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Ep1.「桐⼭アヤ」

挿絵(By みてみん)



精⼒善⽤、⾃他共栄と書かれた、額に入る大きな文字。

朝⽇が差し込む柔道場。

⽩い道着を着た⼥性が正座し黙想する。

この道場の⼀⼈娘、アヤだ。


「……。感情を律し……⾃分を制す」


ぶつぶつと念仏のようなものを唱え、

静かに⽬を開ける。

床の上に小さな⼩⼈が⾒える。

⽺の着ぐるみを着た、幼い⼥の⼦の姿だ。


「ごしゅじん。勤務時間が迫っています」


⼩⼈がアヤに話しかける。

アヤのコンタクトレンズを通して映される、現実には存在しないARアバター。

パートナーAI、マトン。


アヤ「うん。ありがとう。マーちゃん」


マトン『今⽇から刑事課に転属です。遅れたら⼤変です』


アヤ「ごめんごめん。すぐ⽀度するから」


⽴ち上がってスタスタと道場を出ていく。

古い道場。

道場を出た隣がアヤの実家だ。


……ピーポーピーポー

遠くに救急⾞の⾳が鳴る。

何台も続いているようだ。


アヤ「なんだろう、どこかで火事でもあったかな?」


マトン『ごしゅじん、急いで』


アヤ「そうだね」




クローゼットを開けると、いつも出勤時に着ている、

お気に入りのスカートがかかっており無意識に⼿に取る。


マトン『ごしゅじん!刑事課はスーツです!』


アヤ「あーごめん。いつもの癖だ」


クローゼットから買ったばかりの黒いスーツを取り出し、着替える。

いつもと違う服装が落ち着かないようで、

背中側を⾒るように振り返る。


アヤ「変じゃないかな?」


マトン『いいえ、着こなしはばっちりです。ごしゅじん』


アヤ「そうかな?」


ピピピと⽿に装着したカフス型のデバイスが⾳を鳴らす。

アヤの視界右上にARの⽂字が現れる。

刑事課課⻑岩崎という表⽰。


マトン『岩崎課⻑から通信です』


アヤ「あ、うん、繋いで」


マトン『はいです』


アヤ「もしもし、おはようございます。桐⼭です」


岩崎「桐⼭、今⽇からのところ悪いな。ニュースは⾒たか?」


アヤ「申し訳ありません、何かありましたか?」


岩崎「今、奈古駅で停⾞中の電⾞内で刃物による刺傷事件が起きた。犯⼈は⽴てこもり中だ」


アヤ「え……」


岩崎「詳しいことは後で。現地で落ち合う」


アヤ「は、はい!」


机の上のマトンに視線を向ける。


アヤ「マーちゃん!ニュース!奈古駅の速報はない!?」


マトン『検索……表⽰します』


マトンの頭上に半透明で表⽰される四⾓いウィンドウ。

速報のニュース記事。

“奈古駅で刃物を持った男が⽴てこもり、ダイヤに⼤きな乱れ”という⾒出し。

ゴクンとツバを飲み込む。




奈古駅は騒然としている。

駅の⼊⼝では警官がバリケードをはって封鎖。

構内には簡易テーブルが並び、モバイルコンピュータが並べられている。

その周りに警官が⼤勢詰めかけている。


アヤ「遅くなりました!」


汗ばみながら、仮設の本部に駆け込む。


岩崎「来たか」


アヤ「本⽇付で配属となりました、桐⼭アヤです!ご、ご指導のほど、よろしくお願い致します!」


岩崎「ああ。すまない、ミーティング中だ。挨拶は後にしよう」


アヤ「は、はい、ごめんなさい」


岩崎「犯⼈は40代とみられる男。満員の⾞内で⼥性⼆⼈をナイフで刺し、混乱した乗客が⼀⻫に⾶び出し、将棋倒しが起きた。刺された⼥性の⼀⼈、その他、怪我⼈多数が搬送された。他の⾞両にいた乗客も駅員が順に下ろし、構外に出した所だ」


