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耳かき小説

マンダラ国の耳そうじ屋

作者: バスチアン


 既に故人であるが、ミヒャエル・エンデというドイツ人の作家がいる。児童文学『モモ』の作者といえば小学校の時に読んだ人はピンと来るかも知れない。映画『ネバーエンディングストーリー』の原作者といえばピンと来る人がもう少し増えるだろう。そんなミヒャエル・エンデの著作に『ジム・ボタンの機関車大旅行』という作品がある。あらすじはこうだ。



 小さな島国フクラム国に暮らす機関車が大好きな少年ジムは、親友であり機関士のルーカスと、彼の機関車(エマという名前がついている)と共に冒険の旅に出る。そんな彼らは旅の途中にマンダラ国の王様から、さらわれた娘のリーシー姫を助けてほしいと頼まれる。ジムとルーカスは、姫を救うため、竜たちが住む恐ろしい「竜の町クルシム国」へと向かうのだった……という内容だ。



 ジムは世界中の色々な場所を冒険するし、お姫様に出会ったり、自身の生まれの秘密を知ったりと、まぁ色々と忙しく活躍するのだが、個人的にはそこまで大事ではない。いや、もちらんジムの活躍は非常に心躍るものなのだが、とにかく今は置いておこう。ここで語りたいのはマンダラ国についてだ。

 マンダラ国は中国をモチーフにした国であり、その首都ではさまざまな施設が存在する。その中なひとつが「耳かき屋」だ。作中ではこう記されている。児童文学のため、ひらがな表記が多く少し読み難いのだがご了承いただきたい。



****************


 ルーカスとジムは、路地(ろじ)やにぎやかな大通りなどを、何時間もぶらぶらと歩きまわりました。見るものも聞くものも、そのめずらしいこと風変(ふうが)りなは、おどろくばかりでした。

 たとえば耳そうじ()です! 耳そうじ()仕事(しごと)仕方(しかた)は、(くつ)みがきに()ていました。道にすわり心地(ごこち)のいいいすをおいておき、そこにお(きゃく)をすわらせて耳そうじをするのでした。といっても、タオルかなにかでかんたんにすませるのではありません。そんなのとは大ちがい! 長い時間をかけ、こみいった、芸術的(げいじゅつてき)ともいえる仕方(しかた)でするのでした。耳そうじ()はみな(ぎん)上板(うわいた)の小さな(つくえ)()っていて、その上に小さな耳かきや、(ふで)や、(ほそ)(ぼう)や、はけや、タンポンや、小鉢(こばち)や、小さなつぼなどを、かぞえきれないほどたくさん(なら)べていました。それをみんな使(つか)って耳のそうじをするのでした。

 マンダラ人は耳そうじをしてもらうのが大すきでした。もちろん第一(だいいち)にはきれいずきだからですが、第二(だいに)に、気持(きもち)がいいからでした。耳そうじ屋がていねいに仕事をしてくれると、くすぐったいような、ぞくぞくするような、なんともいえない気持(きもち)になるのでした。マンダラ人はそれがすきでした。


 ミヒャエル・エンデ (著) 上田 真而子 (翻訳)

『ジム・ボタンの機関車大旅行』より


****************



幼少期、初めてこの文章を読んだ時は耳の中が何だかムズムズとしたものだ。


 まず『すわり心地の良い椅子』とは、どういうものなのだろうか?

 耳かきは路上で行われており、靴磨きに似ているとある。ならば椅子の大きさもそれほど大きくはないはずだ。となるとソファのようなものではない。設置しやすく片付け易い、折りたたみ式や、組み立て式の物の筈だ。きっとお尻が痛くないように座面は板ではなく、ハンモックのように布が張られているに違いない。それは頑丈だが伸縮性のある布で、座った者の体重を優しく受け止めてくれるのだ。

 当然背もたれはついており、それもにも座面と同じ布が張られている。背骨に沿った曲面の効いた背もたれは、背骨にストレスをかけることなく使用者を落ち着かせてくれる。

 脱力してハンモックに揺られるようにリラックスさせる。きっとそんな椅子に違いない。


 次に気になるのは道具だ。銀の上板の机と、その上に載せられた小物の数々。小さな耳かきや、筆、細い棒、はけ、タンポン、小鉢、小さな壺だ。


 『小さな耳かき』コレには少々疑問が残る。そもそも耳かきが小さいというのは意味がよく分からない。何しろ大きな耳かきなど耳の穴には入らないのだ。だから恐らくは小さいというより、細い物なのだろう。材質は竹がいい。作者であるミヒャエル・エンデは東洋の文化に理解があるので、アジアの植物である竹の存在を知っていてもおかしくはない。

 細い竹の軸、先端の匙の部分は薄い。これを使い、耳そうじ屋に耳掃除をしてもらうのだ。



『タオルかなにかでかんたんにすませるのではありません。そんなのとは大ちがい! 長い時間をかけ、こみいった、芸術的(げいじゅつてき)ともいえる仕方(しかた)でするのでした』



 別にタオルで耳をぬぐってもらうことが悪いこととは思わない。実際に風呂上りに少し毛羽だった薄手のタオルで耳を拭けば実に心地良い。だがマンダラ国の耳そうじ屋は、そういった心地良さとは別種の快感を提供してくれるのだろう。細くしなる竹の耳かきで、じっくりと時間をかけ、込み入った、芸術的な方法でだ。


