Ep21.「占部カナ6」
母に好かれたことなんてなかった。
私を置いて何日も帰ってこないこともあった。
家中のゴミ袋を開いて食べ物を探した。
体中が痛かった。
もう動く気力もなくなった時、知らない大人が玄関を開けた。
それ以来、母の姿は見ていない。
顔も忘れてしまった。
アヤ「大丈夫ですか?」
捜査室でアヤが電話をかけている。
松宮『よくはないわね。罵詈雑言ばかりで、SNSも閉鎖したわ。でもね、これは私が受けるべき罰なの』
アヤ「抱え込まないでください。私でよければ、いつでも相談に乗りますから」
松宮『ありがとう。大丈夫よ。一区切りするまでを見届けないと終われないから。あなたも忙しい身でしょうし、私に気を回さなくてもいいわ。それより、あの女のことは何か掴めた?』
アヤ「申し訳ありません……。捜査のことはお伝えできないことになっていまして……」
松宮『そう。ありがとうね』
受話器を置く。
中川「松宮ノリコはどうだ?」
アヤ「かなり焦燥していると思います。おかしな方向にならなければいいんですけど」
中川「もうすぐさ、占部は予想通り、被害者の会で突拍子もない提案をしてきた」
アヤ「ええ。先輩の言う通りに張っていて正解でした。松宮さんが被害者の会代表に支援を願い出ていたこともあって、こちらのリアルタイムIP追跡の話しも協力的に進みましたしね」
中川「協力的だったのは、桐山が松宮の申し出を、会の代表に仲介したからさ」
アヤ「そんなことは……」
中川「そろそろ時間だな」
アヤ「ええ、タワーレジデンス、マークス・ザ・スカイ、3501号室」
占部「パイトン。衣笠さんからの折り返しの連絡は?」
占部の自室。
リビングのテーブルの上にいた白蛇のパイトンが目をそらしてゆっくりと消える。
占部「そう、ないのね。早川君?いるかしら?いたら部屋に入って来て頂戴」
扉を見るが反応はない。
占部「いないの……?どうして?」
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
窓から下を見下ろす。
大勢の機動隊がこのビルを取り囲むように並んでいる。
占部「まさか」
占部が裸足のまま部屋から飛び出す。
エレベーターホールには数名の機動隊が盾を構えているのが見える。
占部「チッ!」
エレベーターホールの手前、
廊下から非常階段へ続くドアの鍵カバーを叩いて壊す。
ゆっくりと迫る機動隊を横目で捉えつつ、
焦るように非常階段へ駆け込む。
占部「早川君!どこよ!?はあ、はあ、パイトン!衣笠さんに連絡を取って!」
視界の端に“この番号は使われておりません”の文字。
占部「くそ!見捨てられたってわけ!?」
窓のない薄暗い非常階段。
35階から地上階へと長い階段を裸足で駆け下りていく。
占部「はあ、はあ」
10階は降りたかと思ったとき、下の方で大勢の足音が聞こえる。
「いたぞ!」
何階にいるかもわからないが、逃げるように扉を開けて非常階段を出る。
扉を出たエレベーターホールにも機動隊が盾を構えて取り囲んでいる。
占部「くそ!」
非常階段に戻り、また駆け下りる。
下からも、上からも近づく何人もの足音。
早足で駆け下りていくと、階段のすぐ下に機動隊が見える。
また扉を開いて非常階段を出る。
そこにも機動隊が取り囲んでいる。
階段へ戻ろうとしたが、すぐ上も下も機動隊がひしめき合っている。
占部「はあ、はあ」
ポーン。
目の前のエレベーターが開く。
刑事課の岩崎課長がおりてくる。
岩崎「署まで同行願おうか。占部カナ」
占部「はあ、はあ、……どうして?私が何かしたかしら?」
岩崎「犯罪教唆、自殺ほう助、婦警への暴行、あげたらきりがない。余罪もいくつかあるが、全て読み上げようか?」
占部が頬の汗を手の甲でぬぐう。
占部「ふう……。もういいわ」
岩崎が占部の手を取り、手錠をかける。
占部「はあ……。また一人になっちゃったな」
手錠をした両手で髪をかき上げる。
取り調べ室。
