけ』
『K5には近づくな』
『つか、誰?』
『あのぼっち、名前なんだっけ?』
『知らん』
『確か……鳥田?』
『身の程知らず』
『紅院のオヤジに消されるぞ』。
そんな有象無象共の声は無視して、砦は、トコの目をジっと見つめている。
彼女を見つめる時、どうしても、砦は、
その眼光に宿る狂気の表徴を緩めてしまう。
ゆえに、トコの目に映る砦も、やはり、完全なるパンピー。
どこにでもいるモブ男。
「………………」
トコは、五秒ほど、砦という男を観察してから、
「背景の分際で誰に声かけてんねん。身の程をわきまえぇ」
とことんまで小馬鹿にした嘲笑。
虫を見下す目。
薬宮トコという女が、自分に近づいてくる男子に対して見せるデフォルトの態度。
そんな彼女の隣で尊大にふんぞり返っている紅院が、
折りたたんだ扇子の先を、ビシっと砦に向けて、
「そこの薄汚いモブ男。トコに告白する気なら、私に話を通してからにしてもらおうかしら」
その発言に対して、トコが間髪いれず、
「なんで、あんたに一声かけなあかんねん」
「妹に近づく男を見定めるのも姉の役目。それだけの話よ」
「誰が妹や。勝手に親族にすな」
「十年以上同じ家で暮らしてきたのだから、ほとんど姉妹みたいなものじゃない。なんだかんだで、血だって、そろそろ繋がっているはずだわ」
「なに、猟奇的な事言うてんねん。見てみぃ、この鳥肌。どないしてくれんねん」
トコは、五歳の頃に両親を亡くしており、かつ、当時の周囲にいたのは、彼女の存在を消して会社だけを奪おうとするゴミばかりだった。
――そんな絶望的状況に陥ったトコに救いの手を差し伸べたのが、薬宮家と戦前から付き合いのある紅院家だった。
結果的には、吸収されるという形になったし、
現時点での経営は、紅院の手の者が行っているが、
今でも、会社の実質的な権利は、トコにある。
それは、紅院家の判断ではなく、
ミレーの、彼女に対する愛情から。
紅院家の方針としては、
薬宮の会社を完全に奪い取る気でいたのだが、
ミレーが、とんでもない勢いでゴネたため、
トコの権利は、完璧に守られることになった。
『トコから全てを奪い取って得る【ちょっとした利益】と【紅院美麗の本気の怒り】……どっちを取るか、真剣に考えて決めなさい。私を子供だと思ってナメてかかるなら、それでもいい。ただし、私は、私を本気で怒らせた人間の名前を決して忘れない。私をナメたツケは必ず払ってもらう。私が大人になった時、あなたたちの居場所が、紅院家にあると決して思うな』
かなりのゴタゴタがあったものの、
結果的には、『最終的に紅院家の実権を握ることが確定しているミレー』の『本気の願い』を無碍に切って『ガチンコで怒らせる』よりも、薬宮の会社をそのまま残して内部に抱えるという形にした方が、結果的には、紅院家としても益がある――という判断が下された。
「付き合いが古いんは認めるけど、所詮は、それだけやがな。てか、何で、ナチュラルにあたしが妹になっとんの? 生まれた時間でいえば、あたしの方が二十六日早いねんけど」
「ふっ」
「なに、わろてんねん」
「私が誰かの下になるということは、血縁関係においてもありえないの」
「また、アホがドえらいこと言いだしよったで。ほな、親の事はどう思っとん――」
「つまりは、トコがなんと言おうと、あなたは私の妹と言うことよ」
「人の話も、ちょっとは聞かんかい。ほんま、イカレとんな自分」
砦をガン無視&放置して、仲良くペチャクチャとお喋りを続けている二人に、
――砦は、
「――『携帯ドラゴン』について、話したい事がある」
「「「……」」」
砦が発した『携帯ドラゴン』という単語を耳にした途端、紅院達はピタっと黙った。
空気がピリっと、わずかに熱くヒリついた。
彼女達の表情が、剣呑と懐疑に染まっていく。
それまでの、『立場をわきまえていない虫を見るような目』とは違う、
窺うような、探るような、覗きこむような鋭い視線。
「――にゃんだか、罪華さんが眠っている間に、面白そうな展開になっているにゃぁ」
ふいに、茶柱罪華がムクっと上半身を起こして、優雅な仕草で、スっとアイマスクを外した。
パッチリとした垂れ目が砦を捉える。
「トコてぃんだけじゃなく、全員で話を聞くべきなんじゃないかにゃぁ、と罪華さんなんかは思うのだけれど、そのへん、君的には、どうかにゃ?」
「いや、薬宮だけに話したい事がある。頼む。ついてきてくれ」
そう言って、砦はトコの目をジっと見つめた。
まっすぐな視線。
その、どこまでも真摯で生真面目な姿を見たトコは、
「まあ、ええやろ」
スっと立ち上がり、
「で、どこで話したいん?」
「人目につかない場所……体育館の裏なんかがいい」
「めちゃめちゃ告白臭が漂っとるけど……そういう話やないんやろ?」
「ああ」
砦の、射抜くような視線を受けて、トコは、諸々を少しだけ考えたが、
「OK。ほな、行こか」