 先端が薄く()がれた(さじ)になっている耳かきが耳の穴に侵入する。耳そうじ屋は耳たぶを軽く摘みながら穴の中を伺い角度を調整するのだ。外側からは見え難い入口付近の窪み。そこへ、スッと滑り込むように匙を差し込む。

 差し込んだ先にあるのは耳垢の塊だ。皮膚にへばり付くように溜まった垢の表面に薄い匙が、サクリ……と刺さる。ここしばらく耳掃除を控えているのでしっかりと手ごたえを感じることだろう。壁のように堆積して耳垢に刺さった匙。それに僅かな力が込められただけでバリバリと壁は砕かれていく。竹で出来た耳かきは力を加えるとわずかにしなる。そうして匙に溜まった耳垢を ”じっくりと時間をかけ” ズルズルと耳の外に運び出していくのだ。

 ごっそりと耳垢を掘り起こし耳の中を掻かれる快感を想像するだけで鳥肌がたってくる。長い時間をかけ、掘り起こされた耳垢。とりわけ大物は並べるように『小鉢』の上に並べられていくことだろう。


 耳かきで垢の塊を掘り起こせば、当然取り切れなかった残骸が塵のように耳孔や耳介の上に散らばる。それを片づけるのが『筆』と『はけ』の役割だ。

 そうだな……筆先の材質はリス。出来れば灰リスの毛が良い。毛先が細く、繊細で柔らかい。最高級の化粧筆としても使われているものだ。それが耳垢を掘り起こされぽっかり空いた耳の穴に、ズズゥっと、押し込まれる。ふさふさとした筆の毛先は360度、耳穴全体に触れる。耳そうじ屋は指先に少し力を加えると、それがグルリと回転する。ゾワゾワとした音と、耳孔を360度舐められるような奇妙な快感を伴いながら、弾力と柔らかさを兼ね備えた筆の毛は耳穴に残った塵のような垢を絡めとっていく。筆がゆっくりと抜き取られたときには、耳孔内に残った塵のような耳垢は概ね取り除かれてしまっていた。

 そのまま仕上げとして『はけ』で耳を撫でられれば、サワ……サワと、優しい感触に耳が包まれることは間違いない。はけは耳の溝の中まで細かく散った耳垢を掃き取っていくのだ。マンダラ国の耳そうじ屋はそんな ”込み入った”、手法を用いて耳の上を掃除してくれることだろう。


 耳かきで大きな耳垢を取ってもらい、散らばった小さな耳垢を筆とはけで掃いてもらい、満を持して出てくるのが『小さな壺』だ。中には薬液が入っている。植物由来の香油で薄荷のような爽やかな香りがするものだ。あらかた耳垢が取り終わった耳の穴にコイツを流し込むのだ。

 椅子に座ったまま顔を横に向けると、天に向けて開いた耳孔に小さな壺を寄せる。注ぎ口の部分で狙いを定め、そのまま傾けると小さな壺からトロリとした香油が垂れる。粘度の低い香油は細い糸を引きながら香油は耳の中を満たしていく。注ぎ終えた後、少しだけ待つと奇妙な温かさが耳の中に生まれる。常温の香油が体温により温められたのだ。

 耳そうじ屋は頃合いを見計らうと耳に布巾を当てて頭の向きを変える。耳孔に溜まった香油を排出する。体温で温められた香油が抜けていく瞬間、ヌルリとした感触と共に一瞬だけ熱いものが耳の中で生まれ、それが体外へと逃げていくのを背筋を震わせながら感じるのだ。後に残るのは何とも言えぬ心地よさだ。単純に耳を触られるだけでは得られぬその快感に頭がぼんやりとしていく。

 その時に登場するのが『タンポン』だ。タンポンというと生理用品のイメージが先行するが、体液を吸収するために手術の際にも使われる医療器具でもある。それを耳の穴の中に、ぎゅむぅ……と詰め込む。綿で出来たタンポンは耳孔内に残った香油を吸い取る。そうして最後にそれを抜く。ゾワゾワと音が響き、敏感な部分を緩く掻かれるような心地よさ。抜き終わった後には清涼感が残る。


 耳の中を掃除され、散らばった垢を掃き清められ、残った垢もタンポンで拭われて、きっと最後に使われるのが『細い棒』なのだろう。耳かきと同じくらいの長さと細さ。ただその先端だけが丸い。それを使い耳ツボを圧していく。そのための道具だ。

 耳そうじ屋は耳介を摘まむと緩く引っ張り、耳介の外周部分からゆっくりとツボを圧していく。細い棒の先端が、クッ…クッ……っと、緩く耳介に食い込んでいく。痛みを感じる一歩手前。背筋に電流が(はし)る。心地の良い痛痒感(つうようかん)だ。

 クッ…クッ……っと細い棒は耳の外側から内側へ、耳の溝をなぞるようにして刺激する。

 クッ…クッ……っと内側に到達すると、少し強めの一撃が加わる。

 クッ…クッ……っと順番に耳ツボを押され、カァ〜っと耳全体が熱くなる。

 マンダラ国は中国をモチーフとした国だ。きっと耳ツボにも造詣が深い筈だ。疲れ目や胃腸、不眠に効くツボなどを、次々と ”芸術的ともいえる仕方” で刺激してくれることだろう。



 『ジムボタンの機関車大旅行』にある耳そうじ屋。もちろん空想上の商店であることは百も承知している。理解してはいるのだが、それはきっとこんな場所に違いない。かつて読んだ青い表紙を思い浮かべながら、今日もふとマンダラ国の耳そうじ屋に思いを馳せるのだ。



<了>


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