臆怯(おくきょう)
冒頭 私の人生には何も無い、これからもきっと何も無いだろう。あるとすれば時間くらいのものだ、何を成す訳でもない、人に羨まれることもない、ただ孤独に日々を過ごすのであろう。なぜ今の今までの人生で何も無いと言えるのか経緯を話そう。
私は青森の西目屋村の北東の方に生まれた。当初近くに産婦人科がなくわざわざ家まで来てもらって、そこで出産を迎えた。体重は3000gもない小さく軽い赤子だったと聞いている。最初はうんと苦労したそうだ、些細なことで叫ぶ、泣く、暴れるとんでもないクソ餓鬼なもので親に苦労をかけた、別に申し訳ないとは思っていない。月日は流れ物心付く頃だ、私は早い方で1歳後半で物心が付いた、その頃の覚えている景色とすれば和室の天井だ、不気味な柄の木材の天井、所々顔に見える、どこまでも離れていて届きそうにもないものだ、そこで母親の顔が覗き込む、色白のくせ優しく温かさのある笑顔だ、先程見た天井とはまるで違う、私を抱きかかえて、あやしていた。そうだ私は天井の柄が怖くて泣いていたのだ、自分であると思ってさえ子供は可愛いものだ。そして母は「どうして突然泣いたんだい、こわいものでもみたのかい?」と語りかけるように私に説いた、もちろん私は喋れずただ目の前にある天井に泣く、7分ほどその場で泣き、家を歩き回りながらあやしてくれた。私は自分の部屋の天井だけ怖かったため他に移れば泣き止んだ、その後30分ほど泣いたあと他の部屋に引越しをした、後に母は「あの部屋が怖かったんだね?なにか妖でもいたのかもね」私の何も分かっていないと私は言葉も出せないながら思っていた、私の怖いものはその1つと、この後出てくる人が2つめに怖かった「おい、なんだこれは、ガキの寝床が違う場所に移ってんじゃねぇか!何勝手なことしてんだよ!」この怒鳴り声をあげている屑は私の父親だ、先程飲みから帰って私らを怒鳴りつけているところだ、母はスズメのように小さくなり何も言わずに目を下に背けてる、この時の母の背中はなんとも弱々しく、枯れ木のようであった、ただ私の目には太陽のように見えた逆光のせいでもあろうかとも思うが確かにそう見えた
、そこからは悲惨である。怒鳴られ、物を投げて壊し、押す殴るなんでもしていた。私には水をかけた、私を巻いていた布に水が染み込みみるみると冷たくなる、そこで父親が「不気味なガキだなぁ」と一言言い捨てた、そしてまた外に出歩き飲みに行った、下駄の引きずる音が遠のいて沈黙が続いた。静寂に包まれた空間にすすり泣く声がしんとなり広がった、「不甲斐ない母でごめんね」と泣く母は聖母のようだったそんな長い一日が延々とことごとく長い時間を過ごした。変化が訪れて来たのは小学4年の夏休みの頃、父親が外で酒を飲んで熱中症で倒れたらしい、長い間日に照らされていたため脳に障害が残り病院生活になった、私は小4ながら「死ねばよかったのに」と呟いた、見舞いには行かなかった、と言うか嬉しかった、世界に色がついたように思えた、それまではモノクロで同じ映画を繰り返し見ているような感覚だった。だが人の不幸で喜んでいる自分に嫌気が差した、幸福、憎悪、自己嫌悪色んな感情が自分の中で交錯した、この気持ちを一旦持ち込み自分の部屋の椅子に座り考え込んだ、何秒何分何時間考え行く末に辿り着いたのは無であった、その頃には日が暮れ生ぬるい風が窓から吹き抜けた、母が帰ってきたのである。