刑事の男「今、犯⼈の様子は?」


岩崎「列⾞内で⼀⼈⽴てこもっている。刺した⼥⼀⼈を盾にしてな」


アヤ「そんな、すぐ助けないと」


話を聞いていた⽬つきの悪い刑事の男がアヤの横に歩み寄る。


刑事の男「そんな簡単にいくわけがない」


アヤはその先輩を見て、萎縮したように⾝体を縮ませる。


岩崎「中川、そう⾔うな。桐山は初⽇だ」


中川「刃物を持った相⼿だ。激昂させれば人質を殺すかもしれない。取り押さえに誤れば怪我⼈も出る。それとも、お前がやってくれるのか?」


アヤ「い、いえ……。軽率な発⾔、失礼しました。中川先輩」


中川はそっぽを向く。

また⼀⼈、刑事と思われる男が本部に歩いてくる。

筋⾁質な⾝体で、スーツが盛り上がっている。


岩崎「萩本、上はどうだった?」


萩本「どうもこうも、みんな殺気⽴ってますよ」


アヤ「あ、あの」


萩本「ん?」


岩崎「今⽇からの新⼈、桐⼭だ」


アヤ「よろしくお願いします!」


萩本「よろしく。いきなりで大変だね。間違っても犯⼈に近づくなんてしないでくれよ」


アヤ「は、はい」


中川「今⽇は社会⾒学だ。⼤⼈しくしているんだな」


アヤ「はい……」


アヤを⾒もせずに憎まれ⼝を叩く中川。

その横顔を伺うように⾒る。


プルルルル。

簡易テーブル上の電話機が鳴る。


岩崎「はい、刑事課、岩崎です。ああ、そうか。データをこちらに送ってくれ」


萩本「何かわかりましたか?」


岩崎「立てこもり犯の素性だよ。中川、確認してくれ」


中川「はい」


中川が簡易テーブル上のコンピューターを操作する。

画面に男のプロフィールが表示される。


中川「牧瀬シンタロウ、45歳。現住所は奈古市北区。製鉄業者に勤務。配偶者はなし」


萩本「RC7、牧瀬シンタロウを検索」


モバイルコンピュータの横に、おもちゃの四⾓いロボットのようなアバターが現れる。

牧瀬シンタロウのネット検索の結果を、頭の上に持ち上げたパネルに表示させ、萩本先輩に見せている。


萩本「若い頃に格闘技の経験があるのかな。地方紙の古い記事に名前がある。同一人物じゃないか?」


中川「それなら一層、面倒だ」


岩崎「さて、どうするかね~。ひとまず勤務先に連絡をしてみるか。動機がわかるかもしれないしな」


中川「だが、ゆっくりもしていられない。人質の出血具合も気になる」


岩崎「そうだな~」


萩本「お、ちょっとまってくれ、動きがあったか」


萩本が隣に並んだモバイルコンピュータの画⾯を⾒る。

ホームの様子が写っている。

機動隊が取り囲む列車の⾞両。

その乗り⼝から顔を覗かせる男が何かを叫んでいる。

コンピュータのスピーカーからゴウゴウと叫び声のような、男の野太い声が聞こえる。


岩崎「何て⾔ってる?」


萩本「これじゃ聞こえにくいな。RC7、犯⼈はなんて⾔ってる?」


四角いロボットのアバターが“不明瞭”と書かれた四⾓いパネルを持ち上げる。


萩本「ダメですね。雑⾳が多すぎる」


中川「上にあがってくる」


岩崎「ああ。おい、桐⼭、中川の後ろについていけ」


アヤ「え……」


中川「課⻑……」


岩崎「社会⾒学だろう?新人に現場を見せてやってくれよ」


中川「ふう」


中川の⼤きなため息。


中川「ついてこい。間違っても俺より前に出るなよ」


アヤ「は、はい!」


改札を通りホームへの階段へ向かう。

階段を上がる途中、男の叫び声が聞こえる。

一段、一段と上がるたびに、はっきりと聞こえてくる。


男「……してやる!踊らされるだけの思考を⽌めたアメーバ共に、考える⼒を与えてやる!聞け!単⼀細胞のアメーバ共!教えてやるぞ。踊らされるだけの思考を⽌めたアメーバ共が!」