アヤと占部が向かい合う。
アヤの後ろには中川が立っている。
アヤ「占部さん。あなたには黙秘をする権利があります」
占部「あらそう。なにも隠す気はないけどね」
アヤ「あなたの住んでいた部屋を調べました。この部屋はあなたの名義ではないですよね?」
占部「それが?」
アヤ「誰の名義かわかりますか?」
占部「衣笠さんじゃない?」
アヤ「いいえ。この部屋は以前、暴行犯として逮捕された男性の名義になっています」
占部「え?」
アヤ「ご存じではありませんでしたか?この人です」
占部「……」
アヤ「この人は占部さんをご存じのようでしたよ。恨みのある人物への仕返しを、あなたが手伝ってくれた、とも言っています。夜の公園にターゲットの人物が現れるのを教えてくれた、とも」
占部「そんなこともしたかもね。それがなにか?」
アヤ「この人は高級住宅の部屋など買ったことはないと言っています」
占部「そうでしょうね。彼の収入は多くないだろうし」
アヤ「占部さん。衣笠さんとは、どなたです?」
占部「親切な優しい資産家よ」
アヤ「優しい資産家?」
占部「……多分ね。本当の所は知らないわ」
占部は宙を見る。
アヤ「連続した事件の動機……。あなたは何故こんな事をしてきたのですか?」
占部「あなたのような人に話してもわからないでしょうね。孤独感の中で生きてきた人間の悲しさが。その孤独に誰かが手を差し伸べた時の高揚感も。私の想いを認めてくれる人がいて、手助けをしてくれたのよ。その人も、それを望んでいるようだったしね」
アヤ「衣笠さんですね……。あなたの想いに力を貸す人がいて犯行に及んだ。それが人の命を奪うことになったということですか?それほどの想いとはなんです?」
占部「多くの人は誰かと繋がっていて当たり前だと思っている。絆なんて言ってね。そんな軽い考えは許せないの。私は自分と似たような悲しい人たちの気持ちに寄り添っただけよ。彼らが望む結果に導いただけ。命を奪ったりなんかしていないわ。私が手を下したわけじゃないから」
アヤ「法はそのように解釈していませんよ」
占部「それはあなた達の論理でしょう?気持ちというものはね、法が縛ろうと止められるものじゃないの。人に寄り添うことが、そんなにいけないことかしら?想いは人を動かす原動力そのものよ?あなたにはそういう気持ちはないのかしら?」
占部が見下すようにアヤを睨む。
アヤ「感情を律し、自分を制す。それが私の教わってきたことですから」
帰り道。
肩に乗るマトンが通話中と書かれたパネルを持ち上げる。
アヤ「お変わりはありませんか?」
松宮『かなり変わってしまったわ。仕事もなくなってね』
アヤ「心中……、お察しします。働き口が必要でしたら、市の職員に掛け合ってみます」
松宮『いいえ、大丈夫よ。今度NPOを立ち上げることにしたの。事故や事件で子供を亡くした家族を支援する団体よ。国に掛け合っているところなの。遺族への補償もあるし、お金も必要だしね』
アヤ「そうでしたか」
松宮『あなたにもお世話になったわね』
アヤ「そんな……。また、お電話をください。私でよければ、お話を聞きますから」
松宮『ありがとう。でも私ね、個人の拠点を海外に移すことにしたの』
アヤ「え?」
松宮『国内にいると、どうしても周りがうるさくてね。息子のしたこともゆっくりと考える時間が欲しいの。大事な仕事の時にだけ戻ってくるわ。だから、あなたも私を気にしなくていいわよ』
アヤ「松宮さん……。これからのご活躍を願っております」
松宮『ありがとう』
実家横の柔道場の明かりついている。
アヤ「今日の稽古、遅くまでやってるね」
マトン『本日、夜間の部はお休みです』
アヤ「そうだっけ……」
そっと柔道場を覗くとリナが正座して黙想している。
アヤ「……」
そっと近づく。
リナがゆっくりと目を開けてアヤを見る。
リナ「あ、アヤちゃん」
アヤは黙ったまま、
リナと袖が触れ合うほどに並んで正座する。
静かに目を閉じる。