ホームに上がると、⼤勢の機動隊員の背中。

その隙間から、わずかに叫ぶ男の顔が⾒える。

怒り狂ったように真っ⾚な顔。

乱れ切った髪。

⾎に塗れた服。

太ももから⾎を流す⼥性の首元を右腕で抱えている。

ぐったりとした女性の顔は真っ青だ。

男の左⼿には真っ赤なドロドロとした血がついた大きなナイフ。

これまでの⽣活で見たこともない異様な光景に⾜がすくむ。


中川「怖いか?」


アヤ「は、はい」


中川「怖いと思ったら、⾃分の⾝を守ることを⼀番に考えることだ」


アヤ「え?」


中川「恐怖は人体に備わったセキュリティセンサーだ。お前の感情は、まだマトモだってことだよ」


アヤ「マトモ……?」


中川先輩が⽿につけた⼩さなインカムに触れる。


中川「男はかなり興奮しているようだ。いつ、どう出るかわからない」


岩崎『⼈質はどうだ』


中川「出⾎が多いな。長くはもちそうもない」


岩崎『男は⾞両の入口から顔を出しているんだろう?外に出てきそうか?』


中川「さあ、どうかな。お望みとあれば、今すぐにでも誘い出してみようか?」


岩崎『やれるか?』


中川「俺にやらせてくれるのなら」


岩崎『……わかった。上に相談する。少し待て』


空気がひりつくほどの緊張感。

犯人を見張る機動隊の人達の顔が険しい。


アヤ「マーちゃん。人質の女性、怪我の具合はどう思う?」


肩の上に座るようにマトンが現れる。


マトン『多量の出血による低酸素状態。一人では立てない状態かと思います。これ以上、出血が続くと危険です』


アヤ「そう……。早く助けないと」


犯人を囲む機動隊の隙間から女性を見守る。


岩崎『中川、いいぞ。新人は後ろに下げておけよ。あとはお前のタイミングでやれ』


中川「ああ。桐⼭、ここより前には出るな。機動の裏に隠れていろ」


アヤ「はい……」


機動隊の⼈達を割って前に中川先輩が出る。

車両を囲む機動隊員達にも情報が共有されたのか、最前列の隊員が次々と警棒を構え出す。

立てこもり犯、牧瀬シンタロウの前方数メートルに中川が迫る。


牧瀬「おい!それ以上近づくな!」


中川「牧瀬、その女性を解放しろ、そのままでは長くは持たない」


牧瀬「うるせえ!さっさと離れろ!」


中川「どうしてこんなことをしている?」


牧瀬「お前らにはわかんねえだろ!このアメーバ共が!」


中川「アメーバか。それはどういう意味だ?」


牧瀬「はあ!?お前らのことだよ!何も考えず、のうのうと、ぼんやり生きてる社会のクソどもが!」


中川「そうか、理解したよ。ストレートなネーミングセンスだ。牧瀬シンタロウ。いや、違うな……、これからはアメーバと呼ぶか」


列⾞から顔を出していた牧瀬シンタロウが、中川先輩を凝視する。

真っ⾚に充⾎した⽬。


牧瀬「アメーバだと!?どういうことだ!俺が!?」


中川「そうだ。お前だよ。アメーバ野郎。お前も、その他大勢も、たいして変わらないだろ」


牧瀬「どこがアメーバだ!俺はお前らとは違う!!⾃分の意思で考え、⾏動できる!⽣きた意志を持つ⼈間だ!」


中川「ああ、そうかい。悪かったな。で?そのアメーバ⼈間様は何がしたいんだ?何を望んでそんなことをしてる?」


牧瀬「ああ?教えてやってんだよ!毎⽇毎⽇、飽きもせずにギュウギュウ詰めで働きに⾏き同じことを繰り返している愚か者共へ、正しい⽣き⽅って奴をな!」


中川「それは⼤層ご⽴派なことだ。なんのメリットもなく、世のため⼈のために、正しさを教えてくれてる訳だ。やはり愚かだなお前」


牧瀬「何!?」


中川「愚かだってんだよ。お前は毎⽇変わらず働きに向かい続ける⼈間たちを、愚かな集まりだとカテゴライズしているが、俺からしてみたら、お前も愚かな⼈間の⼀⼈に過ぎない」


牧瀬「俺が愚か!?」


中川「そうだ!若い⼥を⼈質にして⽴篭もる中年男は何⼈も⾒てきた!お前も変わらない!よくいる愚かな暴⾛中年オヤジのカテゴリーだよ!弱い物にしか手を出せない、よくみる量産型犯罪者の⼀⼈さ!」


牧瀬「ふざけるな!!」


抱えていた⼥を放りだし、ナイフを振りかぶって中川に⾶びかかる牧瀬。

振り下ろされるナイフ。

その腕を右⼿で力強く払いのける中川。

勢いよく左⼿で正拳突きを繰り出し、牧瀬の胸に拳をめり込ませる。


牧瀬「おぐっ」


牧瀬が体勢を崩す。

即座に中川が腕を捻り上げ、ナイフが⼿から落ちる。


牧瀬「くそ!」


牧瀬は顔を真っ⾚にしながら身体をひねり、腕を掴む中川に向けて頭突きを繰り出す。

中川は捻った腕を離して、頭突きを避けたかと思えば、

即座に一歩踏み出し、牧瀬の襟元に掴みかかろうと⼿を伸ばす。

その手をかわすように、牧瀬はグルンと回転して裏拳を放つ。

上半⾝を反らして中川先輩がそれを間一髪でかわす。

牧瀬は拳を放った反対の手で中川を突き飛ばす。

後ずさりする中川。

そのすぐ後ろには機動隊員たちが迫っている。

牧瀬と中川が揉みあう最中に歩みを進めており、

一歩踏み込めば牧瀬に手が届く距離で取り囲んでいる。


牧瀬「く、くそが!!」


牧瀬は中川から逃げるように、

ホームの階段目掛けて突進する。


機動隊員が次々と逃亡を阻⽌しようと盾を構える。

それらを突き⾶ばしながら牧瀬が進む。

アヤの⽬の前の隊員が次々となぎ倒されていく。


アヤ「え、あ、こ、こっちに来る……!」


牧瀬シンタロウが人をなぎ倒しながら近づいてくる。

全身の毛穴が逆立つような震えを覚える。


アヤ「はあ、はあ」


マトン『ここは危険です!ごしゅじん!』


機動隊の人達が、突き飛ばされて倒れていく様子がまるでスローモーションに見える。

心臓がバクバクと鳴る。

目前に迫りくる怒り狂った牧瀬シンタロウ。

目の前まで来た牧瀬が、腕を伸ばしてアヤを突き⾶ばそうとした瞬間、

とっさに牧瀬の腕を掴み、たじろぐアヤ。


アヤ「はあ、はあ、はあ!」


アヤは牧瀬に押されるように後ずさりする。

その瞬間。

ぐるんと牧瀬の身体が宙を舞うように回転したかと思えば、

ダン!と⼤きな⾳を⽴てて、牧瀬の背中が地⾯に叩きつけられる。

アヤに腕を掴まれたまま、天井を⾒上げている牧瀬シンタロウ。

うっすらと⾒える曇り空、その⼿前にホームの⾬除けの屋根、そして⽬の前には、

⾃分を⾒下ろす若い⼥の怯えたような顔。

牧瀬は何が起きたかわからないようで呆然としている。


「か、かかれええ!!」


号令と共に機動隊が次々と牧瀬シンタロウに覆い被さる。


牧瀬「うう!!」


⼤勢の機動隊に押さえつけられた男が唸り声を上げる。

中川が、牧瀬の腕を掴みあげ⼿錠をかける。


中川「8時45分。監禁、傷害、往来妨害、銃刀法違反、殺⼈未遂容疑、逮捕」


中川が⽴ち上がってアヤに振り返る。


中川「桐⼭、お前……」


アヤ「はあ、はあ、はあ」


膝に⼿をついて、汗だくで下を向いているアヤ。


マトン『技ありです!』


アヤの⾜元でマトンが⽚⼿を上げる。




『あ、出てきました!ジャケットを頭からかぶっています。顔はよく⾒えません。今、駅の南⼝から、警官に連れられて、犯⼈が出て来ました!』


⾼層ビルの⼀室で、⼤きなモニターにニュースが流れる。


「あれ?あーこうなったか、あの⼈」


ラフな服装の男がモニターを⾒ながら呟く。


「お知り合いですか?」


男の横に⽴つスラっとしたドレススーツの男。


「ああ、君のくれた⾃⼰啓発アプリで勉強をさせていた受講⽣さ」


「そうでしたか。ここまでの⾏動にでるようなシロモノではないと思っていましたが」


「彼は思いこみが激しかったのかもね。驚きだよ」


「他の受講⽣は、ここまで愚かではないでしょう?想定外は困ります。衣笠さん」


「僕の⼈選ミスだったかもね。失敗しちゃったよ」


ラフな服装の男がふふっと鼻で笑う。


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